▼大分と言えば、「かぼす(以下、カボスと表記)」が有名である。ご当地キティちゃんもカボスをかぶっているし、カボスを使ったおみやげも多い。私も過去に何度か、カボスを食したことがあるが(正確には「使ったことがある」か)、私が住んでいた仙台や金沢、埼玉等では手に入れやすいものではなかった(広島では普通に売っていたが)。
しかし、である。さすがは大分。スーパーではもちろん、コンビニでも、ふつーに売っている。柑橘類としては、やや香りが強すぎる嫌いはあるが、お魚はもちろん、サラダやお肉料理にも使える万能調味料である。
▼私のお薦めは、やはり焼酎のお供かしら。大分地元の麦焼酎(もっとも、いまだに「いいちこ」にトライしたことはない)をロックにして、上からたっぷりのカボスをかけると、これがまたうまいんだな。一度、このおいしさを体験してしまうと、市販の缶酎ハイには、二度と戻れなくなってしまいそうな感じ。
ただでさえ、缶酎ハイのセレクトに困っている昨今(香料や不自然の甘さが苦手になっているらしい)、これを機にすべて自作にしようかな、と思ってみたり。

追伸
関係各位には、これからしばらくはおみやげものとしてお持ちするかもしれません。
なお、楽天では、地元大手のデパートが開いている「
大分うまいものマーケット」にて購入することができる。カボスには、若干、当たりはずれがあるが、このお店なら確実かと。
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▼この数日、すっかり涼しくなった。一時期、日中の部屋の温度は33度を超え、夜でも31度前後を推移していたが(昼は風通しが良かったのでまだ耐えられたが、夜はかなりしんどかった)、最近は日中でも30度前後。夜は、28度前後になりつつある。
それでも十分暑いじゃない!という声が聞こえてきそうだが、この2~3度の差は極めて大きいのである。少なくても私の場合、30度くらいならば体はついていけるが、33度を越えると、かなり体を消耗するらしい。温度の「壁」といったところか。
今期は暑いと言いつつも、エアコン稼働も最小限にとどめることができたし、初めての九州生活にしては合格点かな、と(自己満足)。
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▼大分駅前の花屋さんに「ハバネロ」の鉢植えが、実がついた状態で売られていた。ほー、そんなものが売られているのか、と普段は近づかない(近づけない)売り場に接近。珍しい上に、安かったので(200円)、何のリサーチもなしに購入した。

この値段ならば、実を食べるだけでも、お得な気分である(鉢付きだしね)。しかし、だ。ハバネロのお菓子を食べたことはあっても、実物を食べるのは初めて。素人技でとりあえず一つもぎ取り、包丁で切って、ひとかけら(数ミリ四方)を口にしたら…。
かーらーい
慎重に食したつもりだが、想像を絶する辛さだった。「激辛」の「激」とか、「超」などで形容できるレベルではないのである。
20分は口の中で辛さが持続。しかも、ハバネロをさわった手で、ほおに触れてしまったために、顔全体が熱い、ヤヴァイ(以下略)状態になってしまった。
妻(注:犠牲者)と二人で、しばし悶絶。
▼もっとも、落ち着いた後に、細かく刻んだハバネロを活用し、麻婆なすにしてもらったのだが…。加熱すると適度な辛さに落ち着く模様である。
▼その後、適当にググってみると、ハバネロ栽培日記の類を多数発見できた。やはり慎重に料理をしなければならないようだった。はじめにリサーチをしておけばよかったな…、と例によって、後悔役に立たずの今日この頃。
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▼我が家の近所のパン屋さんでは、クワガタパンが売っている。うぐいすパンに、うぐいす(鳥)が入っていないのと同様、クワガタパンにはクワガタは入っていない。クワガタ型という形をもって「クワガタパン」と呼ばれている模様である。
黒糖パンとおぼしき物質で外骨格が形作られており、中身にはチョコクリームが実装されている。アンパンマンの頭は着脱可能なことで知られているが、クワガタパンの頭部を外すと…。うーむ。嫌な予感。どう考えたってゴキ…(以下略)。
一瞬買おうと思ったが、想像力が購買力に勝ってしまったようである。
▼以前読んだ新聞記事によれば、中南米では、クワガタやカブトムシは「気持ち悪い」生き物と捉えられているらしい。勝手な想像だが、もしかしたら、日本におけるゴキ(以下略)と同じようなイメージなのかもしれない(注)。
フランス人(フランス語)にとっては、蛾も蝶も、同じパピオン(papillon)だし、昆虫に対する感覚は文化的相違が大きいのだろう。
▼(注)記事を確認したら「気持ち悪い」ではなく、「大きくて気持ち悪い」だった。
「コロンビアでは、オオカブトは人気がない。子どもたちにも、「大きくて気持ち悪い」「角やツメではさむから痛い」と厄介者扱い。
http://www.asahi.com/international/update/0819/011.html
実際のところどうなんだろう。
▼追伸
アンパンマンの心理学的分析は少なくないが、神話論的な分析も可能らしい。
個人的には、『
うる星やつら』の方が、神話的分析の価値があるような気も。
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▼内田樹氏の『
街場のアメリカ論』を読み直す。「アメリカ論」の本質から外れるが、スローフード運動についての言及を思い返したので、忘れないようにメモをしておく。
▼本日記でも、何度かネタにしているが、「食」を語るのは容易なことではない。食には、その人の個人史や生活し、家庭環境、地域性、あるいは文化性が、期せずして反映されることが多く、しかも、それに気づくことは簡単なようで難しい。
例えば、スローフードも、それを運動として見ると、ナショナリズム的な考え方に近づいていくというのが、内田樹氏の主張である。第二次世界大戦以前のイタリアやドイツに、今で言うスローフード的な動きがあったとはなぁ…歴史から学ぶことは多い。
スローフード運動はファシズムと北部同盟が生まれたのと同じ土地から発祥しているということ、これは偶然の一致と見過ごすことのできないことです。
というのは、「伝統的食文化の固持」というスローガンは、一九二〇年代にヨーロッパの別の場所でも声高に唱えられたことがあるからです。精白しない「玄米パン」を食べ、都市的・近代的な加工食品を拒否し、自然の中で大地と共感
しようという運動が、イタリアよりもう少し北の国で一斉を風靡しました。
ドイツです。
汚らわしい都会の食物を食べるのをやめて、美しいドイツ固有の伝統的食品に帰ろうという「ドイツの伝統的食文化を守る」という運動はそのうち「ユダヤ的都市文化からゲルマン的自然へ」を呼号するヒットラー・ユーゲントの自然回帰運動に流れ込みました。
あまり知られていないことですけれど、どこの国でも、「食品」にかかわる運動は強い政治性を帯電します。「自然食」運動は例外なしに反近代、反都市、反資本主義、反至上主義的なメンタリティーを惹きつけ、ある種の「大地信仰」に結びつきます。その土地に生きる人間は、その土地で生育された固有の食物を、固有のレシピで食べるべきである。なぜなら、その土地に生きる人間が必要とするすべてのものは、その土地の自然な食物のうちに含まれているから…というものです。(p.66-67)
ファーストフードにせよ、スローフードにしても、どちらかの両端に行きすぎることなく、その背景にある「力」というものに多少なりとも自覚的でありたいものだ。
追伸
『
バナナと日本人』でも『
エビと日本人』も久々に読み直してみよう。
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▼『イノベーションの達人!』を読み進める。以前も少しだけ紹介させてもらったが、本書は、『
発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法 』の続編にあたる本。企業におけるイノベーション(技術革新)に必要な要素を、10のキャラクター(役割)に整理している。役割という観点が面白い。
役割は「情報収集をするキャラクター」「土台をつくるキャラクター」「イノベーションを実現するキャラクター」の3つに分けられており、中でも重要なのは著者曰く「人類学者」だと言う。「観察」=人類学者とは、良くも悪くもステレオタイプ的ではあるが、イノベーションの原点として「観察」を置くのは、理にかなっている。
具体的な役割(キャラクター)は以下の通り。
情報収集をするキャラクター
1 人類学者:観察する人
2 実験者:プロトタイプを作成し改善点を見つける人。
3 花粉の運び手:異なる分野の要素を導入する人
土台をつくるキャラクター
4 ハードル選手:障害物を乗り越える人
5 コラボレーター:横断的な解決法を生み出す人
6 監督:人材を集め、調整する人
イノベーションを実現するキャラクター
7 経験デザイナー:説得力のある顧客体験を提供する人
8 舞台装置家:最高の環境を整える人
9 介護人:理想的なサービスを提供する人
10 語り部:ブランドを培う人
▼本書は具体例も豊富だし、本書を読んでいる(手に取っている)だけで、イノベーションというか、インスピレーションがわき出てきそうなのが良い。
とくに「人類学者」の章で、これはうまいなと思ったのは「デジャブ(デジャヴュ)」の反対語となる「ヴァジュデ」という概念。これは、恋愛論にも使えそうな概念かもしれない。例えば、恋愛において既視感は必要不可欠だが(運命の人というのは、「どこかで出会ったことがある」という既視感なくしてあり得ない)、同時に、すべてを初々しく捉える力がなければ、すべては日常に埋没するか、マンネリ化しがちである、とか。
人類学者は「ヴァジュデ」を通じてひらめきを求める。
デジャヴュの感覚は誰でも知っているだろう。実際に経験していないものを以前に見たことがあるように思う、強い既視感のことだ。「ヴァジュデ」はその反対だ。つまり、前に実際に見たことが何度もあるものを、いま初めて見ているような感覚をいう。私が初めてこの言葉を耳にしたのは、スタンフォード大学教授である友人のボブ・サットンからだったが、そもそもはコメディアンのジョージ・カーリンが言い出した言葉らしい。このヴァジュデの原則を取り入れることによって、人類学者はずっと前からあったのに見過ごされたきたものを「見る」ことができる。普通の人はすぐに見るのをやめてしまうので、ついついそれを見損なってしまい、そこに重要な意味があることにも気づかないのだ。(p.26)
本書のような主張は、どこかで読んだことがある、という既視感を感じつつ、これって新しいかも!と思わせることができれば、何事もうまくいくといったことか。
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▼新書をいくつか物色する。「格差社会」関係の新書が多数出ているが、私的に読むに耐えるものは、文藝春秋の『論争 格差社会』くらいかな…。文藝春秋の「論争」シリーズならではだが、代表的論者の論考が、賛否両論バランスよく取り上げられていて問題の全体像をつかみやすいのが良い。
同時並行で、内田樹『私家版・ユダヤ文化論』を読む。ふむふむ。
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▼大分県の観光者向け広報誌のタイトルは「O-net」である。

補足。日本語版はもちろん、英語版。中国語版。韓国語版もある。
バックナンバーも読める。
- 日本語版(12号)
http://www.pref.oita.jp/10400/o_net/japanese/vol_12/index.html
- 英語版(12号)
http://www.pref.oita.jp/10400/o_net/english/vol_12/index.html
- 中国語版(12号)
http://www.pref.oita.jp/10400/o_net/chinese/vol_12/index.html
- 韓国語版(12号)
http://www.pref.oita.jp/10400/o_net/korean/vol_12/index.html
ただし上記トップページの英語、中国語、韓国語版はリンク切れしている。
(2006年8月23日現在)
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▼西早稲田で予定があったため、念願(?)の都電荒川線にて出勤。今回の出張では、
日記のネタにするために路面電車制覇という野望を形にするために、大塚駅近辺のホテルを敢えて選択したのだった。

え、おざわはいつから鉄ちゃん(注:鉄道マニア)になったの?というツッコミが聞こえてきそうだが、私は単にマニアックな経路が好きなだけである。Wikipediaの「
日本の路面電車一覧」を見ると、私が一度も乗ったことのない路面電車は、まだたくさんあるらしい。
路面電車制覇よりは、地下鉄制覇の方がまだ楽なはずだが、実はまだ地下鉄も制覇していなかったりして(しかも、今となっては地理的にはもっとも近いはずの福岡市地下鉄のみ未達成なのだった)。
▼普段、混雑する電車や、地下鉄などに乗っていると、なかなか外の光景に目を向けないが、路面電車に乗っていると、自然に目を向けたくなるのが良いところである。たぶん。
▼夕刻から、羽田発大分行きの便に乗るまで、後輩にお付き合いいただく。付き合いの悪い私に対して、ありがたいことだ。
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▼本日から、2泊3日で都内へ出張。しかし、台風のため、朝から身動きできず。
乗る予定だった航空機は早々と欠航になってしまった。こりゃダメだと思い、早速、翌日の便に変更してもらうことに。台風関連で、コールセンターに電話するのはこれで3度目である。とりあえず明日の便を確保できた。
お昼に予定していた打ち合わせをキャンセルさせていただき、日程を組み直す。
夜の会合も、結局、どたキャンになってしまった。
後々考えれば、払い戻しをしてもらって、JRで東京へ出るという選択肢もあったが、翌日以降の予定を考えると、ここで無理をしたくなかったのでお許し願いたい。
▼出勤もできず、朝から夕方まで、自宅でお仕事。明日の朝一の便がキャンセルになったら…などと最悪のことは考えず早めに睡眠する。
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▼休み中に読んだ本&買った本で、良かったもの。
『仮想経験のデザイン』は、石井氏らの『
インターネット社会のマーケティング―ネット・コミュニティのデザイン』の発展版。出版は2002年。あれから4年経ったのか…と思わず過去を振り返ってしまったが、最近の動向も含め、何かと学ぶことが多かった。

『イノベーションの達人』は、『
発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法 』の続編的な本。こもよくできた本である。ちなみに『仮想経験のデザイン』と『イノベーションの達人』は、「経験」の「デザイン」という点で共通している。これらは今後も、重要性を増すキーワードだろう。
▼『フラット化する世界』は、『リキッド・モダニティ』の類書かな、と思ったが(フラットとリキッドでは意味が違うが、社会科学系の本にありがちな用法かと)、グローバリゼーションの意味を捉え直すのに最適な本だろう。
トーマス・フリードマンの『レクサスとオリーブの木』はタイトルは目にしたことがあったが、読んだことがなかった。図書館で借りて読むかな。
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▼本日(12日)より、16日まで、お盆休みのため日記の更新をお休みします。
このうち12~13日と、15~16日は、PHSの電波が届きにくいところにいます。
急ぎのご用の方は、ご迷惑をおかけしますが、電子メールにてご連絡ください。
皆さま、よきお盆をお過ごしくださいませ。
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▼所用で、広島を早めに出て、その後、名古屋へ。
途中、落雷の影響で尾道付近で新幹線が止まるというハプニングが。しかも、トンネルの中で停止してしまったので、もう心臓ばくばくだった。
私は基本的に交通運が悪い。高校時代には飛行機が緊急着陸&エンジンから火を噴いて、滑り台からおろされた(この話題は、何度か日記に書いたことがあったか)。京都旅行の際は、地震×2で、東北新幹線・東海道新幹線の2つに閉じこめられた。金沢に住んでいた時は、雪の影響でサンダーバードの中で、車中泊させられた(帰りが遅れたのは2回)。あ、高速バスもエンジントラブルで乗り換えさせられた記憶も…。
▼そんな背景もあり、今回も、復帰までの短い時間ではあったが、自分の運命について考えてしまった。私の脳内で繰り広げられたシミュレーションは以下の通り。
- もし地震だったら→トンネルが崩れた生き埋めになってしまうかも。
- もし重大な事故だったら→トンネルの中で、酸欠になってしまうかも。
- もしテロだったら→生きて帰れなさそうだけど、何故に広島で!?
とりあえず、完全に電灯が消えてもいいように、携帯電話のバックライトをオンにして(私は普段、携帯のバックライトを消している)、食糧と水のありかを確認し、周囲を見渡して出口の場所を確認し…など、危機対策モードに突入。
なーんてことをしているうちに、落雷の停電というアナウンスで一安心(でも、テロだったら、もしかしたらウソかもしれない!なーんて疑ってみたりもして)。
しかし、疑う間もなく数分(6~7分)で、復帰することができたのであった。
めでたし。めでたし。
私は長距離移動の際は、常に飲み物を持ち歩くように心がけているのだが、今後も留意したいところだ(心配性というよりは、単なる小心者かもしれぬ)。
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▼所用で、広島に出張。広島は、気持ち的には半年ぶりである。関係各位にごあいさつ。その後、広島市街で一杯。あらしぼりの梅酒をおいしくいただく。
関係各位にはまたしても、お世話になってしまった。
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▼何度かネタにしているが、かねてから私は、「自分に自信がない」と、自信を持って言い切る人の思考パターンがいまいち理解できないでいる(過去・現在・未来の「自分」像という時間軸を入れて考えれば、ある程度、納得はできるのだが)。
▼だが、最近気づいたのだが、私は私で、他人に対して「自信を持って○×しましょう」と、自信をもって指摘するのにためらいがあるらしい。遠回しか、括弧書きのように「自信を持って」と言う傾向があるのである。うーむ。なぜだろう。
私が「自信を持って」と他者に言う時は、次の3パターンを使うことが多いらしい。
- (1) コマーシャルもじりパターン
Have a break, have a KitKatっていう宣伝があるでしょう。
私ならば、Have a confidence, have a KitKat! と言いたいね。
- (2) アントニオ猪木パターン
アントニオ猪木の名言に、「元気があれば、何でもできる」ってあるでしょう。
僕は「自信があれば、何かはできる」と思うのね。
- (3) 竹内まりや「元気を出して」パターン
竹内まりやの「元気を出して」って歌があるでしょう。
僕は、あの歌を「自信を出して」って聞きかえたいと思うんだよね。
要するに、直接は「自信を出して」とは言わないのである。
一体、これが何の心象の裏返しなのか、本人だけが気づいていないだけかも。
▼人生、「自信」というものが、いったい何なのか分からなくなるくらい「自信」を喪失した方がいい時もあるのかもしれない、と私は思っている(できれば、ない方が幸せなのかもしれないけれど)。だから、安易に、「自信を持て」などと言う気はない、ということなのかもしれない。ま、結局、似たようなことは言っているのかもしれぬが。
自尊心は、自信に言い換えられるのだろうけど、やっぱり分からないなぁ。
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▼猛暑の中、エネルギー危機関連の本を読む。
ポール・ロバーツ 久保恵美子 訳(2006). 石油の終焉. 光文社
▼石油なき世界。危機感を煽るわけではないが、私が生きている間に、果たしてこの危機感は現実になるのだろうか。
以前も何回が話題にしたことがあったかもしれないが、私は、幼少期に『子供の科学』(誠文堂新光社)や今はなき『コペル21』(くもん出版)なる科学雑誌を愛読していたせいか、いわゆる自然環境問題やエネルギー危機には、敏感な方である(言い換えれば、単に節約好きな人間なのかもしれないが)
今振り返っても、オイルショックの余韻がまだ残っていた頃だったからかもしれないが、とくに『コペル21』は、悲観的な未来像を示すことが多く(当人比)、子ども心に「石油がなくなったらどうしよう」と不安に思ったものだ。
▼この危惧感は、大学入学後も、継続して続いていたようで、学部2年の授業のレポートでは、東京電力の講演を題材として
勝手なことを書いている(過去に自分が書いたレポートが、未だに掲載されているのは、まったくもって恥ずかしいものである)。
幼少時には、自分が「科学者」となって、この問題に立ち向かいたいと思っていた(たぶん)が、今となっては、過去の夢物語である(未来の総理なら「再チャレンジ」と言うのかもしれないが、再チャレンジできる領域とは一体何なのだろう)。
新しい世代(あるいは現在活躍中の人たち)が、この「難問」をいかに解決できるか。その支援のために、私(たち)にできることが何なのか、考えたいところだ。
やっぱり原油先物に投資するしかないかな(←おい!)。
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▼昨日の熱中症(の手前)にもかかわらず、バーベキューを挙行。美味しくいただく。
▼しかしである。バーベキュー終了後、完全にダウンしてしまった。
昨年も、同時期に夏バテに見舞われたような気もしないでもないが(昨年は、同日に広島の原爆死没者慰霊に
出かけたことが原因と思われる)、今年は完全にノックアウトだった。お昼のバーベキューの間、数時間活動した後、夕刻まで睡眠。夕食を食べてしばらくして、また睡眠という、食っては寝て生活を繰り広げてしまった。
▼しばらく暑い日が続きそうではあるが、明日から元気を取り戻したいところだ。
▼ノックアウトというと、思い出してしまうのが、ノックアウトマウスである(誤解を招くが、わかりやすい言葉で言い換えれば、遺伝子組み換えマウスのこと)。
睡眠しながら、
利根川進氏の研究のことを、ふと想起する。
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▼所用でお出かけ。日焼け対策を万全にし、帽子とサングラス着用で出かけたつもりだったが、午後3時過ぎに熱中症気味に。「♪息も出来ないくらい 君に夢中なの♪」と歌う間もなく、脳内が沸騰したような感覚に襲われる。妻の助言により大量の水(お茶)を摂取したおかげで、なんとか意識を取り戻したらしい。
▼水分摂取後、塩っ気のあるものを欲したのは(チーかま系)、アルコールを飲みたかったからと言うよりは、水分の浸透度を上げたかったためかと思われる。たぶん。
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▼移動中、いわゆる子育て雑誌に集中的に目を通す。
子育て雑誌の定番と言えば、ベネッセコーポレーションの『
ひよこクラブ
』『
たまごクラブ
』だと思っていたのだが、最近、『
プレジデント Family
』『
日経 Kids
』『
edu (エデュー) 
』などの雑誌が相次いで発刊&定期刊行物化しつつある(AERAからも出ている)。

『
プレジデント Family』 の9月号の特集は「マッキンゼー式頭のいい親子の勉強法」。親子の勉強法の世界にまで某コンサルティング式かよ…と軽くツッコミを入れたくなるが、あの『プレジデント』の「family」なのだから仕方あるまい。
▼私は常々(それが仕事だったからだけど)、保育士&保育園教諭や小学校教員を目指す人たちに、この手の雑誌やムック等に目を通すように指摘してきたつもりだった。
かつては(と言っても1年前の話だけど)、この手の雑誌やムックの登場を、私は、いわゆる「格差」の問題と結びつけて論じててきた嫌いがある。そのため「嫌みっぽい」とか、「自分には関係ない」などという声の方が多数派だった。←これは私のキャラの問題もあるかもしれない。格差の問題を取り上げるのは難しいからな。
しかし、それが良かれ悪しかれ、あるいは効果があるか否かは別として(「理論」と「実践」の間に、どこかしら距離があるように、「コンサルティング型子育て」に何の意味があるのかは謎である)、これらを手に取る人の層と、全くそうでない層の人たちの差は、何かしら広がるのではないかと、ついつい危惧したくなってしまう。
少なくても、この手の雑誌を「読んで」いる人たち、あるいは「○×学習法」のように方法論的な知識を持つ人は、今後、増えていくような予感がする。
いよいよこの手の雑誌の動向から目が離せない状況になってきたのかもしれない。単なる第二、第三の「教育ブーム」なのかもしれないけれど、気になるなぁ。
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▼日記に限らないが、何かを「書く」という行為には、何かしらの「効果」「効用」がある。話を「聞いて」(聴いて)もらえるという経験も、時にありがたいことではある。だが、文字に記す場合は、自分が書いた文章(それは常に過去の行為である)を参照しながら、現在生まれつつある考えをまとめることができる点は異なる。
▼書いては消し、消しては書いて、書いては消して、消しては書いて…。通常、パソコン上で書いている場合、消した痕跡は残らない。私の場合は、ある程度書いたものを消す時は、事前にコピーして、どこかに貼り付けておくことが多い。結果として、書いた文章以上の、断片が蓄積される事になる。私のメモ帳は断片の山である。
推敲というよりは、反芻と呼ぶべきなのだろう。もしかしたら、反芻というよりは、ぐるぐる同じところを回っているだけかもしれないが。
深呼吸をしながら、ため息をつきながら、言葉にならない思いと対峙する。
言葉にならない、という言葉の欺瞞性を超えたところに、何かがあると信じたい。
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▼昨日の「暗黙知」の続き。最近、読み進めていた中山元氏の『思考のトポス』に、「暗黙知」に関する言及があり、しかも、昨日の議論と関係しそうなのでメモしておく。
暗黙知が「イデオロギー的な意味」を持つ可能性があるという点や、暗黙知の概念を利用して、「(理性偏重の)社会の構築のあらゆる試み」を批判するというロジックがあるという指摘(byハイエク)は、「暗黙知」概念を使って何かを説明を試みようとする時に、知っておいても悪くない事実かもしれない。
逆に言えば、何かを批判したい時に「暗黙知」の概念を利用すると、批判が容易になる可能性があるということだわな。でも、両刃の剣であることには違いない。
ただしこの暗黙的な知が生活世界を構成する機能を重視することが、イデオロギー的な意味をもってしまうことがあることにも注意が必要だろう。たとえばハイエクは、理論化することができず、ぼくたちが日常的なルールに従うという形でしか示すことのできない知があることを強調する。
(引用者改行)

ぼくたちは子供の頃から正しい日本語の文法というものを習得している。ほかの人が「間違った」言い方をすると、すぐにそれを指摘できるくらいなのだ。それでいて正しい日本語の文法という理論は確立されていない。正しい日本語と間違った日本語を判断するルールがわかっているのに、そのルールそのものをとりだすことはできないのだ。このルールは「明文化された(言葉で表現された、あるいは明示的な)形で行為者に知られることはなく、行為のなかで守られている」という特徴があるのだ。
ハイエクはこうした暗黙的なルールや知識は、「自生的な」ものであり、それを外部から構成することはできないことを指摘する。このことは正当なことだが、そこからハイエクは人間的な知性によって社会を設計し、構成することの不可能性を説くにいたる。啓蒙以来の理性による社会の構築のあらゆる試みを批判するために、ハイエクは暗黙知の概念を利用するのである。(p.187)
▼それにしても、中山元氏の著作からは学ぶことが多い。氏には、事典形式の著作が多いが、非凡なる才能と説明能力がなければ、一人の著者がこれだけの分量を、偏りなくまとめることは難しいだろう。しかも、高校生レベルから、専門的なレベルまで、文体を微妙に使い分けているからなぁ…。見習いたいところだ。
氏の著作で惜しまれるのは、文献が明示されていない点だったが、最新作の『
思考のトポス』では、必要に応じて文献が示されている。

事典代わりにも使えるし、頭の体操としても使い勝手が良い。
▼ちなみに「トポス」というのは、
トポスというのは場所という意味のギリシア語だ。ところがアリストテレスが『トピカ』という書物で、さまざまな議論において共通に通る場所という意味でトポスの概念を拡張したために、トポスとは伝統的に議論によく使われる主題やパターンを示す言葉となった。中世のラテン語の文化において、少年と老人の対比、朝と夜の対比などのトポスが活用されている。現代でもトピック(議題)という語として、この伝統が残っている。(p.158)
CD-ROM化というかデジタル化してもらえると、なおありがたいかも。
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