▼タイトルの先入観からずっと手に取らないでいたが、『
なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか―キャリアにつながる学び方 』思い切って読んでみる。なぜ先入観が働いていたかというと、「大学を出ておきなさい」という第三者のからの指摘に基づいている点。世界へ目を向ければ「大学へ行くなんてとんでもない」どころか、「学校へ行くなんてとんでもない」という国々が半数を占めている(人口比)にもかかわらず、何とのんきなこと。国内だって、そんな余裕もなくなっているのに…。
と、批判的に読み始めたが、部分的には説得力のある内容だった。例えば、以下のような下り。「勉強できる贅沢さ」は確かにその通り。
(略)それでも、自分で選択できる余地があるほうが、はるかに可能性を広げることになるのです。バリバリ生きることも、ゆるく生きることも、自分の意思で決定できるほうがいい。迷って、苦しんで、誰のせいにもできず後悔することが増えても、自分の将来を自分で切り拓くことのできる幸せは、想像力を駆使して思い描かなければなりません。そうしたくてもできないことの悲しみを、味わえないで済んでいるのですから。
そこまでの切迫感がなくても、人生経験に乏しく、まだ深くは考えられていない時期の浅薄な思い込みで、自分の可能性を狭めてしまうのは得策とは言えません。「何で勉強せなアカンねん」とぼやきながらでも、選択しを自分で減らすようなことはしない。積極的に増やそうとしなくてもいいから、せめて減らさないようにする。豊かな中で麻痺してしまっている「勉強できる贅沢さ」を、何が何でも実感してください。(pp.82-83)(太字は引用者)
でも、いったいこの本の読者って誰なんだろう?というのが気がかりでならない。本書を「読みなさい」と子どもに言いたい親世代なのか。本書を「読みなさい」と親に言われるような受験者層なのか。「大学くらい出ておきたい」と言いたい高校生なのか。欠如が欠如した時代を反映しているのは理解はできるが…、大学に入りたくても、入れなかった(しかし、学習意欲のある)社会人層から見れば、何を言っているのか理解できないような気もしないでもない。

▼以下を読みながら、成長って何なんだろう?と思ってみたり。
「こういう大学を選ぼう」なんて言えないよな、そんなセオリーないよな、と頭を抱えるしかない中で、それでも敢えて指摘するならば、専門分野はどうであれ、自分を磨くことのできる、成長させることのできる大学、ということでしょうか。本当にいい大学とは、自分で自分を伸ばしていけるだけの力を身につけさえてくれる大学だと思うのです。(pp.108-109)
自分で成長したいと思わない層にいかに対峙するか。少し考えてみたり。
最近のコメント