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読書メモ(断片):『ロボット絶望工場』(鎌田慧)

▼何かで新世代ロボットの記事を読んで、ふと思い返したように『ロボット絶望工場』を読み直す。「絶望工場」というフレーズでピンと来られる方も多いかと思うが、かの『自動車絶望工場』の鎌田慧氏のルポタージュの一つである。
 今時、ロボットが人間を疎外する(ロボットが導入されることで、人間が不要になる)という考え方は「古くさい」というか、当たり前すぎて、敢えて「見て見ぬふりをせざるを得ない」事柄一つかもしれないが、忘れてはならない問題であろう。

 1983年(文庫は1988年)に鎌田氏は、ロボット時代について次のように記している。
 これらの工場では、ロボットが入る前から、労働者の動きは、すでにロボット的であった。と同時に、下請工場の生産も、親会社のメインコンベアの動きに支配されていた。トヨタでは、それを「同調化」と呼んでいるのだが、工場内の精算は明確なひとつの意志に支配される態勢が完了し、そのあとにロボットがやってきたのである。
 つまり、ロボットに転換可能な単純労働が常態化していたからこそ、ロボットに労働者が駆逐されるようになったのである。(p.100)
 今時の世論の風潮はおそらく、「ロボットに労働者が駆逐される」というよりは、「ロボットが労働者を単純労働から救ってくれる」という方向だろう。確かに、後者の方が、より「前向き」だし、ニュース的な価値も高い。しかし、前者の動きも見逃せない。

 私の仕事は(抽象的な言い回しをすれば)、後者を推進する立場ではある。しかし、表裏一体というか、紙一重で前者にもなってしまう。「代替可能性」(低コスト化、効率化)を追求しつつ、一方で「代替不可能」であるためには、何をすれば良いのか。

 代替不可能にするために、情報を独占したり、敢えて複雑化をさせるという方向はたやすいが(意識的、無意識的に人は、こちらの道を選ぶことが多い)、このようなことを続けると、結果として全体に無駄が生じるはずである。

 はてどうしたら良いものか。なーんて結論の出ないことを考えてみたり。

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