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読書メモ(断片):『ニッポンには対話がない』、『電子マネーがわかる』

▼先日の出張の移動中に平田オリザ氏の新刊『ニッポンには対話がない』と、お仕事的に役立ちそうな本ということで日経文庫(新書)の『電子マネーがわかる』を読む。どちらも偶然、手に取った本だが良書だった。

 『ニッポンには対話がない』は、『図解 フィンランド・メソッド入門』の北川達夫氏(フィンランドの教育に関する本では、比較的良書です)と、劇作家 平田オリザ氏との対談形式。フィンランドの教育や、いわゆる「表現教育」(演劇)等に関心がある人にとっては得るところが大きいはずである。

 一方、『電子マネーがわかる』は日本の現状や歴史のみならず、世界の電子マネー事情についてもかなり詳しい。これまで私も電子マネーについては、自分なりに調べてきたつもりだが、管見、新書(入門書)としては、現時点では最適と言える入門書ではないかと思われる。
▼断片もまた断片ではあるが、『ニッポンには対話がない』で、平田オリザ氏が「あとがき」にて記していた一文に痛く共感させられた。オリザ氏曰く、
 文人としてのわたしは、日本は滅びると信じていますし、滅びてもかまわないとも思っています。劇作家としてのわたしの仕事は、かつてチェーホフが、百年前に、滅びゆくロシア帝国の人々を愛情を持って描き続けたように、滅びゆく日本人の姿を記録していくことだと思っています。
 しかし一方わたしは国立大学に勤務していますので、国家に対して多少の忠誠心はあります(まあ、ほんとうにそれは、ほんのちょっとですが)。自由主義経済の原則からいって、外資が日本に入ってくることはしかたありません(※注)。日本の企業も、逆に海外に進出していけばいいだけのことです。しかし、少なくとも、わたしの愛する学生たちが、その企業内で、コミュニケーション能力がないという理由で、あるいは「コミュニケーション能力のない日本人」という偏見によって、奴隷的な労働をさせられることだけは、なんとしても食い止めたい
 そのためにわたしの本業である演劇と、そこに蓄積された知恵が役に立つのなら、やはりそれは、うれしいことに違いありません。(※注:「あとがき」全体を読まないと文脈が読みにくいと思いますが、関心のある方はぜひ本書を手にとってください)
pp.206-207.下線は引用者による
 「日本は滅びると信じていますし、滅びてもかまわないとも思っています」というオリザ氏の見解は、私自身、そう共感するところ大である。しかし一方で、私自身、日本という国で育ってきた故、日本という国がこのまま滅びゆく姿を見たくないし、そのためにも若手に期待するところも大きいと思っている。

▼歴史的に見れば、日本は南北問題における「南」の国々や、アジアの発展途上国の労働者を、「奴隷」のように使ってきたという事実にも目を背けてはならないし、現状を変える努力は引き続き必要であろう。

 しかし、かねてから指摘されてきたこの問題を何ら変えられない現時点での「先進国」(の一員)、一転、途上国に転落した瞬間、どんな未来が待っているか想像するのは難しくない(世界の均衡は、不均衡によって成立していると言っても過言ではない。人類史すべてがそれを証明している…はず)。この危機的な状況をどう打破していくか。著者らのいう「発想の転換」をどう図っていくかという意味で、『ニッポンには対話がない』から得るところは大きかった。

▼一方、電子マネーのような次世代の日本発の技術をどう世界に広めていくか、日本の今後を占う意味で、『電子マネーがわかる』からも得るものは大きかった(結局、私も技術決定論者なのかしら)。

 さて、日本の今後はどうなることやら。

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