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2006年1月

読書メモ(断片):クリティカル・シンキング練習

▼以前、少し手をつけたっきりになっていた『質問力を鍛える クリティカル・シンキング練習帳』を開く。表紙がややお下品(失礼)なのだが、中身はまっとうである。本書で紹介されている「正しい質問-11のクリティカル・クエスチョン」は以下の通り。こういうチェックリストの類は、時々、見直すとためになる気がする。
  • (1) 問題および結論は何か?
  • (2) 理由は何か?
  • (3) どの語句が曖昧か?
  • (4) 価値対立と前提は何か?
  • (5) 記述前提は何か?
  • (6) 推論の誤りはないか?
  • (7) 証拠は十分か?
  • (8) 対抗要因はあるか?
  • (9) 統計に偽りはないか?
  • (10) どんな重要情報が省かれているか?
  • (11) どんな論理的結論が可能か?
 以下、思いつき。複数のクリシン本を読んでもらって、自分なりの「クリティカル・シンキングのチェックリスト」を作るっていう「課題」があっても良いかもしれない。

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PiYO PiYO ふたたび

▼昨日の日記を読み返す。冷静さを喪失していたような気がしないでもない。後付けの解釈って、いかにでもしうるよなぁと、一人ツッコミを入れる。

 そういえば、PIYO PIYOって、サンリオか何かのキャラクターになっていたかな、と思い調べてみたら、発見できず。でも、確かに見たことはある…と不可思議に思い、さらに調べてみたら、ありました。でも、日本ではなくて海外。どうやらシンガポールらしい。空港で見た覚えがあったのは、そのせいだったのか。

 正確には「PiYO PiYO」と書く模様である。
  • http://www.piyopiyosingapore.com/
 「ぴよぴよ」という響きは、海外でも通用するのかしらん。英語で、ひよこが鳴くのはpeep もしくは cheep らしいから、まあ良いのかな。どうでも良い調べ物に時間を割いてしまった今日この頃。

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PIYO PIYO

▼訳あって「クレヨンしんちゃん」を録画して、観ていたのだが(注:通常は平日の19時30分~20時まではクローズアップ現代を録画している。金曜日は広島ローカルのドキュメンタリーが放映されているので、それもついでに録画)、新事実を発見。一部の人にとっては既出なのかもしれないが、しんちゃんにとってのアイドル「ななこおねーさん」が、なんとPIYO PIYOのエプロンをしていたのだ。

▼かなりマニアックなネタではあるが、PIYO PIYOのエプロンは、 高橋留美子の『めぞん一刻』のヒロインである響子さん(管理人さん)が愛用しているヒヨコのエプロンである。うーむ。知る人ぞ知る話だとは思うが(私は人から教えてもらったのだが)、「クレヨンしんちゃん」の映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 』と、高橋留美子(押井守監督)の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』における構造的相似には、実は、それなりの根拠があるのかな…なんてことを思ってみたりして。

▼上記の映画はいずれも、「時間論」あるいは「現実」とは何かを問う上で優れた映画ではないかと思うのだが(正統派で行くならば野矢 茂樹『同一性・変化・時間』だろうか)、ちょっとマニアック過ぎるのかな。少なくても、構造主義的解釈のトレーニングにはなるとは思うのだが…。何にせよ、飛躍しすぎか。

▼思うに、私は「昨日と変わらない今日」を欲する時に、ある特定の作品に触れたがる傾向があるような気がする。人生なんてもん「明日に続く」なんて保障はどこにもないが、それでも人は連続性を希求してしまうらしい。

 なんてことを考えながら眠りにつく。正確に言えば、それもまた希求の一つ。

追伸 あ、さらに言うならば、タルコフスキー の『ノスタルジア』も。これもマニアックさでは上記作品では負けていない気もしますが…(少なくても、メジャーではないわな)。このくらいになると、私も良き読み手ではないです。はい。

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間接的把握

▼仕事がたまっているので出勤しなくてはならないのだが…、布団から家から出たくない気分。遮光カーテンを使っていると、外の様子も分からないしなぁ。とりあえず、布団に入りながらPowerBookを開き、F12(ダッシュボード)を押すと…。あ、外は晴れているが寒い、ということが分かる。便利な世の中である。たぶん。

▼Flight TrackerとGoogle Mapが組み合わさるといいな、と思ってみたり。
 Google Earthを使えばいいんだろうけどな。

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断片的睡眠

▼最近、昼間に、突然、眠くなることが多い。どうやら、夜の睡眠が浅いのが原因らしい。体が(け)だるいので22時近くには寝るのだが、朝2時くらいに目が覚めてしまうのだ。朝4時半くらいまでうだうだ本を読んだり、考え事(謎)をしていると、また眠くなって睡眠→7時起床というのが最近のパターンである。まあ、睡眠時間は確保してるからいいのかな。と思いつつも、昼間、猛烈に眠くなるのは勘弁して欲しいなぁ。

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実況中継ならず

▼結局、体調は優れないわ、仕事は山のようにあるわ、コンピュータの調子が悪いわの三拍子が揃ってしまったので(19日の日記参照)、日記の更新をしばらく休んでしまった。関係各位にお世話になったり、ご迷惑をおかけしたこと、心から感謝すると共にお詫び申し上げる今日この頃。まだ疲れが取れないらしい。

▼昨日から、たまった仕事を急ピッチで進めているのだが…間に合うかしら。

 なお、何人かの方が、ライブドアショックでまたしても資産半減(R)しているのではないかとご心配くださった。ありがたいことである。でもねー、一度ITバブル崩壊を経験してるから、株にはそうそう手を出さないことに決めているの。たまたま日記の更新をしない状態とと、ライブドアショックが重なっただけです。にしても行為の解釈は多様だわ。

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センター試験の実況中継

▼明後日から始まるセンター試験を段階的にネタにしようかと思っていたのだが、体調は優れないわ、仕事は山のようにあるわ、コンピュータの調子が悪いわで(無線LANが瀕死の状態)、良いことがない。とりあえず寝る。

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プロフェッショナル 仕事の流儀

▼昨日、プロジェクトXの後番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見る。プロジェクトXとは違って、過去の業績ではなく、「現在」活躍している人が取り上げられているせいか、私的には本番組の方が、しっくり来る部分も多い。

 とくに今回(昨日放映分)の、「ひたむきに『治す人』をめざせ」では、医師における師匠=弟子関係も描かれていて、手に汗握る思い(謎)だった。いやー、一人前になるのは本当に大変なものだねぇ。その他「修羅場」も描かれれていて、キャリアを考える上でもヒントが満ちている番組であった。今後も、しっかりチェックしようっと。

▼青少年向けの「あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑」と、「アクターズ・スタジオ・インタビュー」(海外番組)に加え、NHKの番組を録画する番組が増えてきたかも(クローズアップ現代は、かなり前からすべて録画中)。
 私自身の持つ「仕事」とは直接的には関係しないかもしれないが、「仕事」について考えるのも「仕事」にしていきたいところである(なんてな)。

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ニッポンのデザイナー100人

▼最近、「デザイン」という言葉を、仕事上、連呼している都合もあって(詳細は略)、デザイン関係の本にできるだけ目を通すように努力している(つもり)。お仕事的には、一見、分かりやすい(言葉が通りやすい)、「使いやすさ」や「使いにくさ」について「デザイン」という観点から取り上げさせてもらっているのだが、知れば知るほど、「デザイン」の世界の奥深さを実感するばかりである。なるほどねー、と合点することもしばしば。

▼というわけで、来年度以降の仕込みをぼちぼち入れなければならないのだが、AERAムックの『AERA DESIGN』もいいかなlと思ってみたりする。1260円ならさして負担にならないかと。

▼もっとも、デザイン的センスというかスキルというか、ロジックを「転移」(知識移転)するのは容易ではないだろうが…。

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さわやかにマニアック

▼元旦にも同じようなことを書いたが、ますます「今年も正念場」の感が強くなってきた。いつものように、思わず『めぞん一刻』を手にとってしまった(相変わらず愛読書なのである)。『めぞん一刻』から、「正念場」に関する言及を引用してみよう。
管理人さん:五代さんは正念場なんですからねっ。
一ノ瀬さん:正念場ねぇ。
朱美さん:あんたくらい 毎年 正念場 迎えている男も めずらしいわね
四谷さん:来年はどんな正念場がくるんでしょうね。
五代くん:あんたらなー。
一ノ瀬さん:パーっと いこう パーっと!!
管理人さん:いーかげんにしてください!!
高橋留美子(1997)(文庫). めぞん一刻 9巻. 小学館文庫(p.134)
 一ノ瀬さん(おばさんである)が言うように、毎年のように正念場を迎える人というのは、実際のところ、あまり多くはないのかもしれない。さて、今年の正念場を越えたとして、来年は、どんな正念場がやってくるのであろうか、なんてことを四谷さんのように思ってみたりして。「正念場」を、何とかして、「一皮むける」契機にしたいところである。

▼私に対する「評価」で、「さわやか」だけど「マニアック」という意見が散見された。「ヲタク」と書かれないだけマシか、と思いつつ、マニアックに対する「さわやか」という形容詞の意味について考え込んでしまった今日この頃。

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読書メモ(断片):世界をよくする現代思想入門

▼たまには形而上学的なことでも考えようと(もっとも、そうは言っても形而下の物事も「見えて」いなかったりするのだが)、『世界をよくする現代思想入門』を読む。ざっくり説明しすぎている嫌いもあるが、章ごとの展開がうまく、かつ適度に断片的なためか、一気に読んでしまった。ちなみに「入門」と言っても、中級以上であろう。
 「世界をよくする」という観点を入れるだけで、現代思想に対するイメージが若干、変わってくるような気がしないでもない。「実践」とか「共同体」については、未だ、私も消化不足ではあるが、中盤以降それが正面から扱われていたのも参考になった。もっとも「共同体」についても、断片的過ぎるというかやや偏りがある嫌いもある。

▼こうやって説明できるのね、という意味で参考になった一文。
 今、瀕死の重病患者を目の前にしているとしましょう。医師Aは「この患者を死に至らしめている原因が明確になるまで、処置はできない」と言います。それに対して医師Bは「原因はどうでもいい。病変部だと思われるところがいくつかあるから、そこを切除しよう」と言います。そしてこの二人の立場は、「どちらも正しい」と言えるでしょう。しかし医師Cは「とりあえず病変部を切除しよう。そしてその後の変化を見て、原因の追及も同時に行い、原因が推定できたら、そのための処置をしよう」と言います。

 より単純化するならば、「構造主義」は「対処療法」です。つまり「とりあえず現在問題となっているものを改変すればよい」という立場です。そして「ポスト構造主義」はそのような構造主義の立場に対して「根幹治療」の必要性を説きます。つまりそれは「原因をつきとめる必要があるのだ」ということです。

 前の例で言うところの医師Cの立場が「二十世紀末に登場した」現代思想であり、前述したブルデューの立場です。それは「実践して初めて問題を明らかにすることができる」という立場です(後略)。(pp.128-129)
 構造主義とポスト構造主義、そして、ブルデューのような実践性を重視する立場の違いを、非常に分かりやすく説明している喩えである(もちろん誤解も招きかねないが)。「構造主義」や「ポスト構造主義」という言葉を知らなくても、その考え方がどちらも大切で、この両極の間に「実践」を位置づけると良さそうだ、ということはこの説明で十分に伝わりそうだ。こういう比喩というか喩えって、やっぱり重要ねー。

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県内出張

▼所用で、県内出張。広島県は三原近辺へ出かける。朝5時半起床の、6時ちょい過ぎ出発。なんでこんなに早く出かけなければならぬのだ…と思いつつ、無事、つつがなくお仕事を終える。帰りは新幹線(こだま)で帰宅。夕刻から、ゼミの飲み会。サプライズプレゼント(?)のケーキをいただいたり、楽しく一日を終えた。

▼中耳炎の都合で一週間は禁酒と言われていたが…、3日坊主になってしまった。

▼関係ないが、広島県の「三原」という地名に対して、石川県の「美川」という地名を思い出してしまった。私が住んでいた当時の、石川県石川郡美川町(現在は、石川県白山市)のキャッチフレーズは、「美川、県一の町(街だったかな)」だった。まあ、うまいキャッチコピーだこと、と当時は思ったのだが、美川憲一とは無関係らしい。

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都内出張

▼所用で、都内出張。珍しく日帰り出張となった。お昼ご飯を食べる余裕もないくらい忙しかったこともあって、要件以外、何も寄り道ができないで終わってしまった。ま、モスバーガでお茶が出来たから、今日の所は満足しておこうかな、と。スタバが近辺に見つからなかったので、珍しく、今日はタリーズのコーヒーを飲みながらの移動だった。

▼移動中、本を2冊ほど読み終える。面白かったので、是非また読書メモで。

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卒業メッセージ

▼卒業生からメッセージを書け、と言われたので時期尚早と思いつつ書いてみる。カミロフ-スミスのことを授業で伝えるのを失念していたことを直前に思い出したので、表象書き換えについて書こうと一瞬思ったのだが、適切な引用が見つからなかった。仕方がないのでトフラーで代替してみた。まあ、趣旨は伝わっているかな、と。

 以下、手書きで書いた文章を再掲(本当のことを言えば、手書きのための下書き)
 ご卒業おめでとうございます。短い間でしたが、皆さんが「成長」していく姿を垣間見ることができたのは、私にとっても大きな喜びです。私としてはできれば皆さんには、この2年間学んだことを「忘れて」、新たな「成長」へと飛躍してもらえればと思っています。

 今後のご活躍を祈念しています。

 「21世紀の無学者とは、読み書きができない者のことではない。学び、学んだことを棄て、さらに学び直すことができない者であろう。」
by アルビン・トフラー(未来学者)
 このトフラーの言葉の出典って…何だっけなぁ(メモしたっきり忘却してしまったらしい)。おそらく、私の「忘却」は悪い意味での忘却である。反面教師にして欲しい。

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中耳炎発症

▼数日前から、耳の調子が芳しくなかったので、またしても突発性難聴!?かと思い、時間を見つけて耳鼻科に行く。結果は…、中耳炎だった。うーむ、昨年は2月に耳の調子を悪くしたのだが、どうもこの時期は、私にとっては健康運があまり芳しくないらしい。抗生物質を処方され、医者からは「酒は厳禁」と言われる。

 このところ、ほぼ毎日のようにお酒を飲んでいたので、ちょうど良い休肝日かな。

▼各種検査と薬代で、約4000円の出費。滅多に私は医者にかからないので、年に一回、二回程度ではあるが、どう考えても、税金の無駄遣いだよなぁ。

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読書メモ(断片):無思想の発見

▼養老先生の新刊を読む。うーん。何と表現して良いか悩ましい。一言で言えば、これって「ハダカの王様」的な本なのかな、と思ってみたりする。つまり、この本を、「分かる」とか「読める」(ハダカの王様で言えば「見える」)と言う人は、実際の所、本質が「分かっていない」「読めていない」のではないか。
 まあ、言わんとしていることは一貫していると思うのだが…。

 おそらく、本書の分かりにくさは、<人というのは実は、一貫していない存在である>(同じではない)という主張を、首尾一貫して(同じように)主張してみせているところであろう。もちろん、この矛盾を越えた所が、著者の「狙い」なんだろうけれど…。無思想とか思想の話もしかり。相反する事柄を、その間の空間で調理してみせてる感じ。

▼バカの壁にも同じようなことが書いてあったかもしれないが、著者の「同じ」という概念についての考察を引用してみよう。
 「同じ」というはたらきしか持たない意識の世界に、それぞれ違う「個性」を持ち込もうというのは、根本的に無理である。世間ではノーベル賞級の学者を、「特別なことを考えた人」と思っているらしい。それを個性とか、独創性とか言う。でも…(略)(引用者注、「違う」という主張が続く)

 (略)本当に個性的かつ独創的であるなら、だれにも理解できないはずだからである。それなら、独創的とか個性的ではなくて、

 「だれにでもわかること」

 を述べただけではないか。つまり「あたりまえ」ということであろう。「とうていあたりまえとは思えない」ことを、じつは「あたりまえなんだよ」と説くことができると、ノーベル賞なのである。それがそう思えないのは、ふつうの世間の人たちこそ、まさに「個性的で独創的」だからであろう。世間の人は「あまりにも個性的、独創的」であるために、ノーベル賞級の「あたりまえ」を自分で思いつくことができないのである。さもなければ、そもそも「まったくなにも考えたことがない」ということにならざるを得ない。

 よく言われる日本語で表現するなら、ほとんどの人は「我がまま」つまり「個性的である自分のまま」だから、普遍的な思考に到達しない。その個性とは、偶然である外的条件、家族、地域、友人、周囲の自然環境などに左右されて生じたものである。そうした条件は人によって当然異なる。そこで通用する自分を自分だと信じているから、個性的で独創的になってしまう。世界中どこに行っても通用し、百年経っても通用する、そんなことを、考えることができないのである。(pp.58-59)
 ノーベル賞を例に用いることは適切だとは思わないが、「大衆」の批判というか、「世間」に対する批判としては、著者ならではの毒舌ぶりである。最近、この手の「大衆」批判というか、「世間」の批判をよく目にするが、この書き方は巧妙だな。

 何故に、これが「無思想の発見」という話につながるのか、上記引用だけでは見えにくいと思うが、「個性的である自分のまま」であることが、自分自身の「無思想」さの「発見」を遅らせている、と書けば少しは解説になるかもしれない。「世界中どこに行っても通用」しないことに中々気づけないのが、日本の「無思想」だしな(たぶん)。

▼著者の主張は、英語に変換できるのだろうか。と、ふと疑問に思ってみたり。翻訳ができれば、優れた「日本人論」になっていると思うのだが…無謀な試みか?

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機内販売

▼とある事情で、珍しく機内販売でとあるものを購入…したかったが、残念ながら売り切れだった。しかし、である。機内販売って、その場で売れ切れでも、通信販売してもらえるらしい。そんなの常識じゃん、と言われそうだが、お恥ずかしながら知らなかった私。とりあえずハガキで注文してみたり。在庫があるといいなぁ。

▼ここだけの話(日記に書いている以上、意味のない接頭辞だが)、機内販売では、航空会社はかなりの利益を上げるらしい(会社によるとは思うが)。なるほどねー。

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初仕事

▼仕事の都合、名古屋経由で広島に戻る。会議は意外と欠席者が多かったような…。特段、議題があるわけでもなく、つつがなく新年最初の仕事を終える。タイトルに「初仕事」と書いてみたが、オフラインと呼ぶのか、自宅持ち込み型の仕事は、年末年始を問わず、営業していたような気がしないでもない。まあ、仕事も趣味みたいなもんだし。

▼移動中の読書。移動中、何冊か読書を進める。読書メモに書こうと思ったが、今回の年末年始は「ハズレ」が多かったような…。というわけで、何冊か新たに購入。

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老と考

▼知っている人にとっては、以下の話題はちょっとした小話に過ぎないだろうが、「新年」らしい話を一つしてみよう。「老」と「考」という漢字には共通点があるらしい。
 老 考
 川崎和男氏は、著書『プレゼンテーションの極意』の中で、「考える」とは、老人のごとく経験を積んでたたずんでいる形象を示している、という説を示している。曰く、
 プレゼンテーションが上手な人は、「こだわり」を持つ人が多い。
 「こだわり」とプレゼンテーションの密接さを、自分に照らし合わせてほしい。
 こだわりに代わるものがある。
 それは、その人自身が体験してきた、経験値というものである。経験値はプレゼンテーションに大きくかかわってくると思う。経験値とは、体験してきた物事への対処の質である。多かれ少なかれ荒波を乗り越えてきた人ほど、話に深みが増し、聞く者を魅了する。
 昔の人は知らず知らず、個人それぞれが特異な体験を積んできたと考えることができる。
 老人とは白髪で腰が曲がっている象形だ。その老人が杖をついて、たたずんでいる。
 その形象が経験からの「考える」ということだ。(p.228)
 ふーん、なるほど。英語やフランス語には、この両者には類似点はなさそうだが(ちょっと調べただけなので、もしかしたら遠い関係があったりして)、確かに、漢字では、言われて見れば、そんな気がしないでもない。

▼関係ないが、占いでよく出てくる「凶」と「吉」も、実は語源があるらしい。
 その話はまた改めて(って、小話ばっかりになってしまいそうだが)

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仙台初売り

▼今年の帰省は、実質的には1泊2日状態。とは言いつつ、初めて妻を迎えての帰省となったので、仙台発祥とも言われる「初売り」に出かける。お恥ずかしい話だが、私、宮城県仙台市近辺に育っておきながら、初売りというものに出かけたことがなかったのである(祖母が東京の人だったから、年末年始は東京にいることが多かったのだ)。

 というわけで、おざわ家史上初の朝8時出発(注:初売りは8時オープンだから、かなり遅い部類である)。妻や妹、母親は別行動で、この時間に福袋が買える訳はないと思いつつ、私はAppleストアに向かってみた。Appleストアで並んでいる人の数を数えたら軽く100人以上が並んでいたので、さくっと諦めて、近辺のストア類を物色。しかし、欲しいものもなかったので、Tシャツ欲しさにとりあえず並んでみる。

 ひたすら寒かったが、おかげでTシャツとバッチをゲット。私は30分以上並んでいたのだが、その後、合流した妻と妹も、しっかりTシャツとバッチをゲット(妬んでいる訳ではない)。まあ、ネタづくりというか、暇つぶしというか(読書も進んだしな)、そんな一日だった。来年は名古屋のAppleストアに並ぼうかな、なーんて思ってみたり。

▼その後、妻の実家に向かうべく仙台→名古屋に飛行機で移動。三重着。

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新年所感

▼2006年を迎えるにあたって、昨年の「新年所感」を読み直してみたら…。昨年は目標を、何ら実現できていないことが発覚。そもそも昨年は何が目標だったかも、完全に失念していたような気がしないでもない。なので、今年は目標らしきことを書かないことにする。おそらく例によって「目標を見つける」ことが「目標」と言ったところか。

▼というのは冗談として、『めぞん一刻』の五代君じゃないが、今年も私にとっては「正念場」になりそうな事柄が起こりそうな予感がしないでもない(五代君にとっては、毎年あるいは毎日が日曜日正念場なのである。関係ないが「毎日が日曜日」というフレーズは「恋人がサンタクロース」とどこか共振する部分があるような気がする)。

 ところで、正念場とは、広辞苑に言わせれば「歌舞伎・浄瑠璃で、主人公がその性根を発揮させる最も重要な場面」あるいは「転じて、ここぞという大事な場面・局面」を指すらしい。「ここぞという大事な場面・局面」かどうかは未来になってみないと分からないが、毎日が正念場であるという心持ちだけは大切にしていきたい。
 例によって、よく分からない「新年所感」だが、何気ない毎日を送りたいものだ。

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