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読書メモ(断片):感情と社会変動

▼自分の感情(情動と言うべきか)に、自分自身が弄ばれている(「もてあそぶ」とは便利な漢字である)気がしてきたので、感情社会学その他諸々の文献をいくつか読み直す。しかし、二重に分からなくなってきたので、最近読んだ『自己と他者の社会学』の解説を改めて読んでみた。うーむ。分かるようで分からぬなぁ。

 でも、ウェーバーとフロムの「つながり」が見えたのが収穫だった(って、ずっと前にも似たような「発見」をしている気もするが、既に忘却の彼方だ)。
 ウェーバーはまた、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、神の絶対性と人間の無力性を強調するプロテスタンティズムの教え(特にカルヴァンの予定説)が、信者たちに「かつてない内面的孤独感の感情」と救済への不安をもたらし、それが彼らを「世俗内的禁欲」へと動機づけ、結果として資本主義の発展に結びついたという議論を展開したが(ウェーバー 1904-05=1989)、ここでも彼は社会変動を導く感情の働きに注目しているといえる。

 このウェーバーの観点を受け継ぎ、ナチズムの分析に活用したのがE.フロムの『自由からの逃走』である(フロム 1941=1951)。フロムによれば、第一次世界大戦後のワイマール共和制によって与えられた自由が、当時のドイツの民衆、特に「小さな商店主、職人、ホワイトカラーなどから成る下層中産階級」の人々に、解放感よりむしろ「無力、懐疑、孤独、不安の感情」を生み出し、それがナチズム支持の基盤となった。それはむろんナチズムの「原因」ではなかったが、「それなしにはナチズムは発展することができなかった」であろう。ここでも、ナチズムの台頭という大きな社会変動に結びつく感情的要因の重要性が指摘されている。(p..74-75)
 言われてみると、確かにそう思わないでもないのだが、同じ枠組みで、現代の社会のあり用を「切る」ことができるかと言うと、必ずしもそうとは言えない気がする。

 もっとも、私なんかは、感情を「原因」あるいは、何かの「要因」として捉えたくなってしまうから、そう思うのかもしれないのであって、感情を、何かが動き出す「基盤」として捉えれば、また違った見方ができるのかもしれない。

 それにしても、社会一般に共有する「感情」ほど捉えにくいものはないわな。
 (そもそも自分の感情~情動と言うべきか~だってわかんないんだもん)

▼資本主義とはなんぞや?と考え始めることほど厄介なことはないのかも。

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