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2006年6月

最近の本(その2)

▼最近読んだ本の続き。ややお仕事的領域が重なってしまうのだが、ほとんど「教科書」と言って良いほど、ベーシックに、かつ「もれなく、重複なく」(良い意味での重複はあるかもしれないけれど)示されている良書である。
 ちなみに『授業研究と談話分析』は放送大学の学部向けのテキスト。一方、『教授・学習過程論―学習科学の展開』は、同じく放送大学の大学院向けのテキスト。「学部レベル」とか「大学院レベル」といった言い回しで、内容の難易度を示すことがあるが、前者(学部向け)の方が、後者(大学院向け)よりも内容が高度なような…。

 単に私が後者よりも、前者の世界に「疎い」だけかもしれない。もしかしたら、「学部」とか「大学院」という区切りそのものを疑ってかかった方が良いのかな。

▼本日、ジュンク堂にて以下の本をチェック。
 新曜社のこのシリーズも、「教科書」と呼べる良書が多くてありがたい。

最近の本

▼最近、あまり時間が取れず、読書メモをさっぱり書いていなかった。読んでいなかったわけではないのだが、なんとも業務が多くて…(言い訳)。

 毎月7~8冊程度(5千円?)の枠で購入している新書では『行動経済学 経済は「感情」で動いている』『大学生の論文執筆法』『高校生のための論理思考トレーニング』あたりが、まずまずの内容だったかな。その他は、可もなく不可もなく。

▼『行動経済学』は、とくにオススメ。ただし、『大学生の論文執筆法』は癖が強く、読者を選ぶかも(石原千秋氏の本を過去に読んだことがないと、価値が分かりにくい。論文執筆法の本としては、書かれている内容は基本的だが、語り口は中級)。

▼『高校生のための論理思考トレーニング』は、英語の参考書風の論理思考本。論理的思考の育成と、英語(リーディング)は密接な関係があるはずだが、考えてみれば、こういう切り口の本はなかったかもしれない。

 ちなみに、著者は予備校の英語の先生。私自身、「論理的思考」の重要性を教わったのは、予備校の英語の授業だったりして。良くも悪くも、本書は本当の「高校生」をターゲットとした本である(「高校生のための」という表題でも、本によってはやたら難解だったりするが、この本はあっさりしている)。難点は、引用や参考文献の仕方が、やや独自だし、癖がある点。これも読者を選ぶ本かもしれない。

追伸
 ちなみに、語学書でロジックの重要性を明確に打ち出しているものでは、『標識に従えば英語はスッキリ読める-参考書から生まれた語学書』がある。英語のリーディングではなく、「論理(的思考)」を全面に出しても通じる本でもある。

ホームページの改修を進めています

▼私の日記で利用しているシステム(もサーバ?)の、データベースの整合性に問題が出てしまったようで、現在、修復を検討しているところです。

 さしあたり、20~22日は、トップページを暫定的なものに切り替えて表示させていただいておりました。現在は、Movable Typeの初期画面を使って表示しています。ご迷惑をおかけしますが、完全復旧まで今しばらくお待ちくださいますようお願いします。

追伸
 忙しい時に限って…。再インストールした方が早いかな。

食品添加物

▼私は、どうも添加物や化学調味料(の大量混入)に弱いようである。コンビニ弁当や、ファーストフード、ファミリーレストラン系をあまり好まない(好めな い)のは、実は、添加物や化学調味料に起因していたのかもしれない、と最近思うに至っている。確定はできないが、無意識に私が「好むもの」は、無添加系が 多いらしいのである。

 なぜ「添加物」や「化学調味料」を意識するようになったかのか。
 結果論だが、以下の3つの事実が影響していると思う。

  • (1) 広島に住んでいた際に、私が好んで食べていたお好み焼きは、実はすべて「化学調味料を使わない」タイプのお店だったこと(それまではまったく意識していなかったのだが、最後の親父さんの「解説」を聞いて納得したのだった)。
  • (2) 中華料理でも、リピーターとなっているレストランは「有機系(無添加)」系だった(これも意識していなかったが、レストランガイドを見るとほとんどが「化学調味料を使わない」タイプのお店だったことが発覚)。
  • (3) 「特定の風味」(表現が難しい)がする料理を食べている前後に、アルコールを飲むと、悪酔いする。あるいは翌日までアルコールが残る。

 もちろんこれ以外にも、先に書いたように、コンビニ弁当や、ファーストフード、ファミリーレストラン系をあまり好まない(好めない)し、これらを食した 後には、ほとんど大量のお茶もしくはコーヒーを飲むことが多いこと(に気づいたこと)も影響している。確かに、添加物や化学調味料自体は、否定が難しい部 分もあるが、『』にあるように、やや行きすぎな面はあるのだろうなと思う。

 なんだか嫌な生き方というか、不便な体だな、と思いつつ、今後は意識的に、「ほどほど」の添加物や化学調味料とつき合っていきたいところである。

追伸
 ちなみに『食品の裏側―みんな大好きな食品添加物』を読むと、ますますコンビニ弁当の類は食べれなくなるはずだ。

 それにしても著者の添加物を舌で識別できる能力というのはすごい、と思う。

大学時代学んで有用だったこと

▼仕事的都合で、自分自身が「大学時代学んで有用だったこと(意義があったこと)」と、今後、私が「30年くらいかけて学びたいこと」について考えてみる。

 結論から言えば、大学時代に学んで意義があったと思うのは、以下の4つかな。
  • グループワーク(いわゆる協調学習的)の意義とノウハウ
    経験則的には「三人寄れば文殊の知恵」が得られる可能性が高いし、その可能性を高くしていきたいという気持ちに駆られてしまうのは、これが影響していると思われる。私的には、私の原点とも言える経験。
    (具体的な科目名:学部では「言語と伝達」「対人コミュニケーション」や「環境情報学」。大学院では、知識社会論概論が代表的かな、と思う)
  • 社会調査法的スキル
    質問紙調査、インタビュー調査、参与観察など。これはマーケティング的センスとも言い換えられるのかもしれない。
    (具体的な科目名:学部では社会調査法、統計学関連×2)
  • 情報デザインもしくは認知科学的な発想
    「分かりやすさ」を科学的に捉えることができるのだとか、日常的な事柄も考察の対象となるし、「学び方を学ぶ」こともできるという考え方。
    (具体的な科目名:学部では「認知学習論」「ヒューマン・インタフェース」。大学院では、「認知科学」や「知識表現論」が該当するかな)
  • 心理学の可能性と限界
    とくに臨床心理学や社会心理学の可能性と限界。例えば、「理論」としての有用性と、「現場」での(あるいは自分自身に対する)展開の難しさについて。
    (本領域は、授業で受講したというよりは、独学が大半である。学部卒業後、もっと授業を受講しておけばよかったと思う領域。学部の授業では、故・小此木啓吾先生の授業が代表格。大学院では、放送大学の授業等)
▼それぞれについて簡単に解説してみる。

 グループワーク的な発想は、今も役立っているし、おそらく汎用性は高い。

 社会調査法的スキルの、技法的な部分(統計とか)は、ある程度、短期間で学ぶことはできるが、私自身「マーケティングのセンス」は、時間をかけて学んできたし、実際、習得には時間がかかるような気がしないでもない。直接は関係しないが、私が組織論的な問題に関心を持っている最大の理由なのかもしれない。

 情報デザインや認知科学的な考え方は、現在の仕事のコアの部分だが、自分では十分に使いこなしていないのが難点である。

 この分野で、影響を受けたのはやはり以下の2冊かな。
 心理学の可能性と限界は、上記すべてと関わるかもしれない。理論的(頭では分かっていても)には理解できても、実際的(現場では)には「使えない」ことがあまりに多く、悩んだことも多々あった。臨床心理学分野も、かなり時間をかけて勉強してきたつもりだが、知識を自分と結びつけて実際的に使うのは本当に難しい。

 この分野で最も影響を受けたのは、『心理学と教育実践の間で』である。
 両者に橋を架けることの「難しさ」を学んだことが、私にとっては大学(大学院)で学んだことの最大の意義だったかもしれない。
 一言でいえば、「うまくいかない」経験ということになるだろう。

▼というわけで、今後30年かけて学んでいきたいことについて書こうと思ったのだが、いい加減、眠くなってきたので(25時過ぎだし)、またの機会に。

無印良品週間最終日

▼最近、無印へ行く機会がすっかり減ってしまった。おそらく、理由は単純で、全国有数の規模だった広島店と比較すると、大分はどうしても物足りないからだ。

 私が過去に住んでいた藤沢も、広島店同様に全国有数の規模だったし、金沢も大分ほど小さくはなかったような気がする。ネットで把握できる以上の情報は、大分パルコの無印にはないし、かと言って、大分の他店舗にバスで行くほど元気もない。結局、出張へ行った時に(時間があれば)、足を運んでいることの方が多い気もする。

 とは言え、10%オフの「無印良品週間」なので、久々に大分パルコ店へ行く。とくに新しい発見やインスピレーションが得られた訳ではないのだが(私的には、無印良品やフランフランは、インスピレーションを得る場所だったりもする)、どうでもいいものを買い込んでしまう。私的には、無印良品週間=無駄遣い週間でもあるのかも。

久々に一泳ぎ

▼時間が余ったので出張先で、久々にプールで一泳ぎ。

▼今回行ったプールには、「スチームサウナ」なるものがあって、湿度99.9%(推定値)の高温多湿環境を楽しむことができた。私、恥ずかしながら「スチームサウナ」なるものの存在を知らなくて(普通のサウナは「ドライサウナ」と呼ばれることになるらしい)、入った瞬間に、「なんだこりゃ」とびっくり。最初は、肌にびびっとくる感じがしたが、落ち着いたら気分爽快であった。気分は水餃子である。意外と、珍しい(?)ものらしい。

▼今度は、岩盤浴にでもチャレンジしてみようかなぁと思ってみたり。
 プールは、今後も、しばし続けたいところである。肩こり解消も期待したいし。

名古屋出張(今期2回目)

▼所用で、名古屋に出張。まだ体調が万全ではないらしく、移動中は爆睡だった。朝から夜まで打ち合わせ。夜はホテルでディナー(珍しい)。でも、比較的リーズナブルで、美味しかった。名古屋は、私が高校時代の最後に「大学受験(記念受験)」旅行を挙行した思い出深い場所だったりするのだが(口が裂けても、試験後、パチンコ屋さんへ行ったなどとは言えない)、あれからしてみればずいぶん変わったよなぁ。



▼名古屋には、ヒルトン、都ホテル、マリオットなど有数のホテルがあるが、当然、私が泊まるのは割安なビジネスホテルである。東横インとか、東横インとか。ホテルで食事をした後に、別なホテルへ移動するのはちょっとムナシイものがある。

お休み

▼出張後、体調を崩してしまい(またしても)、更新をサボってしまいました。
 明日から順次復帰させる予定です。

自分の居場所

▼4月に広島から大分に転居し、最近だけでも、熊本、大阪・京都、名古屋、都内近辺、埼玉…(その他、出張があったりするが秘密)などが続いている。しかも、今回は私が学部時代に住んでいたエリアのごく近くに宿泊していたり(すぐ近くでアルバイトをしていた)、古くからお世話になっている関係各位にお目にかかっているせいか、なんだか「ここは何処?」「私は誰?」状態に陥ってしまっているような気がしないでもない。

 原点に戻っていると言えば、原点に戻っているのだが、なんだか過去の記憶のフラッシュバックと、未来から今日を振り返る感覚が重なってしまっているようだ。

▼いったい出張が多い皆様は、どうやって「自分の居場所」を認識しているのか知りたいところである。妻によれば、実家のように「自分が戻る(還る)所があれば」、多少の距離の移動はさしたる問題にならないようだが(ちょっと違う?)、うーん。やっぱり、この数年、移動しすぎなのが災いしているのかな、と思う。

東京出張(今期2度目)

▼今月はなんだか知らぬが、出張の多い月である(来週以降も2度出張がある)。

 大分から東京へは、飛行機以外、手段を考えたくない距離である。

 毎回、ANA(青)かJAL(赤)のどちらに乗るか迷うが、前回はANAに乗ったので、気分転換の意味も込めて、今回はJALに乗ることに。

 以前もネタにしたことがあったが、「ANA派か」「JAL派か」を聞かれても、私は以前から「囲い込まれたくない」症候群というか、JALとANAのマイレージをバランスよく貯めたいと思う派なので、あまりこだわりがないらしい(タイトルホルダーになれば、また話は違うかもしれないが、それでもあんまりこだわらないかな)。
 もっともらしい理由を加えれば、企業風土の違いを体感して、自分自身の観察能力を高めるためでもある(何を観察しているかは定かではない)。

▼しかし、である。久々にJALでタッチ&ゴーで行けるかと思ったら、機材変更とかでWebチェックインができない。1000マイルプレゼントがもらえない…と不安になって(要するに、特別キャンペーンで1000マイルが欲しかったのである)、交渉を試みる。どうやらFAQではなかったようで、本部(マイルセンター?)に問い合わせてもらったり、何だかんだでマイルを得るのに結論が出るのに5分くらいかかってしまった。

 嫌な客にならないよう、終始笑顔で勤めたつもりだったが、冷静に考えると、にこやかに待ち続けている客というのも、気味が悪い気がしないでもない。

▼ちなみに帰りはANAです。うわきものなんだから。ね。

 多くの方にご挨拶に伺いたいのだが、今回は予定が一杯です。ごめんなさい。

追記
 JALとANAを対比的に見なくてもいいじゃない、というご意見をいただいた。

 確かに、その通りではある。しかし、そもそも、上記の事件(?)をネタにしようと思ったのは、手荷物を預けようとした際に、私が荷物に付けていたANAの荷物タグ(ブルーのタグ)を、はがされそうになったからだ。確かに、ちょっとボロボロだったけど、はがそうとしなくたっていいじゃない。良い意味での競争を続けてもらいたいものだ。

コーヒーとアルコール

▼昨日までの疲れが残る中、とりあえず出勤。

▼睡眠不足のせいか、日中のコーヒー摂取量が尋常ではない。夜になれば、夜になったで、気分転換(?)のためのアルコール摂取も増加中。もっとも、私の場合は、アルコールに強くないので、2~3本でコロっと寝てしまうのだが、眠りにつきつつも、このまま、コロっと逝ってしまったらどうしよう、などとどうでもいいことで悩んでしまう。

 もしかしかすると、最近、眠りが浅いのは、変なことで悩んでいるからか。

東京出張(2日目)

▼新宿から本拠地へ移動。偶然ではあるが、行きつけの喫茶店(って、まだそこでは2回しか行ったことないけど)にて、再度打ち合わせ。もっとも、打ち合わせと言っても、本題以外の話題で盛り上がる。とりあえず今回のプロジェクト終了後、やるべき仕事の優先順位を決めなくちゃならぬなぁ。と、少し現実に戻る。

▼昼食はどんぶり屋さん。ちょっとお腹がもたれそうだったが、まずまず。

▼で、本題なのだが、結果が出るのは「来年度」以降ということになった。方向性が間違っていないということを確認できただけでも(弊社判断)、私にとっては収穫だった。何よりも、このような場への参加機会を与えていただいただけでも、ありがたいことである。ご迷惑ばかりかけてしまったが、今後、着実に成果をあげていきたい。

▼飛行機にて、大分へ戻り、車で自宅付近まで送っていただく。羽田発大分行きの最終便は、ANAもJALもなぜか同じ時間に出発するのだが、ANAよりもJALの方が混んでいたらしい。しかも、到着はJALの方が早かった模様。さすが、ワンワールドに正式に加盟しただけのことはある(関係ないか)。

 相変わらず原油高だし、株安だし。インド株は下がったみたいだし。ユーロ高だし。
 あんまりいいことないなぁ。

東京出張(今期初)

▼早朝、大阪から埼玉県は所沢市へ移動。なつかしの所沢と言いたいところだが、感傷にひたる間もなく(航空公園とか、一応は思い出の場所だしな)、お仕事へ出かける。仕事の事は割愛。しかし、何かとお世話になっているKさんに、待ち合わせ場所についてメールを送ろうとしている最中、喫茶店にてくつろいでいる姿を発見されてしまったのがプチ驚きだった。確かに、所沢での選択肢は多くないが、何故に私があの喫茶店にいることがばれてしまったのだろう…(ま、私の行動は単純だからな)。

▼仕事中、重要な連絡が携帯メールに届くが、返信が出せずご迷惑をかける。申し訳ないです。やっぱりPHSを買い換えるかな…(いつもの懸案材料)。

▼夕刻以降は、新宿へお出かけ。打ち合わせと、明日に向けての最終調整。広島にいる時には、なかなか美味しいおそば屋さんに巡り会えなかったのだが、最近、美味しいそば屋さんに連れていっていただている。ありがたいことである。

 深夜まで打ち合わせ。さて、どうなることやら。

▼今日、所沢に出張へしに行っていたこと(私にとっては、原点の場所でもある)と、今日という日が重なった「偶然」について、考えさせられる。

大阪出張(今年2回目)

▼大阪、京都へ出張。ごあいさつと共に、ノウハウを学ばさせていただく。

 久々の伊丹空港(考えてみれば、私は関西空港の方が利用頻度が高い)だったので、プチ迷子になってしまいそうだった。銀行ATMを探していたのだが…考えてみれば、郵便局が真ん中にあったらしい。

 明日(火曜日)は、東京へ出張。お昼には埼玉県入りして、夕刻には都内。
 あさって(水曜日)も、同じく都内で所用。出張の多い一週間になる。

プレゼンテーションとプロモーション

▼プレゼンテーションとプロモーションについての下調べ。

▼「プレゼンテーションとは何か」をテーマとした話をする時、私がよく引き合いに出すのは、映画『コンタクト』の1シーンである(ご存じない人は少ないかとは思うが、『コンタクト』は地球外生命体の探査をテーマとした映画である。原作はカール・セーガン)。

 おおよそ、「科学」の意義というのは、それが基礎的であるほど、社会には認められにくい部分がある。科学的領域の中でも宇宙分野は、とくにその傾向が強い(たぶん)。とくに「地球外生命体(いわゆる宇宙人)探査」ほど、公的に認められにくい分野はないだろう。少なくても経済的側面(お金)の面では自由が効きにくいはずだ(よね)。

 だからこそ、科学研究に従事する人間は社会に対する説明ないしは説得(プレゼンテーション)が不可欠になると思うのだが、、映画『コンタクト』の1シーンは、この手のプレゼンテーションの重要性を示す劇画として、非常に出来がいい。ジョディ・フォスターじゃなきゃ出来ない役だよなぁ…と思ってみたり。

▼もう一つ、「理想的なプレゼンテーション」について語る時に、私がよく利用するのは、Appleのスティーブ・ジョブスのプレゼンテーションである。

 私が、Apple びいきだからというのもあるが(長らくPowerBook G4 を使ってきたが、この度、MacBookに乗り換えるつもり。うしし)、ジョブスのプレゼンテーションは大変に愉快である。愉快と言っても、ジョブスの毛髪が後退してる…とか、そういう付随的な事柄ではない(たぶん)。商品紹介的プレゼンテーションの代表格と言えるほど、プレゼンテーションのセオリー(全体の構造、比較提示など)がおさえられているからだ。

 まだご覧になった事がない方は、ぜひ以下を参照されたい。
 私も仕事の際は、できるだけプレゼンテーションソフトで提示する項目を少なくして、メモ(ノートテイキング)の促進を意識しつつ、口頭で説明するように心がけているのだが、それにしてもジョブスのプレゼンテーションは見事だわな。

▼一方、プロモーション(ビデオ)に関して、最近、個人的に「ヒット」だったのは、任天堂のWiiのプロモーションビデオである。商品のプロモーションに対して、内容(商品特徴)を中心とするのではなく、「利用者」(像)を中心としている所が、さすが任天堂といったところだ。これはソニーやマイクロソフトにはできない芸当だわな。  ジョブスのプレゼンテーションにせよ、任天堂のプロモーション(ビデオ)にせよ、共通する特徴を抽出しつつ、自分自身に活かすことができたら、さぞかし愉しいんだろうな、と思う。「広告」というべきか、「プレゼンテーション」と呼ぶべきか、「プロモーション」と言うべきか分からないが、この手の分野から学ぶべき事は多い。

▼改めて、以下の資料を整理。
  • 天野 祐吉(2002). 広告論講義. 岩波書店
    広告分野で忘れてはならないのは、その悪用可能性である。本書でも言及されているヒトラーの例は、歴史上、決して忘れてはならない事例である。
  • 川崎 和男 (2005). プレゼンテーションの極意. ソフトバンククリエイティブ
    デザイナーによるプレゼンテーションの指南本。プレゼンテーションの「受け手」「送り手」のどちらにとっても、有意義な指摘が多く含まれている。
  • 土井 哲・高橋 俊介(2003). プロフェッショナル・プレゼンテーション. 東洋経済新報社
    説得的プレゼンテーションの「構造」や「作り方」に言及した本。本書を読めば、論理的にプレゼンテーションを構成する手法を理解できるはず。
 なお、プレゼンテーションに関しては、過去の読書メモでも紹介している。

カタカナ英語

▼よく勘違いされるが、私は英語が堪能な訳ではない(英会話は苦手だ)。

 しかし、である。日本語にも不自由な部分があるせいか(私は「漢字」が書けないことで有名である)、さらに、漢語の理解力も不足していたり、語彙が豊かではないこともあって、日常会話の中で「カタカナ語」が頻繁に出てくる傾向があるらしい。

 某アンケートでも、複数の顧客からそのようなご指摘をいただいてしまったし。
 (それ以降、意識的にカタカナ語を使わないように努力しているつもりだが)。

▼だが、どうも最近、またその癖が復活しつつあるらしい。しかも、いわゆるどちらかと言えば、否定的なニュアンスでカタカナを使ってしまう傾向がある模様である。

 例えば、最近では、「それはイグノアした方がいいです」とか、「それはオミットですね」などが代表である。「オミット」に至っては、「オミット」って日本語で何て言うんだっけ?と考えてしまった程だしなぁ。その他、「リグレット」も頻出かもしれない。

 日本語と英語を単純に比較する訳ではないが、この手の否定的なニュアンスというか、「切る」類の用語は、英語の方が便利なのかもしれない。

▼なお、日本語でしか表現しえない用語もある。典型は、「ぼっしゅうと」である(しかも、効果音付き。♪てれっでれっでー。ぷしゅー)。さすがに、まだ会議では使ったことはないが…。「没収」の英訳である confiscate とか forfeiture っていうのは、なかなか日本人には馴染みのない概念だからかもしれない。

読書メモ(断片):文明の構図

▼なんだか、最近、行き詰まっている。と言っても、深刻な行き詰まりではなく、プチ行き詰まり。思わず「息もできないくらい ねぇ 君に夢中だよ♪」と歌ってしまいたくなる程である。私的には、「行き詰まり」と「息ができない」感覚は、新たな可能性を予感させるという意味においてどこか似ている、と思う。

 こういう時は、原点回帰が一番。私の場合は、とりあえず逃避的に『めぞん一刻』を読むことが少なくないが(この点、私は高校時代から行動パターンが変わっていない)、今回は『めぞん一刻』効果も小さいようだ。

 仕方がないので、さらなる古典、『福翁自伝』を読んだり、丸山眞男の『文明論之概略を読む 上 』『文明論之概略を読む 中 』『文明論之概略を読む 下 』に目を通す。「めぞん」と福沢先生を並べるのは不謹慎かもしれないが、私の中では構造的に同値なのである(究極的には、「いったりきたり」型のビルディングストーリーなのである)。

 しかし、である。今日は、両者ともいまいちピントこない。困ったなぁと思いつつ、山崎正和氏の『文明の構図』を読み返す。「文明」つながりではあるが、そういえば、氏の本も「行き詰まった」時に繰り返し、手にしている。理由を察するに、世の中の「両義性」、あるいは「非対称性」と対峙する時の「ヒント」になるからかもしれない。

 例えば、次のような言い回し。
 結論を急げば、知恵の発見とその人格的な語り継ぎと同じく、制度の形成そのものも、人間が野蛮と闘うための方法のひとつであった。そして、すべての文明の現象がそうであるように、教育もまた、内に制度化と反制度化を含んだ両義的な存在なのである
(引用者改行)
教育が知恵を伝えるということであるとすれば、すでにそのことのなかに両義的な側面が芽生えている。知恵は生きて動きながらも、それ自体たえず真実としての権威と秩序を求めているし、伝達のなかには聞き手の自発性とともに、つねに語り手の強制の要素が含まれている。その延長である学校教育が国家統治と国民福祉の両面を帯び、個人にとっても出世の手段と教養獲得のふたつの意味を持つのは当然だろう。(p.93)
  • 山崎正和(1997). 文明の構図. 文藝春秋 (下線は引用者)
 要するに、物事には、どこか両義的な部分がある、ということだ。単純に、「ああすれば」「こうなる」訳ではなく、願えば願うほど、願いは実現から遠ざかり、しかしそれ故に、願いの中身ではなく輪郭だけが強くなってしまうこともあるわけだ。

 さて、どうなることやら。

もう6月。やっと6月。

▼今年に入ってから、なんだか無我夢中なまま、あっという間に6月になってしまった。一方、心のどこかに早く6月にならないかなぁと思っていた部分もあったりして、複雑な心境である(なぜかは秘密。たぶんボーナスは関係ないと思われ)。

▼妻が、調べ物をしてくれて大分にも七夕祭りなるものがあることが発覚。東北人(仙台育ち)としては、七夕祭りは仙台の専売特許だと思っていたのだが、各地にいろいろあるらしい(大学時代、神奈川県平塚に七夕祭りがあることに驚いたのだが)。しかも、「府内」は大分市の古い呼び名だったとは…。無知も甚だしいかも。

 というわけで、今月で大分生活3ヶ月目(実質的には3.5ヶ月か)。
 そろそろ落ち着いて、仕事に取り組みたいところだ。

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