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オリジナリティは誰が判断するのか、どう教えるべきか

▼ちょっとした壁に直面した。私は、自分自身に対しても、顧客に対しても「オリジナリティ」のある人間になることを理想としている。だからこそ、井の中の蛙にならないように=自分自身の立ち位置を相対化できるように、できるだけ見識を広く持ち、自分自身のオリジナリティとその欠如を社会なり世間なり、世界の中で位置づけられるように努めている(つもりである)。

 しかし、管見、この「オリジナリティ」という言葉の意味が曲解されつつあるらしい。「自分らしさ」あるいは「自分探し」の結末なのか、SMAPの『世界に一つだけの花』やら、「オンリーワン」が強調されてきか結果なのか知らぬが、自分という存在は、いかなる時も、オンリーワンと勘違いされている模様である。

▼確かに原理的には、自分という存在は「オリジナル」であり、同じ人間は誰一人いない。しかし、残念ながら、自分という存在がオリジナルであっても、その人が考えた結果のほとんどはオリジナルではない。

 凡人が考えられるようなことは、誰か(先人であれ、仲間、同僚であれ)が同じようなことを考えており、独自性などどこにもないことがほとんどである。だからこそ、人間は「巨人の肩」(ニュートン)に乗っていることを謙虚に踏まえ、先行事例を検討しながら、その隙間にある独自性を創造、発見しようと、努力しているのである。

 っていうかさー、みんなそうじゃない。マクロの視点で見れば、ほとんどの組織において、人(働く人)というのは、代替の効く歯車の一つであって、一人いなくなったとしても、また別な人がやってくれば良いだけなのだから…。多くの人は、それを意識的(あるいは無意識的)受け入れつつ、自分自身のオリジナリティを発揮しようと、悪戦苦闘しながら、毎日を受け容れている(はず)。

▼自分がやろうとしていることは、過去に誰ががやっている。誰ががやったこと以上の成果なり独自性を出そうとしなければ、それは評価に値しないという、「当たり前」のことを、どうやって伝えたら良いものか。

 オリジナリティをどう教え、どう判断させるのか。
 トホホな日々が続きそう。

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