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2005年12月

今年もいろいろ

▼今年も大晦日を迎えることになってしまった。今年は(も)、「いろいろ」あった年だった。第一は結婚だとは思うが、第二に広島へ異動し、第三に祖母がなくなった(月日順)。結婚というのは象徴的な「死」という意味合いがあると聞いてはいたが(ブリッジズによれば、何かを「開始」する前には、「中立圏」と呼ばれるニュートラルな時期があって、その前には「終焉」がある。終焉→中立圏→開始の過程こそ「転機」の本質らしい)、今年は良い意味で死にゆく自分と、新たに立ち上がりつついる自分の「あいだ」を経験できた一年だったのかもしれない。この「あいだ」も、一生続くものなのかもしれぬが…。

▼来年も「いろいろ」あるのかもしれないが(つくづく「いろいろ」というのは便利な言葉である。いろいろと言っても、せいぜい虹の色くらいの数しか挙げられないものだ。本当は無限に近い色があるはずだが、言葉にしうる色は有限だからな)、色あせることなく、自分なりの色を作り出していきたいものである。

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ロールス・ロイス

▼とある、メーリングリストを読んだ後の話。

▼国産飛行機YS-11のエンジンにロールス・ロイスが搭載されているというのは知る人ぞ知る話だが、ボーイングにもそれなりの割合にロールス・ロイスエンジンが搭載されているらしい。しかし、とあるメールマガジンを読んで、私が驚かされたのは「ろーるすろいす」は、「ロールスロイス」ではなく、「ロールスロイス」だった点である(恥)。しかも英語の発音では、「ロール・ロイス」だったらしい(確かにスペルはそうだ)。

▼この手の間違いは、以前、私は「どんきほーて」でやらかしたことがあって、「ドン・キホーテ」ではなく、「ドンキ・ホーテ」だと思いこんでいたことを思い出した。一度、そう思いこむと文章で目にしても、間違ったまま「読んで」しまうのが難点である。歳を取って、同じような間違いを繰り返すようになったら嫌だなぁ。

▼話をロールス・ロイスに戻そう。Wikipediaによれば(Wikipediaは、その道の専門家でないと、その内容の真偽が判断できないとも言われているが、この分野は強そう?)、ロールス・ロイスの自動車部門は、BMWとフォルクスワーゲンに分割して身売りされていた模様。ふーん。誰もが知っているブランドだと思っていたが、こんな経緯があるとは知らなんだ。エンジン部門は、ロールス・ロイスの名を保っている模様。

▼業界研究をするにあたって(あるいは製造業的なものづくりのあり方の基礎を学ぶにあたって)、要所要所の技術がどのように発展してきたかを見ていくのはおもしろいかも。とくに飛行機と自動車業界かな。

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祖母永眠す

▼中野の祖母が永眠した。先日、お見舞いに行ったのだが、それが最後の出会いになってしまった。私としては、その際、妻を紹介することが出来たのが何よりの喜びだった。本当にうれしそうな顔をしてくれた。最期の時まで、ああいう笑顔を持ち続けられたら、と切に思う。「幸せ」を継承するとはいかなることかを考えつつ、一日を終える。

▼上記の事情により、新年のご挨拶は控えさせていただきます。突然のことですので、年賀状を既にくださった方(あまりいないと思うけど)は、気になさらないでください。今年は、少し遅れますが寒中見舞いを送付させていただく予定です。もっとも、その数も限られた範囲だと思いますが…。←相変わらず社交的ではないらしい。

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読書メモ(断片):国語教科書の思想

▼だいぶ前の読書メモでさらっとふれた記憶があるが『国語教科書の思想』を読み直す。本書は、国際的な学力調査(学力到達度調査)であるPISAについて「国語」という観点から詳しく触れていたり、著者がかねてから主張している国語=道徳教育説について国語教科書を例に論じている点で、新書として価値は高い。
(もっとも新書としては、「癖」のある本かもしれない。好き嫌いは分かれる?) ▼著者の「国語」に対する主張は以下で繰り返されているように、国語=道徳教育である。ややシニカルではあるが、引用しておこう。「読解力が身に付いたということは道徳的な枠組から読む技術が身に付いた…」云々の一節は、私は、予備校時代にそれとなく学んだことだが、確かに「国語」に対する一つの見方だろう。
 国語はすべての教科の基礎となるような読解力を身に付ける教科だとか、豊かな感性を育む教科だとか、そんな風に考えている人がいるとしたら、それは「誤解」である。現在の国語という教科の目的は、広い意味での道徳教育なのである。したがって、国語ができるということは道徳が身に付いているということを意味し、読解力が身に付いたということは道徳的な枠組から読む技術が身に付いたということを意味するのだ。(pp.26-27)
 人によっては「ひねった」物の見方だと思われるかもしれないが、受験においては(言い換えれば、他者が出題した何らかの問題を「解答」するということは)「出題者」の意図を捉えることが第一である。問題には何らかの「意図」(目的)があり、「採点基準」がある。しかし、この当たり前のような事実は意外と「隠されている」らしい。

▼著者は、おそらくこのような「当たり前」のような事実に自ら気づくことができるような、あるいは、批評的な(批判的)な見方ができるような人間を育成したいようだ。例えば、次のような文章が典型だろう。
 こうして見ると「賢いのは動物の方で、人間に許されているのはせいぜいのところ頓知ぐらいでしかない」かのように思えてくる-そんな仕掛けが隠されているのが国語教科書なのだということがわかってくるのである。また、これらの国語教科書からは「昔はよかった」というメッセージも聞こえてきそうだ。やや極端に言えば、「昔へ帰ろう」とか「田舎に帰ろう」というのが国語教科書に埋め込まれた思想なのである。これらのメッセージは「自然に帰ろう」という、より大きなメッセージに集約することが出来る。

 いや、ほんとうは「動物に戻ろう」と言いたいのかもしれない。「動物に戻ろう」は「自然に帰ろう」というメッセージの小学生バージョンなのだろうか。いや、そこにはより大きな問題が隠されているように思われるのだ。

 東浩紀は、ヘーゲルを読解したコジェーヴを援用しながら、「人間が人間的であるためには、与えられた環境を否定する行動がなければならない」(傍線原文)が、そういう「自然との闘争」を持たない、ポストモダンの「オタク化」した現代人の大衆消費社会を「動物的」と評した(『動物化するポストモダン』講談社現代新書、二〇〇一・一一)。「動物」は「与えられた環境」をそのまま受け入れ、「批評」しないということだ。

 文字通り「動物化」することを求める小学校国語教科書のメッセージは、受動的で与えられた環境に対して従順な「人格」を作り上げることに一役買っている可能性が高いのだ。そういう操作されやすい「人格」が誰にとって便利なのかは、改めて言う必要もないだろう。権力者にとってである。教育は、まさしくソフトなイデオロギー装置として機能している(pp.083-084)。
 これまた何とひねった考え方…と思われる人もいるかもしれないが、確かに私にとっての「現実」と、著者が私的する「現実」は近い状況にあるかもしれない。人と言うのはわがままな生き物で、自分の思うようにいかない(意図を読み取ってもらえない)時には、私もたいそう不機嫌になるのだが、逆に自分が思うようにいきすぎる(あまりに従順過ぎる)場合は、逆に心配になってくるものだ。

 人によっては、後者に「快感」を覚えるのだろうが、私は正直、不安に思う。本当にこれで大丈夫なのか、と。

▼著者のいわんとしていることが妥当かどうかは私には何とも言い難いが、「批判的思考」(あるいは批評)を育てていくことの重要性を身にしみて感じた今日この頃。

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街でお仕事

▼久々に街へ出る。街は大変ににぎやかである。と言っても、私は、年内の仕事が残っているので、スタバでお仕事。最近、胃がやられているので珍しくタゾティーを飲む。私はタゾを頼む時は、本家(?)TAZO ZENを注文することにしているので、「いつも」のように、「いつも」と同じ味を堪能する。所詮、ティーパックだけどまずまずだしな。

▼本当は広島でおいしい紅茶屋さんを開拓しようと思っていたのだが、次回にしよう。帰り道に、薬局でいくつかお買い物。フランフランとか、アフタヌーンティーとか、無印とか、例によって例のごとく、私的には「定番」というか、いつもと何の代わり映えのないお店を軽くブラウズして終了。新年、仙台(実家)で福袋でも買おうかなぁ。

▼友人に言われて気づいたのだが、今年は、おざわ史において初めて、「ひとり」で過ごすクリスマス前後らしい。たいていは実家でファミリークリスマスだったからな(おそらく例外は1年だけである)。人に言われるまで、そんなことを「意識」もしなくなったということの方がよほど重要なのかな、と思ってみたり。

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読書メモ(断片):『夜と霧』とクリスマス

▼毎年書いていることだが、この時期、私はフランクルの『夜と霧』を読み返す癖がある。大晦日だよドラえもんと同じくらい、私にとっては定番なのである(例が良くないが)。なぜ、この時期なのか。たぶん、本書でクリスマスの例が触れられているからだろう。強制収容所にとっての「クリスマス」の意味をついつい考えてしまうのである。

 言い換えれば、クリスマスには何かいいことがあるだろう、と信じていた人が、その「いいこと」と出会えなかった時の落胆の有りようを思わずにはいられないのである(こう書くと、私は不遇なクリスマスを過ごしてきたように思われるかもしれないが、そんなことはどうだっていいのである。今日も仕事してるしな)

 私としては、クリスマスがクリスマスではないかもしれない、という想像力をどこかで維持しつつ、クリスマスという日を過ごしたい。クリスマスくらい、そういう「不在」の在り方について考えてみる日でありたい。だって、サンタクロースだってサンタクロースがサンタクロースではない(かもしれない)、のだから。

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リスニングテスト

▼珍しく仕事ネタを書いてみよう。この度、ジーコをさしおいてセンター試験の監督に、就任することになった。しかも、初日である。つまり、前代未聞の環境破壊兵器ICプレイヤーを使った英語のリスニングテストが行われる日である。あー、失敗したらNHKニュースで取り上げられそうだし、緊張するなぁ。

▼仕方がない。こうなったら、代ゼミの「元旦スペシャル 新春リスニングテスト」でも受講しに行くかな。受講料1200円だったら、自腹でも、さほど痛くはないし(痛いけど)。どちらかというと、「模擬」というよりは「潜入」に限りなく近くなるような気もするが、サテライン(通信衛星授業)だったら、気にするのは周囲の目だけだしな。

 あ、あかん。最も気にすべきなのが「周囲の目」か…(含:本日記)。

▼こうなれば、もし、中田が英語リスニングの監督だったら…、などとどうでもいいことを考えながら、つつがなく試験が終わるのを祈るしかあるまい。

 以下、代ゼミの該当ページ。その他、久々にのぞいてみたら結構、面白かった。

 考えてみたら(みなくても)センター試験まで一ヶ月ないらしい。

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読書メモ(断片):キャリア・トランジション・サイクル

▼お仕事的都合で、「トランジション」について文献その他を再確認。話のネタとしては、トランジションというのは、「人生の節目であって、転機であって、移行期で…」とか、「ブリッジズに言わせればトランジションには終焉→中立圏→開始」というサイクルが含まれるなどなど、話題は何かと抱負である。

 しかしだ、「節目」とか「転機」そのものを経験したことがない人には、なかなか実感の薄い話題らしい(注:そんな人いないだろーと思われるかもしれないが、今は、受験ですら転機にならない世の中らしい。転校も離別も経験していないとなるとなおさらだ)。キャリアに話を持って行くにしても、これまた想像力を要するらしい。進路進学も「キャリア・デザイン」の一つだし、「トランジション」の一つだとは思うんだけどなぁ。

 そうは言いつつも、「偶然」だとか「ドリフト」まで話を持って行きたかったので、キャリア・トランジション・サイクル(金井 2002)を再検討してみたり。

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東京出張

▼16~18日まで、珍しく2泊3日で東京出張。初日は、目黒で飲み会。約束のお店も、「あ、あのイタ飯屋ね」と珍しく、一瞬で判別が付く。目白と目黒の区別が付かなかった数年前に比べれば格段の進歩と言えよう(ついでに言えば、小金井(市)と白金(港区)も一瞬混乱しそうになる地名の一つである。金つながりだけだけど)。

▼その後、2日目は広尾でお食事会&ミニコンサートに参加し、午後は打ち合わせ。3日目には、六本木ヒルズで打ち合わせをしていたらしい。もちろん、打ち合わせは打ち合わせであって、打ち合わせ以上の意味合いは含まれない。お仕事的にも、何かと収穫があった。もっとも、NとかFとか、Tとかイニシャルトークの方が面白かったかも。

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プラネタリウム

▼プラネタリウム(planetarium)の「アリウム」(arium)が何を意味する言葉なのか気になって調べてみたら…。ariumは、「…に関する場所」「置き場」を意味する言葉らしい。とくに「動植物の人工的環境を表す」とのことだ。確かに、プラネタリウムは人工的環境の一つだしな。「へー」にも満たないどうでもいいことかもしれないが、少し賢くなった気分である。

 とは言え、「プラネット+アリウム」ではなく、「プラネ+タリウム」と一瞬区切ってしまった自分には…解毒が必要だわ。

▼ちまたで話題(かどうか知らぬが)、家庭用プラネタリウム ホームスターを購入して早数ヶ月(ちまたでは定価以上の価格で取引されていたらしいが、発売日にゲットしたのでそんなこと知らなかった)。この度、南半球が販売されたので、購入してみた。南十字星を家庭で味わえるなんて、しあわせ。なんて思いながら一日を終了。

▼岡村孝子 作詞・作曲 「プラネタリウム」(アルバム『Sanctuary』より)
カーテンもまだついていない新しい部屋の窓から
冬の星空 見つめているとプラネタリウムみたい
あの日 あなたと待ち合わせ 並んで眺めているうちに
あなたはすぐに夢の世界へ 何故今思い出す

明日からひとりで生きてゆけるのかな
あなたはもう別のところを生きているのかな

あなたが思うより あなたのこと大好きだった
あなたと2人でいられたなら あたたかかったのに…
 プラネタリウムと言えば、私が思い返すのはこの歌である(相変わらず岡村孝子だけどな)。この歌、「カーテンもまだついていない」部屋というモチーフが良い。おおよそ、「カーテンもまだついていない」状況というのは非常にシンボリックな意味合いを持っていることが多いしなぁ。それにしてもこの歌詞は、情景描写から入り、果てしない疑問を想起し(内省し)、感情描写を行う…という典型的な物語展開かも。

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皆既月食

▼先日のこと。ふとした偶然から、天体トークに突入し、皆既月食中の赤い月の話題で盛り上がる。なぜ皆既月食中の月は赤いのか?という疑問に対して、プチ「知ったか君」を演じようと思ったのだが、自信がなくて話を切り出すことができなかった。でもね、調べたらやっぱり夕日が赤い理由と同じだったみたい。

▼なぜ空は青く、夕焼けは赤いのか。なぜ月は自分を追いかけてくるかのように見えるのか。あるいは日の出や日の入り、月出や月没の時、なぜ太陽や月は、大きく見えるのか。私は、小さな時から不思議でならなかったのだが、かつて「謎が解けた」時に甘んじて、その後、疑問そのものを見失ってしまっていたらしい。

▼皆既月食は赤い=夕日が赤いのと同じっていう説明も、実は中途半端?

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読書メモ(断片):プレゼンテーションの持論

▼いつだったか読書メモで引用したことがあるのだが(2005年4月27日)、金井寿宏先生の「プレゼンテーションの持論」(の例)が気になって読み直してみる。

 私も、プレゼンテーションについては、私なりに「持論」を持てるように心がけているつもりなのだが、自分が苦手としている所は、「持論」化できていない(留意点として意識できていない)ことに気づかされる。

 8箇条について一部を引用してみよう。
(1) 材料の下ごしらえはしっかりおこなうが、読み上げ原稿には絶対にしない。パワーポイントを使用する場合も(略)、話す自分は見なくても語れる内容にする。
(2) 会場に入る前に、控えの間で時間的余裕をもち、流れとロジックと実例のチェックをおこなう。会場に移動する直前に(略)、自分なりの活を入れる。
(3) 話しはじめに、聞くひとの注意・関心をつかむ(どきっとする事実でもいいし、質問の形でもいいし、なにかパーソナルなことを冒頭で「つかみ」として言ってもいい)。
(4) 先に結論を言え。どこに聞くひとをつれていくのか、行き先とそこへいく筋道、プレゼンの構成を先に述べる。
(5) 議論を進めながら、節目ごとに大きな質問、流れに応じて、小さな質問を交える。
(6) 質問はだれかを指名する場合と、聴衆みんなに問いかける場合があるが、後者の場合は、質問のあとに必ず間をおく。とくに、大きな主張をしたあとの問いかけでは、必ず。
(7) (会場のレイアウトによるが)話す側に動きをつくることを忘れない。ポーディアム(演台)があれば、しばしばそこを離れ演壇のうえを動く、さらに必要ならば、オーディエンスのなかに入っていって語る(そこで、質問を交えてもいい)。
(8) 全体を通じて、「ロジックが通じていること」と「たとえば、と言える実例を絶やさないこと」に注意する。ロジカル・シンキングとプレゼンテーションがセットになっているわけをよく自覚すること。(p.130)
  この持論のベースになっているのは、「問え」と「動け」という2箇条である。上記の8項目、「問え」と「動け」をさらに「ふくらませた」ものと理解した方が良い。私的には、8番目に記されている「たとえば、と言える実例」や、あるいは、本項目では触れられていないが、比喩・メタファーの適切な利用については、まだまだ改善が必要だな、と思う。知っている事例・実例が少ない訳ではないんだけどねぇ…。

追伸
 先日、ふと思ったことだが、本項目の根幹になっている「問え」と「動け」についても、私の場合、プレゼンテーションがうまくいかなければいかない時ほど、「問い」も「動き」も鈍くなるような気がする。たまに自分の話を、ICレコーダや動画デジカメで撮影すると、自分の動きの悪さ(あるいは切れの悪さ)に驚かされてみたり。

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おかしの家(本物)

▼義理の妹さまから、本物の「おかしの家」をいただく。うーん。すばらしい。店頭や雑誌等で「おかしの家」を見たことはあったが、すごいなぁ。と、ただただ感心&感謝。

▼これは自慢できるそう(byスネ夫)と思い、とりあえず、記念撮影してみた。
 おかしの家
▼それなりに撮影体制を整えたつもりだが、ライトが一つしかないためか、影が入り込んでしまっている。うーむ。やっぱり撮影用のライトが欲しいなぁ…、などと本題ではない所で、物欲を醸し出してみたりして。でも、今回の写真を通して、「おかしの家」の雰囲気をある程度は伝えることはできているかな?

▼自宅に飾っていてももったいないような気がするので、しばらくは職場に飾っておくことにしよう。でも、食べるのもったいないなぁ。

 ちなみに耐震強度は…。落としたらやばめかも。

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寒波

▼あまりに寒いので、いよいよパネルヒータを本格稼働させる(これまでは、居間においてあるハロゲンヒータと書斎のカーボンヒータで我慢していたのだ)。何度か試用はしてみたものの、これは結構、便利かも。12畳近い部屋でも、室内温度14度→18度前後まで温まるのに30分もかからないし。

 私は、実は冷え性気味で、しかも乾燥に弱いので暖房は何かと工夫が必要なのだが、パネルヒータだったら、遠赤外線効果もあるし、過度に部屋も乾燥しなさそうだし、もっと前に買っておけば良かったとプチ後悔。

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イベント開催&名古屋出張

▼三ヶ月くらい前から、何かと関わらせていただいていた(関わっていた、と書く方が適切か?)某イベントが無事、つつがなく終了する。反省点は多々あるが、全体としてもまずまずの出来だったと思われ。

▼その後、最終便に限りなく近い新幹線で所用で名古屋に出張。今月の名古屋出張はこれで二度目…かしらん。名古屋出張した際は、高島屋に行くことにしているのだが(一応、これでも高島屋カードを保有しているからな。年会費分モトを取りゃにゃならん←せこい)、今回はその余裕はなく単純に往復するだけになってしまった。

 とは言え、関係各位には今回もお世話になってしまった。ありがたや。

▼移動中、通常ならば本を読むのだが、今回はその余裕もなく仕事に追われる。今回は珍しくiPodを持ち歩き、エンヤの新アルバム『Amarantine』(アマランタイン)を聴く。久々のアルバムだけどやっぱりいいな。

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PCがちょとと不調

▼とあるイベントに関わっていたため、何かとバタバタしている。メインPCの調子がなぜか芳しくない。うーん。とりあえず代替機でなんとかしのぐ。

→追記(13日)の夜に一部復帰させました。原因がいまいち分からないのが不可解。

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ヘーゲルとグレーテル

▼昨日の「エンゲルとグレーテル」ネタの後、「ヘーゲルとグレーテル」というフレーズがふと頭によぎったのだが、マニアックなネタ(?)なので却下。「エンゲルスとヘーゲルの類似点と相違点を挙げよ」という問題を作ってみても面白いかもしれないが(注:前者は思想家で経済学分野。後者は哲学者で、哲学)、これまたマニアックだわな。

 というわけで(どういう訳だ?)、意味もなく歌劇『ヘンゼルとグレーテル』を購入してみる。「ワーグナーの作風を受け継いだドイツオペラの傑作」ということで実に楽しみ。

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エンゲルとグレーテル

▼ふと、「エンゲルとグレーテル」というフレーズを思い返し、ググってみたら(つくづく検索エンジンというのは便利である)、蛭子能収のマンガに同タイトルがあることが発覚。我ながらオヤジギャグだ…と思っていたが、該当マンガを読んだことがある(しかし、完全に忘却していた)ような気がする自分自身にも愕然である。

 検索の結果、以下で電子ブックを購入できる模様(同タイトルの書籍はない?)。
  • http://payon.svc.ocn.ne.jp/ebookjapan/book.asp?sku=60004304
▼ちなみに「エンゲル係数」のエンゲル(Engel)さんは、ドイツ人である。さらにちなみに同じくドイツ人の有名人に、「エンゲルス(Engels)」という革命家・思想家がいる。受験生を一度でも経験していれば、マルクスと言えば、エンゲルス。エンゲルスと言えば、マルクスを思い浮かべるように洗脳されているはずである。

▼マルクスにおいて上部構造は下部構造によって規定されるものだが、エンゲル係数は生計費に占める食費の割合によって規定される。もし仮に、「おかしの家」を姉○建築設計事務所が設計した場合、建築費総額に占める「おかし」の割合はどの程度になるのだろう?などと無駄なことを考える今日この頃。

▼にしても身近に、○歯建築設計事務所関係で被害に遭った人がいたとは…。思わなかった。友よ、闘いの炎を燃やせ(BGMは、無論、岡林信康の「友よ」だ)。

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朝の炊飯器

▼珍しく、朝にご飯が炊けるようにタイマーをセット(おざわ家ではどちらかと言うと、夜に炊飯器が。朝は、ホームベーカリーが稼働している)。炊きあがり時間の40分くらい前から、ぽこぽこというか、しゅーっと音がして、その音で目覚めてしまった。

▼心地よい目覚めと言えば、心地よい気がしないでもないが、ホームベーカリーほど香ばしい目覚め方ではないかも(ホームベーカリーは香ばしいかおりがするし、焼きたてを食べると、いかにも「朝」って感じがする)。やっぱりご飯は余裕がある夜に炊いておくのが無難かな、という気もする。が、炊きたてのご飯はそれはそれで美味しいので、朝炊きも捨てがたいような気がしないでもない(どっちやねん)。

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12月の積雪

▼積雪。気合いを入れて、一本早い電車で出勤。我ながら良い心構えである(自画自賛)。私が住んでいる場所より、職場の方が積雪量が多かったようで、改めて職場の広島における位置関係を実感した次第である(山より?)。

 私は、これまで全国を転々としてきたせいか(そうでもないけど)、この時期の積雪にさして驚かなかったのだが、どうやら広島においては、珍しい現象らしい。確かにな、「瀬戸内海」と面していると考えると、12月上旬に数センチ(大きめの雪だるまを作れるくらいの)の積雪は、「非日常」に近いのかも。

 帰宅後、魚が安かったので焼き魚にして食べる。ストレスというよりは、疲れのためか、お酒が欠かせない毎日になってしまっている今日この頃。

ホームページビルダー 10が届いたので、早速バージョンアップする。相変わらず、日常の基本はMac。ブログ(日記)の更新とお仕事関係は、WinXPの日々である。「いつか」ホームページをちゃんと更新しようと思っているのだが、「いつか」は「いつか」でしかないらしい。「恋は遠い日の花火ではない」のも同じようなものか(違うって)。

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夢と幸福論

▼久々に「大長編だよ ドラえもん」も真っ青な超長編の夢を見た。あまりに印象的だったので、思わず久々に夢日記(?)に物語の筋を記してしまったほどである。昨日、寝る間際に妄想的紀伊国屋テロ未遂事件(梶井基次郎『檸檬』)のことを考えていたせいか、なぜか「紀伊国屋」が夢の舞台になっていた。うーむ。謎である。

 夢を見る度に思うことだが、夢という作用は大変に不思議である。おおよそ私が見るような夢は、「どこかで見たことがある」ような内容なのだが、印象的な夢を見ると、今、私が目にしている「現実」もまた、どこかで「夢」みたような内容のように思えてならないからだ。しかも、示唆的である。私の思い上がり(?)を夢が諫めてくれている。こういう夢を見ることができて、つくづく「幸せ」だなと思ってみたりもする。

▼別に自分のことを「想像力が豊か」などと言うつもりはないが、適切な「想像力」を持つということは、日常的生活で見失いがちな「幸福論」につながりうるような気がしてならない。確かに、夢というのは見ようと思って見たものではないし、それに気が滅入ることも少なくないし、大いなる「勘違い」に過ぎないかもしれないが、「現実」というもののあり方、あるいは「幸せ」ということを考える契機になるかもしれない。

 なんてことを考えつつ、内田樹氏の以下の文章を読み返す。
(略)だから、想像力の豊かな人は、はじめて経験する出来事にもしばしば「既視感」を覚えることになる。

 例えば、「身長一七五センチ以上で、年収二千万以上」というふうに記号的な仕方で未来の夫を想像している人は、その条件を満たす人物が目の前に出現したとき「条件通りの男だ」と思うことはあっても、「この人とはどこかで会ったことがある…」という既視感を持つということはない。
 
 けれども、「私の夫はトイレの『置き本』に永井荷風の『断腸亭日乗』とオルコットの『若草物語』を並べて置いているような人」という想像を(うっかり)してしまった人は、たまたま訪れた男性の家のトイレにその二冊を発見したときに、不意に「もはや逃れることのできぬ宿命の手につかまれた」ような気分になるであろう。

 「既視感」こそは「宿命」の徴だからである。

 はじめて経験することなのだけれど、どこか既視感があるようなことについて、私たちは宿命の力を感じる。私自身のどのような自己決定によっても回避することのできない必然が私をこの場に導いたのだという(根拠のない)確信に取り憑かれてしまうのだ。

 だから、「宿命的な恋」とは「その人にはじめて出会ったときに、すでに自分がその人を久しく待ち望んでいたことに気づくような恋」のことである。

 想像力の豊かな人は、どのような人生を選んだ場合でも、その人生の至るところに「宿命の刻印」を感知する。
(略)
 だから、当然にもその人は「想像した通りのことが私の人生において実現した」というふうに考える。

 ほんとうはそうではなくて、あまりにいろいろなことを縦横無尽に想像しすぎたせいで、何を経験しても「想像した通りのことが起きた」と感じてしまうな人間になってしまったというにすぎないのであるが、それでも、「自分の人生は何一つ思い通りにならなかった」と言い残して死んでゆく人間に比べて、どれほど幸福な人生であろう。

 強い想像力を備えた人は構造的に幸福な人である。

 そう教える人はあまりいないようなので、私が代わってみなさんにご教示してさし上げるのである。(pp.131-133)
 夢を見られて、そのことを肯定的に受け止められるということが、私自身がこれまで「学んで」きたことの一つなのかもしれない。なんてな。これで、内田氏の『知に働けば蔵が建つ』からの断片的読書メモもおしまい(の予定)。

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マカディア

▼最近、焼酎のホット(お湯わり)の術を覚えてからというものの、焼酎の消費量が著しい。まあビールや缶酎ハイよりも結果的に安上がりに済むし、冷え性気味の私にとってはホットで飲めるというのは、ありがたい。で、ホットで飲めそうなものを物色していたのだが、思わず(小雪に惹かれたわけではないが)、「マカディア」を購入してみた。

 これ、結構、いいかも。マカとローズヒップのお酒なんだって。宣伝を見る限り、明らかに女性をターゲットにしたお酒のような気がしないでもないが、いいのである。男は黙ってサントリーモルツとは言っても、マカディアもサントリーだしな。健康によさそうなイメージだが、健康路線を右に突っ走ると養命酒になってしまいそうな気もする。

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加湿器

▼職場があまりにも乾燥しているので(湿度計で30パーセントを常に切っている。この時期にこの乾燥の度合いだと、今後が気がかりである)、加湿器を導入しようかと思案中。以前見かけた無印良品の加湿器がデザイン的にも価格的にも「無難」かなぁと思っていたのだが、なぜか無印のネットストアから消えている…。売れ切れか?

▼仕方がないので、他のものを検討してみたが…、3000円以内で購入できるものから1万円以上するものまで様々らしい。うーむ。迷うところである。高々3ヶ月~4ヶ月。実質的には90日くらいしか使わないはずだしなぁ。濡れタオル等で我慢するかな、と言う気もしてきた。この微妙な価格設定が悩ましい限りである。

▼というわけで、いよいよ12月。もう12月。ああ、12月。

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