読書メモ(断片):希望学
- 玄田有史(2006). 希望学. 中央公論新社(中公新書ラクレ)
▼本調査の主たる知見は、キャリア・職業選択において、必ずしも人は(小学生や中学生の時に抱いていた)希望をかなえられないこともあるが、しかし、希望をかなえることができなかったとしても、その希望に修正を加えていくことができれば「やりがいのある仕事」に出会うことができるかもしれないし、「幸福感」につながる可能性があるという指摘にある。玄田氏は「おわりに」で次のような要約をしている。
なるほど。確かに、それを「希望」と呼ぶか呼ばないかは別として、何事も漸次的に「修正」を加えていく姿勢は重要だと思う。同じ希望を持ち続け、さらにはその希望を実現できる人は、才能や運に恵まれたごく一握りにすぎない。その意味で、多くの人にとって、真に効果的な希望についてのメッセージを送るとすれば、「希望は状況に合わせて修正していっていいんだよ、それが結果的にやりがいに出会う確率を高めるのだから」ということだ。
ただし、かつての希望が新しい希望に修正されるとき、そこには多かれ少なかれ、挫折を伴うことになる。挫折には何がしかの苦痛を伴う。しかし、そんな苦痛を乗り越えながら、自分が本当にやれること、そしてやるべきことを見つめなおし、軌道修正の行動をすることで、初めてやりがいに出会えるのだ。
希望とは、人生の修正プロセスを生み出すシーズ(根源)なのである。
(下線は引用者による)(pp.204-205)
私自身、自分自身の「夢」や「希望」をリニアに(直線的に)実現させてきたわけではない。幼稚園の時は「大工」になりたかったらしいし、小学生の時は「宇宙飛行士」yや「天文学(者)」になりたいと本気で思っていた。そうでなくても宇宙関連の職業に就きたかった。これらが回り回って、今は教育関連で未来につなごうとしているらしい。
確かに、いくつかの逆境はあったし、現在のキャリアに関しても「一貫性がない」という指摘を受けることもある(私的には一貫しているつもりなのだが)。しかし、結果的は、「人生の修正プロセスを生み出すシーズ(根源)」としての希望を持ち続けることができたという意味では、運や偶然性も含めて私はとても恵まれていたのかもしれない。私としても、このような意味での「希望」の重要性は他者に伝えていきたいものだ。
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ん、私は住む場所も仕事を選ばないのだと思います。あるいは、自分がこれまで学んできたことを新しい土地で試すことができるのか、確認したい、という気持ちもどこかであるのかもしれません。
▼大分は桜がほぼ満開です。さすがに九州だけあって、満開になるのも早い(まだ九州に住んでいるという実感は薄いのだが)。
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