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読書メモ(断片):欲ばり過ぎるニッポンの教育(苅谷剛彦・増田ユリヤ)

▼物事を身近な例で説明する際に、私は「恋愛メタファー」と、「料理メタファー」を使うことが多い。恋愛メタファーは、別名「恋する乙女還元症」とも呼ば、「就職活動は恋愛のようなもの」といった用例が典型的である。料理メタファーは、言うまでもなく森羅万象を料理に喩えることによって成立する(パンチ佐藤によれば「人生はマラソン」だ)。

 恋愛メタファーも、料理メタファーも、スポーツメタファーも、安易な使い方をすると、陳腐な説明になりがちである。しかし、苅谷・増田(2006)らの『欲ばり過ぎるニッポンの教育』における苅谷先生の料理メタファーは、抜群の切れ味である。

 あまりに印象的だったので、メモをしておきたい。
 例えば、総合的な学習の問題点について、苅谷先生は次のように述べている。
 全国津々浦々、小学校だけで二万幾つ、小中学校合わせれば三万校もある学校で、全部で六〇万人いる公立学校の教師に、つまり、今までハンバーガーをつくっていた人に、高級フランス料理店の注文に応じた料理をつくってくれって言ったって、それは制度的にいっても無理ですよ。(pp.64-65)(太字は引用者による)
 言い換える必要はないと思うが、ある種マニュアル化した仕事が期待される小中学校の教員に対して、「総合的な学習の時間」のようなオーダーメイド的対応を期待することの困難性について述べたものと思われる。「ハンバーガー」は、ある種の人にとっては象徴的な意味合いもあり(例:マクドナルド化)、なかなか過激な表現である。

 ちなみに、「マニュアル化されている」と書くと反論される方もおられるかもしれないが、教員一人あたりの人数を考えれば、高級フランス料理店並のサービスを提供するのは非現実的であろう。

 もっとも、小中学校では<食べられるもの>を出しているだけマシとも言える。これが大学教育ともなると消化不良を起こしそうなものや、賞味期限が切れたものを無自覚に出していたりするから困ったものだ(皮肉?)。

▼ハンバーガーとフレンチのメタファーは、何カ所で登場する(説明が遅れたが、本書は苅谷・増田の対談形式で成立している)。関連して曰く、
 (略)依然として今の学校は、実は授業時間の八割方は、ハンバーガーをつくっていて、残りの二割でフレンチをつくろうとしている。それはやっぱり中途半端な状態です。
 だったら最初から、高級料理を求めずに、できるところからやる。そうしたら、失望も大きくなかったし、段階的にいろんなことができたでしょう。なのに、あたかも総合学習を全国一斉にやると、誰も彼も、みんな考える力がつく、と思ったじゃないですか、一瞬。(p.67)(太字は引用者による)
 どうやら、ハンバーガーと高級フレンチの「あいだ」が存在しないらしい。
 なるほどーと思わされる比喩である。

▼料理メタファーは、他にも用いられている。例えば、子育ての問題。とくに、「お受験」的傾向について、苅谷・増田対談では次のように述べられている。
苅谷 (略)今の料理の例で言うと、いくつかの料理をつくると決めて、材料や調味料をそれぞれ決められたとおりに、目分量じゃなくて全部をきっちり計っておく。そして、決められた温度や時間で、フライパンで火を通したり、レンジでチンしたりしたとする。それをテーブルの上に載せたときに、料理の食べ合わせが悪くて、なんだかおいしくない。一皿一皿は、おいしい料理ができたかもしれないけど、これとこれは一緒に食べたくない、みたいな献立になっていたら、食べる側にとっては食欲がわかないでしょう。

増田 その一皿一皿の料理が、親が子どもに与えている教育プログラムのパッケージだということですよね。確かに、おなかはいっぱいになるだろうけれど、その食べ合わせはといったら…。(pp.31-32)
 教育プログラムの「食べ合わせ」に着目するというのは、なかなか面白い。松岡正剛氏がかねてから指摘していた点だと思うが、食べ合わせと同時に、「順序」というのも食事の際には重要である。ハンバーグの後にケーキを食べるか。ケーキの後にハンバーグを食べるか。嗜好的にも、文化的にも本来は「流れ」があるはずである。

 教育の問題に限らず、この手の時系列的な「流れ」や、要素と要素の「組み合わせ」を無視した議論は少なくないのだろう。恋愛メタファーで言えば、この手の要因は恋愛の成就に決定的だと思ったりもするのだが、まあ、それは良しとしよう。

▼ちなみに本書はフィンランドの教育についても多く言及されており、もはやブーム的になってきているフィンランドの教育について知るにも役立つ。

 フィンランドの教育に関しては、さまざまな本が出ているが、最近読んだ中では、『競争やめたら学力世界一』で、バランス良くまとめられている気がする。ただし、「競争をやめたら」と「学力世界一」をタイトル中に入れるのは、ナンセンス。まあ、矛盾した日本の教育のあり方(?)を、適切に示していると言えば、示しておりますが…。
▼さらに興味がある人は、「学力世界一」とか、学力低下の根拠となっているPISA調査の報告書が参考になる。  この手の本のリストもちゃんとまとめていかなくちゃいけないなぁ。

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