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2009年1月

千客万来(その2):やっぱりおざわさんはこわい?

▼都内からお客様2名をお迎え。午前中~お昼にかけては、私のキャラが(想像以上に?)「こわい」という話題で盛り上がる。以前も別口で同じような指摘をいただいたのだが、よくも悪くも一貫してしまっているらしい。自身の「強み」と「弱み」を改めて把握。メインのお仕事でも刺激をいただき感謝。

▼夕食は、大分のこの時期と言ったら!的ノリでふぐを食す。初めて行くお店だったが、なかなか雰囲気も良く、無事にささやかながらの「おもてなし」ができたかな…と、思ってみたり。有意義な情報交換もできて再度感謝。ぜひまた今度はプライベートでお越しいただければありがたいです。

追伸
ふるさと大分の百貨店 トキハは、他県からのお客さん的にも評価が高いらしい。私的にも、なかなかグッドなお店だと思っているんだが、改めてそうご指摘いただけると、少しうれしいような。

千客万来(その1)&本年度初の関西出張

▼都内からお客様1名をお迎え。お話+αをいただき感謝。私も出張が重なっていたため、帰路、某所でお寿司を食す。若干、想定よりも予算オーバーではあったが、大変美味で、舌鼓を打つ。これだけ旨い寿司は、金沢(能登)以来かなぁ、というくらいの味わいだった。会話も弾んで、いろいろ教えていただく。ありがたいことである。

▼相変わらず仕事は過負荷で、移動中に仕事を進める。終わらないなぁ…。

モチベーションとテンション

▼モチベーションとテンションの類似と相違について少々盛り上がる。

 顧客と話をしていて、「モチベーション(動機付け)」の類似語として、「テンション」という言葉が想起されることが判明した。確かに、言われてみれば似ているような気もしないでもないが、奥が深そうな問題かもしれない。

 テンションの従来の意味は「緊張」「不安」。大辞林的には、ワカモノ語として「気分の盛り上がり」も意味する言葉らしい。緊張や不安は、良くも悪くも動機付け=モチベーションとして働くのも事実である(例:目標を達することができない!というプレッシャーやライバルの存在は、「頑張る」原動力になる)。一方、「気分の盛り上がり」は、意欲と密接に関係していそうな気もする。

 一方、顧客との対話で、「テンションが高くても、必ずしもモチベーションにはつながらない」という説も出た。確かに、気分が盛り上がっていても、それが全てにおいて動機として働く訳ではない(例:デートの当日、テンションが高くても、仕事や勉強に集中できない場合など)。

 もしかしたら検討する価値があるのか?と思ってみたりして。
 今一度、『働くみんなのモティベーション論』を読み返そう。
 本書に、テンションについて書いてあったかな?

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タイム・マーケティングとセグメント別マーケティング

▼ちと古い話題ではあるが、「タイム・マーケティング」について調べる。タイム・マーケティングとは、字面そのまんまではあるが、「時間別」に対象を絞る(セグメンテーションする)、マーケティング手法のことである。

 管見、タイムマーケティングの老舗と言えば、「夜のお菓子」の代表格 銘菓「うなぎパイ」であろう。「夜のお菓子」の意味は、日本人共通の謎と言っても過言ではないらしく、公式サイトには 「うなぎパイの夜のお菓子ってどういう意味なの?」というR指定的Q&Aが掲載されているくらいである。
(http://www.shunkado.co.jp/unagipai/unagipai_talk.htm#q1)

▼冗談はさておき、タイムマーケティングの最大の成功例と言っても良いのは、「朝専用」の缶コーヒーというコンセプトで一躍シェアを伸ばしたアサヒ缶コーヒー「ワンダ」であろう。朝専用缶コーヒーの開発秘話についていろいろ調べてみたが、コンセプトあるいは、セグメンテーションの成果というのが定説らしい。

◆市場を狭めたのにヒット?朝専用商品ブーム
 http://allabout.co.jp/career/marketing/closeup/CU20050629A/

◆アサヒ飲料 ニュースリリース2004年 8月24日
 http://www.asahiinryo.co.jp/newsrelease/topics/pick_0339.html

▼ワンダ以前の成功例としては、「多い日も安心」で一世を風靡した(?)「夜用スーパー」(最近スーパーオーバーナイト?)であろう。私的には、パロディウス(コナミの名作ゲーム)で「多い日も安心」というレーザービームを意味する用語だったのだが、大人になって初めて意味を知った(ウソ)。それ以外の詳細については誤解を招く可能性があるため、この場では言及しない。

 最近では、「夜洗い」のスタイルフィット(花王の洗剤)や、「真夜中の贅沢」(エスキモー・森永のアイスクリーム)などが典型例であろう。

▼いくつか当たってみて素人ながらのまとめ。
 タイムマーケティングを成功させるためには…
  •  (1) もともと潜在的ニーズが存在している(例:朝にコーヒーを飲む)
  •  (2) ニーズを、何らかのコンセプトで顕在化する(例:朝専用、夜洗い)
  •  (3) 「選択と集中」型の広告投下により、ニーズを購買につなげる
  •  (4) 口コミ(AISASにおける最後のshare)の力によって拡大
 といった流れが必要なのかしらん。
 面白い事例で、応用可能性は高いものの、模倣は難しいのかしら…。

センター試験1日目と14年目

▼今年は1日目。何事もなく終わりますように必勝&合格の願をかけて、センター試験に臨む。公民は、相変わらずの出題傾向。地理歴史は、例によって地理受験の名をかけて全身全霊を振り絞るが(茂木さんに言わせれば、アハー的記憶の想起)、既に失われた記憶を求めて状態で、自滅。

 問題は国語(評論文)。「缶けり」をネタにするなんて、なーんてノスタルジックな…と思いきや、これが私的には難問。例年、十数分で答えが「見える」ものが、今回は先入観に負けてしまったせいか、なかなか正解が見えず、思わず赤面しそうになってしまった。これも14年前(※私の受験は、阪神・淡路大震災と同じなため、経過年数が分かりやすい)の失敗を思い返したせいか。

▼昼休み、asahi.comの記事で、「その当時の受験生」の娘を失った母親の話に目を通し、思わず涙しそうになる。皮肉なことに、今年は地震と日程が重なってしまった。過去にも、本日記(ブログ)でも話題にしているが、「その当時の受験生」だった私的には、地震と受験の記憶の組み合わせは、未だに消化不良の、河合隼雄先生的に言えば、なおも喉に骨が刺さった記憶である。 ▼思い返せない記憶(忘却)と、今もなお記憶に化していない記憶。
 生きているってことは、この狭間にいることなのかのね。

読書メモ(ミニ):就活のバカヤローと婚活のバカヤロー(婚活時代)

▼後輩に勧められた『就活のバカヤロー』と『「婚活」時代』を読む。今や、就職活動のみならず、結婚するためにも「活動」する時代らしい。合コンの言い換えに過ぎないような気もしますが、これはコンセプト勝ちかな…。
婚活時代
  • 山田昌弘, 白河桃子(2008). 「婚活」時代. ディスカヴァー・トゥエンティワン
 就職活動も、恋愛も変に「活動」(あるいは意識)しはじめると、本来の「自分」(の良さ)を失い、妙な方向に進んでいってしまう…という、悪例的事例を知る(あるいは自制する)ためには、良いネタ本かもしれません。

 もっとも、安直な就活本や、婚活本(?)を読む知性があるならば、その知性(時間?)を、他に転用した方が良いかな…という気もします。

顧客にネガティブなことを伝えるのは難しい

▼これまでの人生経験で、ちょっとした否定すらされてこなかった人(全面肯定しかされてこなかった?もしくは、否定されても気づけなかった人?)に対して、ネガティブな事柄を伝えるのは極めて難しい。

 お笑い(関西人風)にオブラートに包んで、「それじゃ、アカンわ」と、ツッコミを入れると、「アカン」が一人歩きして、「立ち直れない」か、ネガティブな指摘をした「私」に対して、敵意が向かってしまう模様である。

 言い換えよう。なぜ、お笑いのツッコミは許せても、それが自分に向かうと、許せなくなってしまうのか?ネガティブなことを言われるのは確かにつらいことかもしれないが、逆の立場に立ってみれば簡単なことである。同じ精神構造を持つ人間は、ネガティブなことを言う方がよっぽど「疲れる」のである。

 一見、存在を無視された方が楽かもしれないし、確かに、過剰な摩擦は避けなければならない。しかし、摩擦がなければ何も生まれないし、何も得ることができないはず。

▼社会に出て否定されるよりも、今のうちに苦労しときませんか?
 なんてことを思ってみたりもする。

読書メモ(ミニ):『友だち幻想―人と人の“つながり”を考える』

▼最近の若年層の顧客を見ていて、正直、痛々しい(イタい)のは、「友だち」という名の縛り(私的には、ほとんどSとかMの域?)があまりに強いこと。

 メールで常につながっていることが「友だち」という定義は、体をあわせれば「恋人」という定義と同じくらい、意味がないはずである(自分を意識的、無意識的に「殺す」というのは、本来、プロフェッショナルの仕事なはず)。

 安易に「つながる」というのことは、自分の価値を安売りしているのと同じ…ということを、どうやったら誤解なく伝えることができるのか?

 「つながっていない」ということが、「絆」になることが(離れていてもなお変わらない関係が)、「友だち」というべきだと思うのだが、これって家族と精神的に「離れ」ていないと、なかなか実感できないものなのでしょうか。

 来年は、『友だち幻想』を教科書として使うかなぁ。
 本当は、同著者の『ジンメル・つながりの哲学』を使いたいのだが…。

コメントを長らく見逃す

▼本ブログシステム(基盤はニフティのココログです)には「コメント」機能が付いていて、時々、コメントをいただくことがあります。ダイアローグ(対話)の重要性を主張しつつも、モノローグ(独白)的な要素の強い本ブログに対してコメントをいただけるのは、本当に、ありがたいことです。

 でも、管理画面の使いやすさの問題か、私の認識の問題か(※おそらく両者+α)、コメントが付いても見逃してしまことが多く、これまで何回かご迷惑をおかけしました。その度に反省していたのですが、今回もまた、実質3ヶ月ぶりくらいに、これまでいただいていたコメントに気づきました。(より正確に言えば、自身が付けたコメントが掲載されていなかったこと自体に気づけなかった…)。

 まったくもって申し訳ないです。コメントをメールで送ることができるシステムの存在にこれまで気づいていなかったので(無知)、今後は、メールで送信して「漏れ」がないよう、さらなる努力をします。これに懲りず、コメント等いただければありがたいです。

 ついでに釈明するならば、「おざわは都合の悪いコメントを載せない」という風評が立たないと良いのですが…(アダルトやギャンブルの広告やトラバ以外はすべて掲載していますので、誤解なきよう)。

仕事はじめでいきなり

▼いきなり痛恨のミス。「つうこんのいちげき」的感覚。
 「痛恨」と、「断腸」ではどちらが痛みがあるのか?
 などと、「痛み」に対して想像力を張り巡らせながらの仕事始めとなった。

▼帰りの電車で、セブンイレブン(セブン&アイ、イトーヨーカドー)の鈴木敏文氏の新作『朝令暮改の発想―仕事の壁を突破する95の直言』を読む。どこかの国の首相は、自身が突然「辞める」(辞任する)ことは多いが、自身が立てた政策については「止める」ことが少ないよなぁ、などと思いながら一部に目を通す。

 定額交付金を止めば、優れた朝令暮改になると思うのだが…。
 さもなければ、日本の未来は本当に「暮れ」てしまう気がする今日この頃。

 ライジング・ジャパン・アゲイン。立つんだジョー!
 ま、学習するためには、墜ちるところまで墜ちるべきなんだろうけども。
 
 などと、政治家には言えない(言わない)ことを言ってみたりする。

携帯電話番号を変更します

▼長年使ってきたPHS(Willcom)を解約し、ソフトバンク携帯へ移行します。
 これまでの070の番号は、近々、使えなくなります。
 新番号については、年賀状や電子メール等で順次お伝えしていますが、1年に1度は電話してるのに「連絡がない…」場合は、ぜひ督促してください!(自分勝手)。

追伸
 過去、1996年か97年かに(すいません、忘れました)、今はなきASTEL(アステル)のPHSを契約して以来、→NTT Personal(その後、NTT DoCoMo と統合)→大学院進学後は電波が届かないという理由でDDI Pocket(現Willcom)に変更して以来、長い間、PHS畑でずっと過ごしてきた。

 しかも、DDI Pocket(現Willcom)へ変更してからは、8年以上が経過。PHSは音質もいいし、携帯電話で長いこと話をしていると体が重くなるというか、頭が痛くなるような(気がする)私としては、PHSは大変ありがたい存在だった。

 しかし、地方都市(大分)では、利用できるエリアが限られていること、携帯の価格が下がってきたこと、また、Willcomにおいては「継続」することで得られるメリットがほとんどないことから(どこの会社も同じかもしれぬが)、ついに変更に至った次第である。長年使ってきたPHSの番号を捨てるのは寂しいところだが(※ナンバーポータビリティは携帯電話同士で、PHSは含まれていない)、断腸の思いで変更となった。

 ソフトバンクってことは…、iPhone?と思われた方も多いかもしれないが、とりあえずは地方での電波チェック等の意味も含めて、シンプル携帯を導入。今のところ、必要不可欠なエリアで電波が通じないということもなく、安定して会話ができているので、しばらくしたら乗り換えようかな、と。

追伸2
 おざわさんは、「絶対に非NTT」(DoCoMoを間違っても契約しない)などと風説の流布が一部でなされているようだが、上記で述べたように過去には、NTT系の軍門に下ったことがあり、過剰に毛嫌いしている訳ではない。

 孫さんにせよ、元アスキーの西和彦さんにしても、ベンチャーマインドに対する敬意は、人一倍強いつもりですが…(恨みもあるけど、ね)。

本年もよろしくお願いします

▼10年前。1999年の今頃、自分は何をしていたのだろう?

 なんてことを考えながら、2009年を迎えた。

 正確に言えば、NHK「ゆく年くる年」を視聴しつつ、そばを食べながら、「年越しそば」の定義について議論をしていたら新年になっていた。

 おそらく、98年~99年にかけても同じようなことをしていたに違いない。
機内より
 1989年(さらに10年前)は昭和64年。あの頃も、どんな風に年を迎えたのだろう?(そういえば、当時のお年玉はどこへ消えてしまったのか?)。

 では、逆に、2019年の今頃、自分は何をしているのだろう?
 そばを食べながら、「年越しそば」の定義について議論ができるかな?

▼ジョブスの有名なスピーチに、こんな一節がある(日本語訳は、YouTubeに掲載されているmbp&oo氏のものに基づいている)
 「一日一日を人生最後の日として生きよう。いずれその日が本当にやって来る。」("If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." )

 「今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか。」("If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?")
YouTubeの動画はこちらから
 明日、1年後、10年後を想定しながら、確実に毎日を過ごしていきたい。

▼今年は、これまで逃げてきた「時間」の問題に取り組みたいところだ。

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