▼本日記でも、D.A.ノーマンの『
誰のためのデザイン?』は何度となく取り上げたことがあるが、ふと、「
標準化」について調べたくなって読み直す。標準化とは、広辞苑の定義を借りれば「標準に合わせること」「工業製品などの品質・形状・寸法を標準に従って統一すること。これによって互換性を高める」とある。
要するに、何かしらの外的な「基準」(制約)に従わせるといったところか。
▼ノーマンの、デザインの原則(難しい作業を単純なものにするための七つの原則)では、一番最後に「以上のすべて(注:6つの原則)がうまくいかないときには標準化をする」とある。「標準化」は最後の手段、ということらしい。
ちなみにノーマンのデザインの原則は以下の通り(訳書 pp.309-310)
- (1) 外界にある知識と頭の中にある知識の両者を利用する
- (2) 作業の構造を単純化する。
- (3) 対象を目に見えるようにして、実行のへだたりと評価のへだたりに橋をかける。
- (4) 対応づけを正しくする。
- (5) 自然の制約や人工的な制約などの制約の力を活用する。
- (6) エラーに備えたデザインをする。
- (7) 以上のすべてがうまくいかないときには標準化をする。
標準化をするとどんなメリットがあるかと言うと(これもノーマンの言葉を借りると)「標準化のすばらしいところは、標準となった仕組みがどんなに恣意的なものであったとしても、一度学べばそれですむというところにある。人はそれを学んで、効率的に利用することができる。タイプライターのキーボード、交通標識や信号、測定の単位、カレンダー、これらがすべてそのようにできている。一貫してその決まりが守られている限り、標準化はうまく機能する(p.331)とのことである。
▼「どんなに恣意的なものであったとしても、一度学べばそれですむ」というのは確かに便利な所ではあるが、「標準化」されてしばらく経つと、それが恣意的なものであったということそのものを忘れてしまうのが難点である。
QWERT(クワーティ)式のキーボードも、私なんかは富士通の「親指シフト」の存在を知っているから(さらに言えば、私は日本語JISのキーボードは知らぬが、親指シフト入力は、指がまだ覚えている気がする)、疑問に思うことができなくもないが、所与のものとして与えられてしまったら、何故にQWERTなのか、それに疑問に思わないばかりか、「疑問に思う」ということ事態に価値を喪失してしまいかねない気がする。
それを防ぐためにも、「
標準化」の歴史について、考えてみても面白いかもしれない。道路標識って、誰が考えたものなんだろう、とか。
追伸
関係ないが、ちょっと前にタモリクラブを見ていた時に、
国土地理院か何かが紹介されていて(注:タモリは知る人ぞ知る、地理マニアである)、新しい地図記号を募集しているというネタが紹介されていた。国土地理院のWebページを見たら、1月25日に「風車」と「老人ホーム」の新しい記号が決まったらしい。なるほどねーって感じ。
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