一眠り後、図書館へお出かけ
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村上 耕一・斎藤 貞雄(1997).機長のマネジメント―コックピットの安全哲学「クルー・リソース・マネジメント」. 産能大学出版部
桑野 偕紀・塚原 利夫・前田 荘六(2002). 機長の危機管理―何が生死を分けるか 講談社
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複」もあってはいけませんし、同次元で比較検討可能な要素でなければなりません。
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(略)他に適切な用語がないが、メディア・リテラシーは批判的リテラシーの一形態である。それは分析、評価、批判的な<振り返り>reflectionを要件とする。メディア・リテラシーは、「メタ言語」の獲得、つまり、さまざまなコミュニケーション形態や構造を説明する手段の獲得を必要とする。さらにメディア・リテラシーはコミュニケーションの社会的、経済的、制度的文脈や、それらが人びとの経験や実践にどう影響を及ぼしているかについてのより広範な理解を要件とする(Luke, 2000)。メディア・リテラシーは確かに、メディアを使用し解釈する能力を含んでいる。しかしまた、ずっと広範な分析的理解をも伴っている。(pp.51-52)(下線はオリジナルでは強調)振り返り(reflection)や、「メタ言語」は、ここでもキーワードになっている。
この点で、デジタル制作における協働の必要性を主張することが特に重要に思われる。既に述べたように(第8章)、グループ活動は、実用的で職業的な理由だけでなく、教育的な理由からも、メディア・リテラシー教育の実践の既に確立されている一部分である。しかし、こう上記引用のなぞりで恐縮だが、コンピュータ(ソフトウェア)が、コラボレーションを促進する可能性は否定できないが、作業を「個人化」させたり、統合なき「分割」を促す可能性も考慮しないと、深刻な落とし穴にはまってしまう気がしないでもない。いった議論は簡単にはデジタル・メディアの制作現場に応用されない。実際、デジタル・テクノロジーの利用はしばしば制作過程を個人化する傾向がある。(略)子どもは、時には、自分たちの仕事を特別な機能ごとに分担して個々に担えるようにして、対話や議論を避けようとすることもある。
(略)
特にテクノロジーへの高レベルのアクセスがあるところでは、一緒に作業することの利点を明示し、それを積極的に推進する必要がある。個人化の傾向に反対し、グループ活動が相互の自己利益の問題と見られるようにしなければならない。子どもが資料や専門知識、アイデアを共有することのみで仕事を完成させることができるのだと認識する必要がある。
(pp.231-232)(下線はオリジナルでは強調)
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▼今回はお仕事的な本な話題。遅ればせながら、佐藤郁哉先生の『フィールドワーク―書を持って街へ出よう』の増訂版)を入手する。同時に感情社会学系で、私も原著を買ってしまった(が、ほとんど読んでいない)『感情とフィールドワーク』を購入。
佐藤郁哉先生の『フィールドワーク―書を持って街へ出よう』は、私が大学在学中に大きな影響を受けた本の一つだが(私が、統計分野の学習ではなく、フィールドワーク系を重視するようになった契機の一つ)、今回の増訂も学ぶことは多かった。お仕事的にも、以下に目を通し直してみようかな。
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