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読書メモ:「待つ」ということ(鷲田清一)

▼鷲田清一氏の『「待つ」ということ』を読む。「待つ」ということをめぐって記された、いわば哲学エッセイである(もともとは角川の広報誌への連載記事らしい)。

 前々から気になっていて、私も、本書を入手してから、かれこれ3週間以上が経過した。毎朝・毎夕の通勤時間はもちろんのこと、出張の際に読もうとしているのだが、久々に手強い内容である。内容が極端に難しい訳でも、抽象的な訳でもない。鷲田清一氏が、ここまでたどり着いた時間の重みを感じさせるからかもしれない。

▼「待つ」ということで、時々、私が常々思い知らされるのは、「拉致」や「誘拐」事件のことである。この手の話題は、某国などの主犯者のイメージに支配されがちであり、かつ、ふれるのもなかなか難しい話題かもしれない。しかし、である。突然、最愛のものが、目の前から消えるという事態は、私には想像を絶する世界である(消失には、対象を最愛なものとして浮かび上がらせる効果もあるのは否定しないが)。

 鷲田氏の表現を借りるならば、「期待」や「希い」と、「断念」のあいだを揺れること。あるいは、「忘却」と想起のあいだに、「待つ」という営みが成立するらしい。
 (略)待つことの甲斐のなさ、それを忘れたところでひとははじめて待つことができる。<待つ>ことにはだから、「忘却」が内包されていなければならない。<待つ>とは、その意味では、消すことでもあるのだ。

 抱きながら、消す。この振幅が、じれったさということを<待つ>にもたらす。待ち遠しい、待ちこがれる、待ちわびる、待ちかねる、待ちあぐねる、待ちくたびれる、待ち明かす、待ちつくす…と、このじれを表わす言葉はくどくどしいほどある。

 意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、じぶんを超えたもの、じぶんのちからではどうにもならないもの、それに対してはただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことなくただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」や「希い」を込めなおし、幾度となくくりかえされるそれへの断念のなかでもそれを手放すことなくいること、おそらくはそこに、<待つ>ということがなりたつ。
(pp.16-17. 太字は引用者による。下線は、オリジナルでは傍線)
 こういう宙ぶらりんの感覚の中から、何を生み出せるのか。
 やっぱり、なかなかしんどいなぁ。

 と、相変わらずではあるが、ただのメモになってしまった。

 いずれ本書の内容が分かるようになる日が来ると願いたい。

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