« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月

読書メモ(ミニ):日経文庫(新書)

▼日経文庫(新書)コーナーをのぞいてみたら、今年の2月以降おもしろそうな本が続々とラインアップされていた模様。とりあえず購入してみる。

 個人的には、大学生でも読めるキャリアデザインの本として、『キャリアデザイン入門Ⅰ』は使えるかもしれない。紹介されている理論や具体例もバランスが良いし、さすがである。『メンタリング入門』と『コーチング入門』は、良くも悪くも、「ビジネス雑誌以上」「専門書以下」の内容だが、入門書としては体系的かな。内容も一部重複するような気がしないでもないのだが(概念的にも重なるし)、最初の一冊としてはお勧めかも。
 日経の新書は、いい意味で独自路線を歩んでいて良いかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

熊本出張

▼今日は、熊本へ出張。ちなみに、先週の木曜日~金曜日は、名古屋に出張。

 大分~熊本まで車で移動させてもらったのだが、「九州」の地を実感。東京・東北出身の人間には、まったくもって見慣れない光景なんだもん。北海道や長野的な「広大さ」とはまたひと味違った感覚だった。レンタカーでも借りて、ぜひ遊びに行きたいところである。まずは黒川温泉…かな。2~3ヶ月に一回くらい温泉に行ければ楽しそう。

▼スケジュールをまとめていたら、来月は出張が重なってしんどそう。あちゃー。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

読書メモ(断片):必笑小咄のテクニック

▼米原万里氏は、私が好きなエッセイストの一人である。過去にも『不実な美女か貞淑な醜女か』や『魔女の1ダース』などに、抱腹絶倒&感心・歓心させられてきたが、本書は米原氏が贈る小咄の方法論&傑作集である。
 これまで私も小咄集(ユーモア集)のようなものは、何度か手に取ったことがあった。しかし、小咄の「方法論」について述べられた書籍は、著者が指摘するように見たことがなかったかもしれない。もっちも、本書を読んだからと言って、小咄の創作がうまくなるとは思えないが、小咄に対して造詣が深くなることは間違いない。

▼本書では小咄の方法論的分類として、例えば、「悲劇喜劇も紙一重」「動物と子どもには勝てない」「お株を奪って反撃」「木を見せてから森を見せる」「誇張と矮小化」「絶体絶命の高揚」「権威は笑いの放牧場」などを披露して見せている。いずれの場合も、小咄というのは読者(聞き手)のミスリードと、オチとの落差を愉しむものらしい。

 例として、情報提供の順序を変えることによって、小咄を作る場合を見てみよう。

▼次の話題から、いかに小咄を「作る」か。
当館の訪問者数はあまりにも少ない。世界的にも希有な歴史的遺構や異物を数多く展示しているというのにもったいないことです。(p.38)
 これを米原流に調理すると、以下のような小咄になる。
「この博物館は世界的にも大変貴重な、希有ともいえる歴史的遺構や異物の宝庫ですよね。なかでも最も珍しいものは何ですか?
「訪問者ですね」(p.39)
 座布団一枚!という感じである。本書では、これ以外にも多数の「例題」が用意されているので、小咄のテクニックを磨きたい人にももってこいである。

▼紹介ついでに、Hop Step Jump 的な連続性(著者は「神様は三がお好き」と呼んでいる)を狙った小咄の例として、著者が挙げている例を見てみよう。
 国連が加盟各国の国民に対してアンケート調査を実施した。

 「他の国の人々が食糧不足に苦しんでいるという状況について、あなたのご意見をお聞かせください」という、一見単純きわまりない質問なのだが、世界各国で人々が回答不能に陥るという自体が発生した。その理由は以下の通り。

 アフリカの多くの国々では、「食糧」という概念を理解できない者が続出した。

 西欧諸国では、「不足」という概念を理解できない者が、とくに若い世代で多かった。

 社会主義諸国では、「意見」という概念を理解できない者が大半を占めた。

 そして、アメリカ合衆国では、ほとんどの国民が、「他の国の人々」という概念を理解できないことが判明した。(p.103)
 ブラックな小咄と言えば、ブラックだが、この手の要素抽出力というか、異なる視点から物事を鳥瞰しようとする姿勢には、感銘を受けるばかりである。私的にも、このネタは、社会調査的小咄としても使えそうだ。

▼ちなみに、著者は、「シモネッタ・ドッジ」の雅号を、氏の師匠から与えられたほどの「シモネッタ」の好手である。本書にも随所に、「シモネッタ」が満載されているのだが、それは是非、本書を手に取ってご堪能いただきたい。氏の小咄クイズに悩まされながらも、著者が引用する小咄に、何度も抱腹絶倒させられたことを改めて記しておきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

肩こり

▼私の人生における、これまでのプチ自慢は「肩こりにならない」ことだった。しかし、である。ついに、肩こりが発生するようになってしまった。しかも、人生初めてのことなので、なんだか背中に背後霊を3匹くらい背負った気分である(おまけに背後霊の夢を、何度か続けて見てしまった)。妻にマッサージをしてもらい(ありがたいこおである)、ようやく一週間の疲れを癒すことができたが、来週以降が心配だなぁ。

▼今後は、冷房に伴う冷え性の勃発を防ぐのも課題だな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

私語についての一考察

▼(以下、意図的に文脈レスな文章。想像力で補完すべし)

 なんちゅーか、「私語」の多さにあきれる今日この頃である。
 しかも、注意できる立場の人が、それを注意しない。

 実に悩ましい。

▼私なんぞ、よからぬ想像力が駆けめぐりやすいタイプの人間なので、過剰な注意は確かにできない。「暗い夜道で後から刺されちゃうかも」とか、「不幸のメールが毎日山積みになってしまうかも…」などと、危惧してしまうからだ。

 それ故、私の場合、注意するにしても、「私語が多いと、リンダ困っちゃうぅ(死語)」的なギャグで、一気に、聞き手の力を抜くか(脱力系)、「話を聞いてもらえないとねー、おれってそんなにつまらない人間なのかと疑問になってね、夜眠れなくなっちゃうんだよ」と、自らのメンタルヘルスに訴えかける(ため息系)場合が多い。

 その他、「私語」に対して私がとりがちな対応は…
 (あるいはその結果)、
  • 私語を傾聴、もしくは会話に参加(コミット系)→嫌われる可能性大
  • 私語がおさまるまで、自分の話を中断する(沈黙系)→ちょっとこわい
  • 歌う(歌唱系)(注:ちなみにこの技は、代ゼミの土屋氏(古文)、西谷氏(英語)から伝授された技である。何を隠そう、私も奥の手で一回だけ「小鳥の歌」を歌ったことがあったりする♪小鳥はとっても歌が好き~)→場合によっては「アンコール」が要求or一気に空気が冷却し、修復不可能になる。
 などがあげられる。
 「怒鳴る」というのも、選択肢としてはあるのかもしれない。

▼話題はそれるが、睡眠も問題である。

 睡眠者に対しては(睡眠は、「人に迷惑をかけていないから、問題ないだろう」という人もいるが、私の場合、話を聞いていない人の存在は、結果として、聞いている人の不利益につながることが多いので却下)、以下の対応が考えられる。
  • 「よく寝てますねぇ。思わずスリたくなりますね」(小遊三師匠系)→小遊三師匠を知らないとネタにならない。なお、これに続くギャグは、「私は、フラれたことはあっても、スラれたことはありません。むろん、スったことはありません」である。
  • 「僕も寝ちゃおうかなぁ」(共感系)→場合によっては、ハラスメントにつながるので、十分に気をつけて発言されたい。
  • 「寝る子は育つとは言うけどねぇ、育たないよねぇ」(嫌み系)→嫌われる
 ちなみに、いずれの場合も睡眠者の近くに近づいて話しかけるのがポイントである。その他、最近有効な手法として、自分の携帯をならすというのも手かもしれない。

 結論を先取りすれば、このような涙ぐましい(!?)努力をしているのである。まあ、その前に「魅力ある内容」にせい、というツッコミが先かもしれないが…。

▼話を戻そう。私が疑問でならないのは、何の因子によるのかは知らぬが、超越的な「何か」によって、眼前の「私語」が気にしない人種の存在である。仏の領域と呼ぶべきなのか、もしかしたら防衛機制として「私語」が無意識下に抑圧されるのか、あるいは何かしらの諦念なのか(学習性無気力?)、詳細は定かではない。

 上記のように書くと批判をしているように読めるかもしれないが、批判をしたいのではない。内容それ自体には、さまざまな創意工夫をされているのはよく存じているからだ。

 問題はその伝達(方法)であり、コミュニケーションのスタイルである。私なんかは、共振というのか、相互に響かないと(そういえば、サントリーウイスキー「響」は今年で30周年らしい)、そもそも何かをやろうとするモチベーションが湧かないんだけどなぁ。疑問が湧き出て止まらないのだが、とりあえずは飲んで考えよう(逃げ)。

追伸
 逆の立場からすれば、「つまらない」なりに「楽しむ」方法を見つける必要もあるような気がする。資料の誤字脱字を見つけるとか(私もよくやる)、関連分野の本を読むとか、時間の有効活用法はいろいろある。

 有意義に使わない限り、時間は失われていく一方である。
 現状は、自分で変えようとしない限り変わらないはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

快晴に近いブルー

▼早朝。珍しく限りなく快晴に近いブルーな青空。

 皆さま、ご承知のように世界的な株安が続いている。今日(アメリカ時間)もまた、ダウ平均は下がり、原油は上がっていたので、ブルーな気持ちになりそうだった。が、それにもかかわらず空は青かった。ラジオ体操的に言えば、「希望の朝」(死語)か。というわけで、気を取り直して、久々に日傘を持って出勤。今季初である。

▼昨年、広島の日差しの強さに驚きて散歩にも歩けず、仕方なく日傘を導入したのだが、大分はもっと強いらしい。若い男性(自称)が、黒い日傘に、サングラスをかけて歩く。端から見ると、いろいろな意味で「あやしい」の一言である。白い日傘だったら、いかにも「日傘」っぽいから、誤解は減るかな…(逆に、勘違いされるのも難だが)。

 以上、これからは雨でも晴れても、アンブレラ(意味不明)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

自分の言葉

▼本日記(ブログ)では、繰り返し取り上げているテーマではあるが、「自分の言葉」を持つことの重要性と困難性を改めて考えさせられる。自分の言いたいことは、本来的には「他者に通じることば」でなければならない。そうでなけば、自分自身を説得できないばかりか(自分を説得するというのは奇妙かもしれないが、ごまかしではなく、正統な価値判断をするためには、根拠が必要だ)、独りよがりで終わってしまう。

 結局は、内田氏が言う所の自分自身の「檻」(あいは「壁」と言っても良いのかもしれない)を越えない限りは何も得られないのかもしれない。
 自分が何を言いたいのかを知るためには「他人にも通じることば」を語らなければならない。それが「語法の檻」ということである。そして、「他人にも通じることば」というのは、その定義からして、「誰かがすでに言ったことば」、「その意味がすでに知られていることば」を組み合わせることでしか作り出せないのである。

 その「檻」の中で私たちができるほとんど唯一の創造的なことは、自分ができるほとんど唯一の創造的なことは、自分が何か斬新なことばを語っているつもりのときにすりきれた常套句と繰り返しているという「病識」を持つこと、その兆候を吟味することで「私たちを閉じこめているこの檻の構造と機能」について主題的に考究することである。私はそう思う。(pp.40) 下線は引用者による
▼自分の言葉というものは(あるいは独自性を追求するということは)、他者の肩に乗っかって始めて可能になるものである。それを忘れてはならないはずだ。自分自身への自警も含めて、再度確認しておきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

読書メモ(ミニ):知のツールボックス

▼最近、理由あって大学生向けの「勉強法」の類を読み直しているのだが、ジュンク堂をぶらり散策していたら、専修大学出版局の『知のツールボックス』なる本と出会う。

 実に素晴らしい。価格(630円)といい、本のサイズといい(持ち運びや最近の動向を見れば新書サイズが理想的だと思っていた)、洗練された&偏りのない内容といい(この手の「勉強法」の本は、著者の色が出過ぎる嫌いがあるのだ)、実によくできた本である。

 MECE(漏れなく重複なく)という観点で見ても、私が必要性を感る領域のほとんどが網羅されている。人によっては物足りないと言うかもしれないし、私的にも、もうちょっと既存の研究成果が反映されていればと思う部分もあるが、欲張り過ぎも良くないかな。

 後は、『クリティカル進化(シンカー)論』が文庫化もしくは新書化されればなぁ。
 この3冊があれば、大学で学ぶべき基本的スキルのかなりが身に付く(はず)。

▼そういえば、私が塾の先生をしていた時(数カ所で授業をしていた。「どこ」かは特定しないで欲しい)、私が受け持った生徒の何人かは、専修大学に進学をした。入学後、お目にかかる機会があったが、充実した学生生活を送っていると聞いて安心したものだ。「演習」が楽しいと言っていた記憶がふと蘇ったのだが、なるほどね…。

 当時の皆さん、お元気ですか。私は相変わらずです。はい。

▼とりあえず、数冊購入。この本の重要性をどう理解してもらうかが課題かな、と。

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

読書メモ(断片):喪失と獲得

▼ちょっと前に購入した本だが、改めて読み直してみる。進化心理学領域の本。
 本書の核となるのは、おそらく「8章 奇形の変容」であろう。本書のタイトルでもある「喪失と獲得」について仮説が提示されている章である。

 要約すれば、人の何らかの能力の「獲得」には、「喪失」が先んじている、らしい。つまり、ある能力が失わることで、それを「補償」する動機(インセンティブ)が与えられ、新しい適応戦略を生み出し、結果として、その喪失(損失)埋め合わせようとすると言う。

 この考え方は、心理学的には、ブリッジズの「トランジション」の考え方にも通じそうだ。ブリッジズによれば、何かしらの転機や変化は、終焉→中立→開始というプロセスを経る。始まる前には必ず終焉があり、その過程で何かしらの喪失感を味わう。

 このような考え方は私的にも、納得がいくし、モデルとしても優れていると思われる。 ▼著者曰く、生物進化においては以下のメカニズムが生じているらしい。
・突然変異-遺伝的事故-が、生き残り問題を解決するためにそれまでに進化していた手段の一部を奪いさることによって、ある個体を適応度の減少に向けて脅かす。
・そのため、その個体は、何らかの新しい行動戦略によってそれを補償する動機が与えられる。
・この新しい戦略は、結果的に、適応度における潜在的損失を埋め合わせる以上のことをし、その個体を他個体よりも優位に立たせる。(p.178)
 この証拠として、具体的に示されているのは「体毛の喪失と発火技術の出現」と、「記憶能力の喪失と抽象的思考の出現」の2つである。体毛と火の関係については、何となく想像ができそうな事柄なので、記憶力と抽象的思考について見てみよう。
 (略)現に起こったのは、記憶力の喪失が私たちを解放したということである。私たちの祖先のうちで不幸にも(しかし幸運にも)突然の記憶力の低下に悩まされた人々は、それを埋め合わせる何らかの方法を発見しなければならなかった。そして幸いな結果は、彼らが思いもかけない一連の利益を受けとっていたということである。その利益は、世界についてのまったく新しい思考法に由来するものである。もはや、世界を、互いに特定の関係を結んだ無数の特定の事物からなるものとして描くことはできず、世界を規則と法則によって関係づけられたカテゴリーという観点から理解しはじめなければならなかった。そして、そうすることによって、彼らは、環境を予測し、制御する新たな力を獲得したのに違いない。(p.191)
 現代人より古代人の方が記憶力が良いというのは様々な文献で示される仮説だが、記憶力を失った結果として抽象的思考が発達したというのは魅力的な考えである。

 たぶん、私が常々「制約」という言葉を口にしたり、一見ネガティブな事を言い続けるのも、、自分自身や自分を取り巻く制約(私や私が所属する組織が他よりも劣っている点、あるいは私が持っていない能力)に目を向けることで、始めて、それを「克服」したり「解決」しようとする動機付けにつながる、と信じているからである、と思う。

 分かりやすく言えば、「できない」からこそ「できるようになりたい」と人は願うものだ。

▼進化心理学的な知見と、ブリッジズが言うような「トランジション」のサイクルを重視するのであれば、「喪失」に対してとりあえずバンソウコウを張るような、「一時点の解決」ではなく、中長期的な解決を模索しなければならないはずである。もちろん、そのためには自分のポジショニングを明確にし(喪失感を喪失している可能性だってある訳で)、失われた「何か」を取り戻す「以上」のことをしなければならない。

 進化心理学から学ぶことは多いが、本書もまた得ることが多い仮説に満ちた本。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

新刊書物色

▼新刊書物色。類書が多い分野だが、どちらも独自性が高いかな。

 この手の文献リストも作成せねばなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

常に拡大再生産できる人

▼後輩のブログで「常に拡大再生産できる人」という表現が目に止まる。拡大と言っても、自分を大きく見せる必要はないと思うが、何かしら自分の領域を広げていこうとするマインドは重要だと思う。後輩と共通する師匠の言葉を借りるならば「ジェットエンジンの理論」と呼ぶべきなのかもしれない。

 他者から得たエネルギーを、最大限に活用し(燃費の効率を上げて)、それをもとにまずは自分自身が前進する(take)。これはエネルギーをいただいた他者に対する礼儀であり、結果として、さらなる他者に対するエネルギー(give)につながるものだと思う。give and take が世代を超えて循環するならば、それ以上の喜びはなさそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

口内炎に腱鞘炎

▼毎度おなじみなので、ネタにする気も起きないのだが、例によって口内炎が発生した。今年度、第二号である。通常、チョコラBB攻撃によって完治することが多いのだが、今回は大型で強い口内炎のためか、なかなか治らない。日に日に勢力を増しており、痛みが激しくなっている。気分的には、カトリーナ並かな(台風じゃないけど)。

 この調子でいけば、原油価格は高騰し、穀物市場も混乱。ニューオリンズ(知る人ぞ知る湘○台のスパゲティ屋のこと)も、いけいけである(意味不明)。おまけにねぇ、最近、気分的には一日中キーボードを打っているせいか、腱鞘炎気味で肩がこって仕方がないの。なんとなく、長生きできなさそうな症と名付けることにしよう(注)。

 注:こういう風に自分で言っている人に限って、しぶとく生きようとするらしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

柿の種とチューリップの種

▼雑談。妻と話をしていて、「チューリップの種」の話題で盛り上がる。しかし、話題が出た時には調べる手段がなくて(携帯でググれる環境が早く欲しいと思いつつ、そんなことができるようになったら、ますます自分で考えなくなるような気がする)、改めて検索してみたら、チューリップにも種ができるということが判明(常識!?)。

 ずっと前にも同じことを聞いて驚いていたような記憶があるが、実物を見ないと、実感的に信じることができないのかもしれない。なーんてことを思いながら、ふと『じょうずな勉強法―こうすれば好きになる 』を手に取ったら、チューリップの種の話題が書いてあるじゃない(pp.92-103)。しかも、ちゃんとページの端を折っているので、読んだときにも、「なるほど」と思っていたはずだ。それにしても偶然。
 要するに、勉強法が身に付いていないということか>自分。

▼そういえば、柿の種が「柿の種(植物)」で出来ているという思いこみも、幼少時、しばらく消えなかったような…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

天かすと天ぷらのかす

▼雑談。「天かす」の丁寧語として、「天ぷらのかす」を使うのはいかがなものか、という話題で盛り上がる(って、笑い転げて終わりだったけれど)。

 確かに、「かす」といえば、「かす」なわけだが…。ちなみに、大辞林によれば、てんかす=「天ぷらを揚げたときに衣が離れて散ったもの。揚げ玉(だま)。」とのことだ。他の辞書と比較をしたが、代わり映えがなかったので割愛。

▼ちなみに、「合同コンパ」(合コン)の「コン」は、company の略称。company の語源をたどってみたらおもしろそう…と思ったが、「一緒にパンを食べる仲間」ということらしい。会社の起源も、合コンの起源も実は同じ。結局は、「社交」ということか。「社交」は本来的には意義ある概念なのだが、すれてしまったのが惜しまれる。
 調べてみたら、もうすぐ上記図書の文庫本が出るみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

読書メモ(ミニ):エピソード記述入門

▼やや専門書ではあるが(本日記では、いわゆる「専門書」はふれないことにしている。つもり)、『エピソード記述入門―実践と質的研究のために 』は、応用範囲性が広いというか、「保育、教育、看護、介護、心理臨床…」など、現場に関わる仕事に就く人にとって参考になりそうな内容だったので、軽くメモをしておく。  それにしても最近、「質的研究」に関する本が多いなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

Google Trends

▼Googleが公開した検索キーワード統計データ(Google Trends)が面白い。
  • http://www.google.co.jp/trends
 早速、広島と大分を対決させてみようと、「広島」「大分」と入力してみたら…。
 あかん。かなり負けている。「広島」よりは「福岡」の方が上のようだ。

▼以下、結果を抜粋。

続きを読む "Google Trends"

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

無気力

▼今日は、やる気がないと言うか、はっきり言って無気力状態である。どうせ無気力になるくらいだったら、無重力状態を味わいたいところである。

 仕方がないので、プチ無重力状態を味わいに外出。エレベータで降りるほんの一瞬だけ愉快になるが、今回の無気力さに抗うには微力過ぎた。

 無限に降りてゆくエレベータってないのかなぁ(実在したら恐いが)。

▼何故に、無気力なのか。いくつかの理由が考えられるが、
  • (1)一週間の疲れがたまった
  • (2)上京するつもりだったのにできなかった
  • (3)最近、ドラえもんを見ていない
 あー、そうか。やっぱりドラえもんのせいなのね(そんな訳はないだろうが)。こうなったら、偉大なるスポンサーであるケロッグ(×ノースウェスタン ケロッグ・スクール)に頼るしかない。「トニー、もう力が出ないよ」「カケル君、勇気をあげる!」

 などと一人漫才をしながら、一日を終える。スクワットでもして、むきむきになるか。

追伸
 ちなみに、「カケル君、勇気をあげる!」はトニーではなく、ブリンクである(『青いブリンク』。手塚治虫が原案のアニメ番組)。古い。古すぎる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

読書メモ(ミニ):ロジカルライティング

▼お仕事的関係で、『ロジカル・ライティング』に目を通す。
 論理的に「書く」ことを指南した本。この手の本は目を通しただけでは、文章の書き方がうまくなる訳でも、論理的に考える力が付くわけでもないのだが、ついつい手にとってしまうんだなぁ。この発想は、参考書を買っただけで偏差値が5アップ(本人推定値)したと思いこんでしまう受験生に通じるものがあろう(←私のこと)。

 方向性は『ロジカル・シンキング』と重なる部分はあるが、本書では悪い文章の見本も示してくれていて「反面教師」的な使い方もできるかもしれない。私のようなひねくれ者は、「こうした方がいい」と言われるよりも、「こうしちゃダメ」と言われた方が、納得する度合いが高いので、ダメ例文はむしろ役に立つ。
▼ついでに、野口本と鹿島本と、ベネッセ本をちらちらと読み返してみる。
 小学生から大人まで、作文で悩んでいる人は多いということか。

▼なお、文章の書き方本の比較と言えば、斎藤美奈子氏の『文章読本さん江』が知られる。『文章読本さん江』やや古典に偏りすぎている嫌いはあるが、作文はいにしえからの悩みなのねぇ、ということもよく分かる。  なーんて、ぐるぐる考えているからいっこうに仕事が進まないらしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

読書メモ(断片):遠い未来から今日を振り返る

岡村孝子さんの曲の中で、私がとくに好きな曲(もっとも、嫌いな曲はないけど)の一つに「愛を急がないで」がある。歌詞カードが手元にないので、正確な歌詞の引用ではないかもしれないが、その中に以下のような一節がある。
岡村孝子 作詞・作曲 「愛を急がないで」
いつか遠い未来で今日を振り返る時 二人ほほえみ交わせるといいね
光と影がつつむやさしさの中 そっとあなたを見つめている
 「いつか遠い未来で今日を振り返る時」という部分が、とりわけ私にとってはお気に入りである。これは、私の学部時代のキャッチフレーズ(加藤寛先生のフレーズと言った方がいいのかもしれないが)「未来からの留学生」という言葉とも重なる考え方である(と思う)。このような考え方は、もしかしたら典型的なプロテスタンティズム的なのかもしれないが(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 )、未来のために現在に対して「禁欲」するのではなく、「未来から振り返る」という行為に注目したい。

▼似たようなことは、多くの人が語っていて、例えば、最近読んだ本ではセブンイレブンの鈴木敏文氏の言葉として以下のような一文が印象に残っている。
 「未来に向かって仕事をするとはどういうことか。それは、未来から振り返ったとして、今どうあるべきか、今何をするべきかを考えることです。間違っても、過去の経験や常識の延長上で計画を立てたりしてはいけません。ほかの会社がやっていてうまくいっているからと、ものまねをしたり、後追いを始めたりするのがいちばんよくありません。

 目を向けるなら未来に向ける。ひとびとが本当はそうあってほしいと思いながらも、なかなか難しいなと戸惑っていたり、懐疑的になっている分野に積極的に挑戦してほしいと思います。セブン-イレブンもまわりの多くの人たちが反対したり、将来性を疑問視していたことに挑戦し続けてきました。挑戦しない限り、新しいことはできない。顧客が求めるものは日々変化しますが、ものごとの本質は不変です。(pp.255-256)
 鈴木敏文氏の考え方には、いくつか賛同しかねる部分もあるのだが(例えば廃棄の問題。企業の発展にはつながるかもしれないが、地球の持続的成長につながるかどうか定かでないとか)、「未来から振り返る」という考え方や、あるいは「過去の経験や常識の延長上」で物事を考えないという発想には、私も得るところが多い。

▼ある程度、加齢してしまうと「未来から振り返る」という発想が浮かびにくいのかもしれないし、本来的には「世代間倫理」的な問題が関わる事柄で、「未来から振り返る」ことは容易ではないと思う。しかし、本書のような指摘は、既に多大なる「負債」を背負っている若年齢層に対して、有効なメッセージになっていると思う。

追伸
 『セブン‐イレブンの「16歳からの経営学」』は、 村上龍(2003) 『13歳のハローワーク』 のような便乗本かな、と一瞬思ってしまったのだが、高校生からでも読める経営学の優れた入門書である。内容は、以下の2冊とも重複する部分は多いが、本書を「入門」として、「発展」として以下の2冊を手に取るのも良さそうである。
 高校生向けの「経営学」の教科書作りっていうのも面白そうかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

勢力地図

▼自己紹介の時に使っている地図を更新した。(「どこで生まれ、どこで育ち、どこで学び、どのようなキャリアを歩んできているか…を示す図」と言うとカッコは良さそうだが、なんてことはない。地図に色を塗っただけの話である)

 赤色で塗りつぶした部分は生まれた所。青色は、1年以上住んでいた地域である。生まれる場所を選ぶ選択権は当人にはないが、どこに住むか(離れるか)には、本人の意思が、多少は反映される。

 こうしてみると、やっぱり転々としている感じがしないでもない。

▼以前もネタにしたことがあったかもしれないが、こうやって色を塗っていると「信長の野望」を思い出してしまう自分にマイナス4000点くらい。

▼住んでいる(離れた)、順序としては西へ西へ…と進んでいるらしい(埼玉で過ごした1年が唯一の例外)。ちまたでは「この調子でいくと次は沖縄」説がまことしやかにささやかれているが、香港とか、シンガポールというのも意外と穴場かもしれない。

 なお本地図は、青木先生の「地図を描く!」を利用させていただいている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

読書メモ(断片):才能のない部分をいかにカバーするか

▼先日も断片的な読書メモで紹介させていただいたが『科学者という仕事』は、近年まれに見る(最近少なくなってしまった)良書な新書である。著者の酒井邦嘉氏の著作では、既に『心にいどむ認知脳科学』や『言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか』から私は多大なる影響を受けてきたが(「脳」と「進化論」は、私の隠れ趣味的領域だったりする)、本書はいわゆる「科学(者)論」としても卓越していると思う。
 著者の独自の見解や、論の展開はもちろんのこと。古今東西、科学者のみならず文学や哲学に至るまで、さまざまな文献の(しかも、適切かつ正確な)引用がちりばめられているのが私的にはお気に入りである。著者の教養の深さをうかがい知るばかりである。いやー、世の中にはスゴイ人がたくさんいるものなのね。

▼多数引用されている文献類の中でも、酒井氏の師匠という「堀田先生」(堀田凱樹=遺伝学)の言葉がとくに印象的だったのでメモをしておく。孫引きだが、オリジナルの文献はないようなので、そのまま引用させていただく。
 研究者はみんな研究が好きで好奇心があり、そういう才能を持った人の集まりです。その意味で「好きこそものの上手」と言え、自分に(遺伝子+αにより)与えられた才能でスタートします。才能で勝負というわけです。ところがしばらく走ると、実は自分の才能のない部分がrate-limiting factor(進み具合を制限する要因-著者注)となってきます。
(引用者改行)
実験は大好きだが論文書きが下手な人だなどがその好例です。飛躍ばかりで論理的に進められない人、論理的だが飛躍のない人、PI(独立研究者であるprincipal investigatorの-著者注)になったのに下につく人との人間関係をうまく構築できない人、超有能なのに異性でしくじる人、などです。つまり人生のレースは才能で勝負しているように見えるが、実は最後は才能のない部分をいかにカバーできるかが肝心です。つまり本当は「ない才能で勝負」するのです。まあ、これが人生の面白さとも言えるのではないでしょうか。(p.90)(下線は引用者による)
 上記の「研究者」の箇所は、何らかのプロの道(プロフェッショナル)を目指しているならば、自分自身に置き換えてみても良いのではないかと思う。引用の中でも、とくに「つまり人生のレースは才能で勝負しているように見えるが、実は最後は才能のない部分をいかにカバーできるかが肝心です」の一文は、重要な指摘だろう。

▼私なんかは、この一文を読むとユングの「タイプ論」を思い返してしまうのだが(論理的に考えることを得意とする人は、必ずしも感情を扱うのを得意としていないとか)、自分自身の「才能のなさ」に無自覚である限り、自分が得意としている能力(あるいは、自分に備わっているかもしれない「才能」)を活かしきれない気がする。

 近代科学の考え方はもちろん、能力、才能や適性なども含めて、何かと考えさせられる一冊である。非科学(通常はオカルトが彷彿される?)を目指していないのであれば、どのような立場の人であれ、本書はきっと何かしら意味のある本だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

読書メモ(断片):態度が悪くてすみません

▼私が繰り返し本日記に記しているテーマに「食」がある。食い倒れとか、食べ歩きの話題も少なくないかもしれないが(実際、食べ歩きも好きだし)、今、言わんとしているのは「食」論と呼ぶべきか、「食べる」という行為に対する何かしらの考察である。

 過去にも引用をしているが、精神科医の大平健氏によれば、「食べる」という言葉には「交流」(あるいは「交流性」)的な意味合いが含まれる。逆に「食う」は「攻撃性」を意味する。あるいは鷲田清一氏の言葉を借りれば、他者と食事を共にすることで想像力が醸成される(例えば、自分が作った料理を「おいしい?」と相手に尋ねる瞬間を想像すれば良い)。要するに、食はコミュニケーションの基本なのである。
▼恋愛講座(懐かしい響きだな)的には、食を一緒に楽しむことができるか否かは、彼氏、あるいは彼女との相性を測る一種のバロメータというか、リトマス紙のようなものなのであろう。最近読んだ内田樹氏(『態度が悪くてすみません』)風に言えば、「ご飯は偉い」の一言に尽きる。相変わらずの内田節と言うか、彼の表現はうまい。
 共食(「ともぐい」と読まないでね)というのは社会集団を基礎づけるたいへん重要な儀礼である。同じ食物を分かち合うということは、食物が乏しいときには、全員が一様に空腹を感じ、腹をこわすときは全員下痢になるという、ある種の運命共同体を立ち上げることである。(略)

 逆から言えば、それまで家族で食卓を囲んで美味しく食べられていたご飯が、あるときを境にふと味がしなくなり、それより友だちとハンバーガーを食べたり、一人でカップラーメンを啜(すす)っている方がまだましになる時期が来たとしたら、それは「この共同体の賞味期限が切れました」というアナウンスなのである。家族解体の時期が来たことを私たちは何よりも早くご飯の味から察知する。

 デートでご飯に誘うのは、いっしょにご飯を食べて、もし同じものがいつもより美味しく感じられたら、それは「この人とはうまくゆく」という指標だし、ご飯の味がしないなら、他の条件が揃っていても、うまくゆかない。こういう判断においてはたいてい消化器官の方が脳よりも賢いのである。
 身近な題材だからこそ、今後も「吟味」していきたいテーマの一つである。

▼って、もっと別なことを書こうと思っていたのに、本題に入る前に疲れてしまった。私が言いたかったのは、一人でいるとお酒を飲む量が増える、ということだ。たぶん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

肉まんの作り方

▼妻の実家のN師匠から肉まんの簡単な作り方を教えてもらったのでメモをしておく。実際、食させてもらったが大変に美味しかった。ぜひ自分でも作ってみたい。

 以下、師匠から直伝いただいた小6個分のレシピである。「秘伝」かもしれないのだが、素人が聞いたので肝心な部分は分かっていないかもしれない(秘伝とはそういうものである。公開されるような秘伝は、素人には理解できない。はず)。
(1) 皮の作り方
以下3点を混ぜてから…
牛乳 70cc
ごま油 大1
さとう 大1~3

小麦とベーキングパウダーに入れて、こねる。
小麦粉 150グラム
ベーキングパウダー 小1

ひとかたまりになったらラップにかけて置いておく。耳たぶのかたさ。

(2) 具の作り方
豚肉 100~150グラム
タケノコ、ショウガ、ネギ、ごま油
一味、こしょう、しお等適量(春だったらタケノコを入れても良い)

肉はバラ肉をフードプロセッサーで粗挽きにするらしい。

(3) 具の包み方
皮をのばして、具を入れる。
皮は、13~15センチくらいの円形だったかな(見た感じそのくらい)。
親指と人差し指を使って、くねくね包む。

(4) 焼き方
蒸しても良いらしいのだが、フライパンで焼いても美味しい。
フライパンに油を引いてから軽く焼いて、お湯を足して蒸す。
その後、底に焼き色を付けて終了。
 若干、間違っているかもしれないが、細かいことは気にしないのが大人というものである。なお、ごちそうになりながら(正確には具を包ませてもらいながら)、いくつかひらめきがあった。二重においしさを味わいながら一日を終える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

小木のウド

▼妻の実家に帰省。休日らしく、山菜採りに出かける。ウド、ワラビや…(あれ、名前を忘れてしまった)、ヨモギなどを収穫。「無」(に見えるもの)から、「有」(のようなもの)を得るというのは大変に愉快で楽しい経験である。

 実際は、「無」から何かを得た訳ではなく、天というか時間と呼ぶべき「恵み」を得たのだとは思うが、たまにはこういう感覚を味わいたいものだ。

 ちなみにこの時期のウドは、あまり大きくないらしい(弊社比)。

▼お昼過ぎに、お花(チューリップその他諸々&藤棚)を見物に出かける。デジカメの電池が切れていたのが痛い。こういう時に、充電器が大きいタイプの不便さを実感。本体だけではなく、充電器の大きさもデジカメ選びではかなり重要らしい。

▼夕刻。ゆでたウドに味噌を付けてごちそうになる。「自然」の味わいは格別。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

読書メモ(ミニ):Study Skill

▼Study Skillには「勉強する」だけではなく、「研究する」(スキル)という意味も含まれる…という、言われてみれば当たり前のことを、私は人から教わった(正確に言えば、誰かから聞いて「ふーん」と思ったのだが、誰から聞いたかは忘れた)。

 最近、読んだ『科学者という仕事 独創性はどのように生まれるか』に、これに関連する小話が引用されていて、ちょいとおもしろかったのでメモっておく。
 あるアメリカの晩餐会で、彼(アインシュタイン-著者注)は、十八歳の少女のとなりにすわった。会話は停滞しがちで、そのうちこの隣人はたずねた。

 「あなたのほんとうのお仕事は何なんですか?」「わたしは物理学の勉強をしています」(英語のstudyには、「研究する」という意味がある-著者注)と、すでに髪の白くなっていた科学者は答えた。

 「そのお年になって、まだ物理学を勉強していらっしゃるんですって?」と、少女は目をまるくして答えた。

 「あたしは一年以上まえにすませましたわ」と。
(pp.49-50より。改行位置を変更している)
▼敢えて英語を使う必要もないのかもしれないが、study に含まれる2つの意味の違いについて知ることは、「勉強」と「研究」の違いについて触れる契機にはなりそうだ。

 私が理解する限り「勉強」は、自分の意思というよりは、他に強いられているというニュアンスが含まれるが、「研究」は、自らの探求心や知的好奇心にドライブされることが多い。言葉の違いを無視したとしても、「終わり」があるような「勉強」(上記引用の少女のような)を否定しない限り、永遠に進歩なき世界になってしまう。

 同じようなことは、「仕事」と「労働」の違いについても言えるのかもしれない。ハンナ・アレントが「労働」「仕事」「活動」の違いについて論じたように、人が生き延びていく上で求められる「労働」と、新たな創造や価値を生み出す「仕事」は異なる。

 本来的には、「仕事」(work)も、「研究」(study)も、「探求」(inquiry)に裏付けられている限り、同じようなことなはず(であって欲しい)と思いながら、一日を終える。
  • ハンナ・アレント 志水 速雄 (翻訳)(1994). 人間の条件. 筑摩書房
 久々にアレントを読み直してみてもいいかな。

▼『科学者という仕事』は、久々に新書で読み応えのある良書。中央公論らしい。
 いずれきちんと読書メモで取り上げたい。
 ちなみに上記引用部分は、C.ゼーリッヒ(広重徹訳). アインシュタインの生涯. 東京図書(1974)が出典とのこと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

HEROと憲法

▼憲法記念日である。最近、日経ばかり読んでいたが、久々に目を通した朝日新聞に興味深い記事が書いてあった。憲法記念日にドラマ『HERO』を見よ、とある。

 憲法学者の田村理氏の説である。
 「キムタク好きですか?『HERO』見ましたか?」。必ず憲法の講義で問いかける。この夏、復活するというこのドラマのヒーローは、僕の講義では「権力を持つ者はすべてそれを濫用する傾向がある」と喝破したモンテスキューより重要である。(略)
 『HERO』をご覧になった方はすぐに思い出すことができるかもしれないが、第10話を引用しながら論が進められている。田村氏による要約は次の通り。「木村拓哉さん演じる検事久利生公平は、女性ニュースキャスターへの暴行を警察で自白した被疑者を証拠不十分で不起訴にする。しかし再び彼女が襲われる。被害者も刑事も犯人は別人だと気づきながら、被疑者を追いつめ、自殺させる。納得できない久利生検事は、キャスターから犯人は別人だとの証言をとり、刑事に詰め寄る。そして言う。」
俺達みたいな仕事ってな、人の命を奪おうと思ったら簡単に奪えんだよ。あんたら警察も、俺ら検察も、そしてもマスコミも、これっぽちの保身の気持ちでな、ちょっと気を緩めただけで人を簡単に殺せんだよ。俺らはそういうことを忘れちゃいけないんじゃないすか!
 そうそう。そんな話だった。確かに、私も印象に残っていた話だ。
 (『踊る大捜査線』もそうだが、私はアンチ権力の筋に魅力を感じるのだろう)。

続きを読む "HEROと憲法"

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

疲れがどっとこむ

▼体調を崩してしまった(疲れがたまっていた?)らしく、久々に12時間以上、寝続けてしまった。起きた頃には、軽い脱水症状気味で、すっかりひからびていた。4月中の疲れがどっと出たのかも。さい先は良くないが5月スタート。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »