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2008年12月

2008年の本

▼今年も各領域で、良質の書籍と出会うことができた。自身の興味に近い領域では、『ラーニングアロン』と、『輿論と世論』の2冊。どちらも歴史的な変遷を追った著書で、多いに刺激となった。私自身の年齢を反映しているのかもしれないが、「歴史」や「系譜学」に興味を持つようになってきたのかもしれない。今さらだが、偶然にも、佐藤卓己氏の著書もしくは編著で、ちとびつくり。
▼仕事関係で「勉強になった」あるいは「刺激を得た」という意味では、ノーマンの『未来のモノのデザイン』と、『Googleを支える技術』の2冊。情報技術やデザインにおいて、「未来」を考える上で重要な内容が示されている。
 新書では、『ウチのシステムはなぜ使えない』はネタにはなるかな…。  分野は違うが、「勉強した」といえば入試についても勉強したのだった。古典を主としてあたっていたが、もともとは今年出た↓がトリガーだった。 ▼今年は、松下電器産業がパナソニックへと名前を変更し、そして三洋電機を子会社化するという、大きな出来事が起きた。松下の経営については、以前から興味を持っていたが、改めて松下に興味を持った1年でもあった。  仕事関係でジョブスを取り上げた関係で、『iPodは何を変えたのか?』は繰り返し読んだことも印象に残っているかな。
▼新書は、とくにあたりと言える本に出会えなかったのが残念。『大学「法人化」以後』は、「勉強になった」類。『最高学府はバカだらけ』『大学の教育力』などと併用して読むと、位置づけが分かりやすいかもしれない。  古書復権という点では、モースの『贈与論』の新装版。
 サイエンスでは、『惑星地質学』に圧倒された。 
  • 宮本 英昭, 橘 省吾, 平田 成, 杉田 精司(2008). 惑星地質学. 東京大学出版会
▼一般書では、平田オリザ氏や内田樹先生の本は相変わらず面白い。  以上、脈絡もありませんが、本年の読書の振り返りでした。

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2008年の振り返り

▼大きなニュースは、第一に、職場の環境がちょっぴり変わったこと。

 仕事の「量」は増える一方、責任の度合いは明らかに多くなった。
 量×責任っていうのは、単純なかけ算ではないらしい。

 しかも、仕事を分散させようにも、統合するだけの力量と暇もなく、ただバタバタしているだけで、一日が終わってしまう日が増えている気がする。せめてブログ(日記)を毎日書けるくらいの余裕があればいいのだけども…。

第二も、職場ネタで恐縮だが、職場にちょっとした自己組織的(カイゼン的?)コミュニティができつつあることも、私的には大きな出来事である。

 私自身、学生時代、偶然にもアシスタントをやることになったことが、その後の人生なりキャリアに大きな影響を与えた。今回も、経緯を言えば本当に「偶然」の出来事に過ぎないし、偶然にも「恩返し」ができる立場になったことに感謝しているが、私も同じような場を提供できているかは後になってみないと分からない。

第三は、金融危機の影響が想定以上に大きく、長引きそうなこと。

 夏に海外へ出た時には、1ユーロ170円以上だったのに、気がつけば120円前後。当時は、ホットドック一つ510円もするのかよ!と思っていたが、今行けば380円弱…なんてことは、ささやかな例に過ぎないが(個人的には、外貨預金が目減りしたことは痛手なのだが…)、変化があまりに大きく、複雑化しているのが気がかりなところである。

 政府は相変わらず柔軟性に欠き、国の借金は増加する一方で、ワカモノと中小企業は相変わらず消耗品扱い。いっそ、「生きているだけで幸せ」と達観してみたいが、凡人にはそれも難しい。日々是煩悩。

第四は、ローカルニュース。大分トリニータの活躍と、大分で開催された国民体育大会が無事に終わったこと。地方の小さなクラブチームでも、あれだけの力を出せるという「事実」を、誇りと今後の力に変えていきたい。

第五は…、タマ出現かしら。おざわさんが「飼っている」という噂がまことしやかに流れているが、我が職場に頻繁にやって来るのは、秋から春にかけて。「暖かさ」を求めているのは確実だが、どこからやってきて、どこへ去っていくのか?は依然不明である。例によってミニオイルヒータ前で、すやすや寝てる姿を激写(写真)。

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無印タマ

▼忙しさにかまけてすっかりブログの更新が滞ってしまっておりました。

大晦日恒例『ドラえもん』を見ながら、本年を振り返ってみたり。
      
写真は、職場のドラえもんタマ。無印の袋にエサがあると思いこんで入り込んでしまったらしい。その後、諦めて睡眠してしまうところがタマらしい。

何にせよ今年一年、無事終えられたことに感謝。

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大阪難波にて再会

▼帰省のため大分→名古屋(空港)へ移動。その後、名古屋(駅)に出て軽くショッピングを楽しみ、近鉄に乗って難波へお出かけ。バーゲンがなぜか年末に繰り上げられた名古屋高島屋と、難波の高島屋をハシゴするため…と言いたいところだが、今回の目的は旧友との再会。

 重力に惹かれ北は東京、南は大分(って、それだけだけど)が大阪に集結。日本橋(にっぽんばし)の電気街を久々に散策し、某所の焼肉店をご紹介いただく。貧乏くじ世代というか、AERA的な「ロスジェネ」(ロスト・ジェネレーションの略ね。念のため)談義で盛り上がりつつ、上質の焼肉を腹一杯食らう。世の中の不条理も矛盾も、脂と一緒に落ちてしまえば良いのに(意味不明)。

 今年最後の贅沢(たぶん)で、年末年始に突入。
 また会いましょう&集合しましょう!

▼追伸 その1
 移動中、今さらながら『テレビゲーム教育論―ママ!ジャマしないでよ勉強してるんだから 』を読む。なんというか、肯定派と否定派、タカ派とハト派、右と左、赤と白のバランスが取れた論っていうのはないのかしら。

 追伸 その2
 住所教えてください。

 追伸 その3
 帰り道、銀歯(かぶせモノと呼ぶのか)が外れてしまう。こんな時期に…。

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前倒しの喪失感

▼クリスマス・イブである。So what?てな具合で、例によって、おはようからおやすみまで仕事。これだけクリスマスに仕事が入るのも珍しいが、せっかくの偶然なので、クリスマスらしいネタを一部顧客に提供しようと頭をひねる。

 クリスマス(イブ)恒例のフランクル『夜と霧』を使おうと思ったが、まだ自分の中でもこなれていないし、かと言って『シンドラーのリスト』はクリスマスとはあまり内容的に重ならない…などと考えているうちに、時間切れ。結局(どういう理由で?)、Appleの創立者スティーブ・ジョブスのスピーチを使うことにした。幸いにもYouTubeに日本語翻訳があったのもありがたい。

 ジョブスが指摘していることは、おそらく、V.E.フランクルが『意味への意志』で述べている次の一文と重なるはず…と思ったのだが、こじつけかしら。
 人間が幸福感を直接に目指せば目指すほど、彼は幸福でありうる根拠を見失い、幸福感そのものは崩壊するのです。言い換えれば、幸福は結果としてついて来るものでなければならず、目指して得ることのできないものだということです。
 ジョブス風に言えば、過去を見て「点と点をつなぐ」ということ。あるいは「死」を意識するということ。このあたりの感覚を説明したくても、ななかな私の言葉では説明しきれないのが、毎度、悔しいところである。かつて頻繁に引用していたが、松岡正剛氏の言葉を借りれば「フラジャイル」。金子郁容先生(最近も、ちょくちょくマスメディアに出ている?)に言わせれば「ヴァルネラビリティ」。

 最近読んだ、内田樹先生の言葉を借りれば、「前倒しの喪失感」という言葉も、なかなな言い得て妙だなと思ったが、結局、この内容は扱わなかった。時間がなかったから…というのは、言い訳かしらん。
 私たちは美しいカットグラスをていねいに扱う。仮にそれと形状も持ち重りも肌触りまでまったく同じ「割れないグラス」があったとして、私たちはその「割れないグラス」に対して、「割れるグラス」と同じような愛着を持つことができるでしょうか。たぶん、持つことができないと思います。でも、これも変な話ですね。「決して割れないグラス」と「まだ割れていないグラス」は、今ここではどちらも「割れていないグラス」という点では同格のはずです。にもかかわらず、私たちは「まだ割れていないグラス、割れる可能性のあるグラス」の方に心惹かれるものを感じる。それは、そのグラスが手から滑り落ちて、砕け散ったときの喪失感を「前倒し」で受け取っているからです。不思議なものですけれど、この「前倒しの喪失感」がそのグラスを使っているときの快楽を増している。(p.253)
 割れないグラス(永遠、完全)を目指す気持ちも確かに大切かもしれないが、喪失感を喪失しないようにしたいものである。

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ルイ・シャンタン(lui chantant)閉店@大分

▼この2週間ほど、「ルイ・シャンタン」(lui chantant)と「閉店」というキーワードで、私のブログをご来訪くださっている皆様。関連する記事ではなくて、偶然にも全く異なる内容が表示されてしまい申し訳ないです。

 ルイ・シャンタン(コバヤシ)は、実店舗が大分県大分市内(中心部)にありましたが、既に閉店しております。楽天市場では「改装」と表示されているようですが、実店舗は「改装」ではなく「閉店」です。

 楽天市場に出店し、一時、大分県大分市内の成功企業と言われていましたし、私のブログでも何度か取り上げていましたが、何があったんですかね…。サブプライム等の問題でなければ、昨年、口コミで不評に陥っていたプランタン銀座の福袋が災いしたのかな…と個人的に思っていますが、詳細は不明です。市街の空洞化が進みつつある昨今、地元企業には頑張ってもらいたいです。

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おかしの家2008(メーキンブ・オブ・お菓子の家)

▼妻が「おかしの家2008」を作成してくれた。昨年は私が無印のキットを購入して作成したのだが、今年は妻が様々な文献等を駆使して、オリジナルにてチャレンジしてくれた(毎年かわりばんこ?)。私のやることがなくなってしまった…と嘆きたいところだが、今年は私があまりに忙しかったのも要因か。

 以下、メーキング・オブ・おかしの家。妻曰く、無印のキットを購入するより安価らしい(そりゃそうか)。我が家は買えない分、せめておかしの家なら…と、むなしいサラリーマン気分である。来年は、おかしのマンションかしら。

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D.A.ノーマン『未来のモノのデザイン』を読む

▼私にとってD.A.ノーマン(の著書)は、自分の人生における原点の一つと言って良い(いったい原点がいくつあるのかってツッコミはなしね)。
 以前もネタにしたことがあるが、もし某大学の小論文の問題を通してノーマンと出会っていなければ(93年出題)、もしかしたら志望校そのもに興味を持っていなかったかもしれないし、コンピュータから「人」に関心を移すことはなかったかもしれない。歴史において「もし」を考えることに意味はないが、出会うべくして出会ったのだと思いたくなるほどの影響力があった。

 予備校に入ってから最後の(1浪以上はあり得なかったが)受験小論文では、創造性に関して、なぜか私はGUIとCUIの違いについて論じた。ちなみにGUIは、マウスでの操作に代表されるグラフィカルユーザインタフェースの略で、CUIはキーボードでの操作(文字=キャラクタね)を意味する。

 今思えば、何故に、Macに代表されるGUIが人間の創造性を豊かにした!的な、今思えば安直な、当時としてはマニアックな(一度も練習したことがない)事例を用いたのか謎でならないが、結果、私の人生も、ある方向に導かれてしまったのだろう。いわゆる再現論文(自分なりに答案を再現し、予備校に高く売りつける提供する小論文のこと)は、「なんだかよく分からないがすごそう」と評されて、何ら後生に貢献できなかったらしいが、これも仕方があるまい。。

 以上、読書メモを書く前のただの前置き。

▼今回の『未来のモノのデザイン』も示唆的な内容が多く、いくつものインスピレーションを得ることができた。「薫陶」って、こういうことを指すのだろうな、と言葉を感覚にしてみたり。ノーマンは、日常感覚を言葉(喩え)にする名手だからこそ、言葉を感覚に変換する「感覚」がよみがえるのだろうな。

 以下、断片的メモと勝手なコメント。

▼その(1) 予想外
 予想外のことについて、我々は次の二つのことを知っている。第一に、それはいつでも起こる。第二に、それが起こるときはいつでも予想外だ。(p.16)
 某社の「予想外」を彷彿してしまう。某社においては、前者の意味合いが強いからこそ、ネタになるのだろうな、と思ってみたりして。

▼その(2)暗黙のコミュニケーション
 何かしら新しいものに出会ったとき、我々はほとんどの場合、それが今までと違う経験だと気づきもせずに、何の問題もなく使う。どのようにしてこれが可能になるのだろうか?我々は一生を通して、数万もの異なるモノたちに出会う。そのほとんどの場合、我々はそれとどう付き合うかをまさしく知っている。教えてもらうこともなく、ためらうこともない。(引用者改行)
必要に迫られれば、まったく新しい解決法をデザインすることができるのも希ではない。それは「ちょっとした工夫」と言われる。ガタつくテーブルを安定させるために脚の下に紙を折りたたんで挟むとか、日差しをさえぎるために窓に新聞紙を貼るなどである。何年も前、この問題を考えていて、答えは暗黙のコミュニケーション、今日我々が「アフォーダンス」と呼ぶコミュニケーションの一形態と関係があるにちがいないと気がついた。(p.81)
 引用後、さらに引用してしまうが「何かしら新しいものに出会ったとき、我々はほとんどの場合、それが今までと違う経験だと気づきもせずに、何の問題もなく使う。どのようにしてこれが可能になるのだろうか?」という疑問は、私的にも永遠の疑問である。「応用力」とか「転移(移転)」などと呼ばれる領域ではあるが、改めて指摘にマーカーを何度も重ねてみたり。

▼その(3)リスクホメオスタシス
 今日、我々は快適すぎる。世界の持つ固有の危険性、複雑で強力な機械の操作に固有の危険性から隔離されすぎている。オートバイや自転車、機械や薬が実際のとおり危険なように見えたら、たぶん人びとは行動を適切に変えるだろう。すべてのものが防音され、クッションが付けられ、消毒されていたら、我々はもはや本当の危険に気がつかないだろう。だから、危険な描写を呼び戻さなくてはならないのである。(p.102)
 リスクホメオスタシスに関連する指摘の一つ。テクノロジー(ノーマンの定義によれば、「人工物や素材、生活との手続きを生み出すために知識を体系的に応用することすべて」 p.114)が発達は、人をある種の「リスク」から遠ざけ、それが結果として新たな「リスク」へとつながる。この矛盾をどう扱っていくかが、テクノロジーを扱うすべての人間に問われているんだろうなぁ…。

▼その(4)考える機械

 最後に登場するノーマンのフィクションは…、自戒のためのルールとして刻み込んでいたい。教員向けのルールに置き換えても(機械を教員に置き換え、人間を児童、生徒、学生に置き換える…)意味がありそうだ。
機械によって作られた、人間とのインタラクションを改善するデザインルール
 1 ものごとを簡潔にする。
 2 人間には概念モデルを与える。
 3 理由を示す。
 4 人間が制御していると思わせる。
 5 絶えず安心させる。
 6 人間の振るまいを決して「エラー」とは呼ばない。(人間のインタビュアによって追加されたルール)(p.234)
 相変わらずただの「メモ」だが、ご勘弁をば。

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読書メモ(ミニ):『早稲田と慶応』

▼タイトルに惹かれて購入。新書的読み物としては、得るところはあったが、良くも悪くもエッセイ的な本だった。「客観的」な立ち位置を取ろうという姿勢は理解できるが、二次的な資料やデータからの参照が多いのが難点。

 確かに、該当資料やデータを知らない読者にとっては参考にはなるが、逆に、データに基づいた言及と、そうでない箇所の落差が目立ってしまったような気がする。「光と影」というタイトルも、若干、誇張があるかしら。私学全般に対する提言も、あたりさわりのない提案…かしら。

 『大学「法人化」以後』と対比的に読むと、私学が抱える問題と、国立大学法人が抱える問題がよりクリアになるかもしれない。

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