読書メモ(断片):知に働ければ蔵が建つ
▼再び、内田樹氏『知に働けば蔵が建つ』で印象に残った箇所を読み直す。今回、最も印象に残ったのは、氏のオルテガ論だった(ブログでも読んでいた気もするが)。オルテガ・イ・ガセーといえば『大学の使命』と『大衆の反逆』を読んだことはあったのだが、内田氏が示すような「深い」読み方はなかなかできないなぁ。
まずは、内田氏による解説を引用してみよう。
▼私は、「自分の夢をかなえようとすること」や「自分の夢がかなう」状態に至るまでの過程のことを、「努力」と呼びたくないタイプの人間である。「努力は必ず報われる」と言う人も少なくないが、そんなことはあり得ないからである(たぶん)。こう書くと、非常にネガティブな人間のように思われてしまうが、そうではない。
私とて、「努力」の価値を認めないわけではない。たぶん、私が言いたい「努力」のあり方とは、「未知」や「分からなさ」に対峙する力のことなのだと思う(これも内田氏の言う既視感か?)。努力した結果、もしかしたら良いことがあるかもしれないが、「分からなさ」が減るわけではないし、「欠落感」はどこかに残るからである。
例えば、高い競争率を勝ち抜いて何かに通った(合格した)とする。少なくても私の場合、私のせいで「通らなかった人」に対して、何と表現すれば良いのか分からないし、そんなことを考えてしまう自分自身のことが分からない。
▼しかし、である。これがなかなかうまく人に説明できないのである。
おそらく今の私が闘っているのは、「分からなさ」から目を背けている状態なのだろう。あるいは、「自分のことを分かるということは、実は非常に難しい」ということが「わからない」状態についてである(後者の「分からなさ」に目を背けている場合はなおさら)。これは非常に苛立しい。自分の「大衆性」に気づかされると益々腹立たしい。
しかし、何故に腹立たしいのかも実のところはよく分かっていない。
内田氏が引用しているオルテガの言葉に救われつつ「今日もさまよう」今日この頃。
まずは、内田氏による解説を引用してみよう。
- 内田 樹 (2005).知に働けば蔵が建つ. 文芸春秋
オルデガがもたらしたのは、「努力」とは自分の中にある複数のファクターの間の確執として、あるいは自分自身との不一致感によって担保されるという知見であったと私は思う。ふむふむ、と。例によってガッテンしながら、読んでしまった。
繰り返し指摘してきたように、大衆の本質は「自己満足・自己肯定」のうちにある。ということは、「本物の貴族」の特質とは、つねにおのれのうちに「埋めがたい欠落感」を抱いているということになる。
「埋めがたい欠落感」を抱いている人間だけがそれを埋めようとする。「ことばにならない思い」を抱いている人間だけがそれを「ことばにしよう」とする。
つまり、オルテガ的「貴族」とは(ニーチェの「貴族」定義とここで完全に逆になるのだが)、自己に満足できず、どうあっても自己を肯定しきれない人間のことなのである。
自分のことがよくわからず、自分が何を考えているのか、何を欲望しているのか確言できず、それゆえそれを知ろうと望むこと、それが「努力する」ということである。
一方、自分のことを自分はよくわかっており、自分が何を考えているのか、何を欲望しているのかを熟知していると思っている人間たちには永遠に「努力する」ことへの動機づけは訪れない。
言い換えれば、「貴族」とは自分のうちに<他者>を抱え込んでいる人間であり、大衆とは自分のうちには<自分>しかいないと思い込んでいる人間である。(pp.098-099)(太字は引用者)
▼私は、「自分の夢をかなえようとすること」や「自分の夢がかなう」状態に至るまでの過程のことを、「努力」と呼びたくないタイプの人間である。「努力は必ず報われる」と言う人も少なくないが、そんなことはあり得ないからである(たぶん)。こう書くと、非常にネガティブな人間のように思われてしまうが、そうではない。
私とて、「努力」の価値を認めないわけではない。たぶん、私が言いたい「努力」のあり方とは、「未知」や「分からなさ」に対峙する力のことなのだと思う(これも内田氏の言う既視感か?)。努力した結果、もしかしたら良いことがあるかもしれないが、「分からなさ」が減るわけではないし、「欠落感」はどこかに残るからである。
例えば、高い競争率を勝ち抜いて何かに通った(合格した)とする。少なくても私の場合、私のせいで「通らなかった人」に対して、何と表現すれば良いのか分からないし、そんなことを考えてしまう自分自身のことが分からない。
▼しかし、である。これがなかなかうまく人に説明できないのである。
おそらく今の私が闘っているのは、「分からなさ」から目を背けている状態なのだろう。あるいは、「自分のことを分かるということは、実は非常に難しい」ということが「わからない」状態についてである(後者の「分からなさ」に目を背けている場合はなおさら)。これは非常に苛立しい。自分の「大衆性」に気づかされると益々腹立たしい。
しかし、何故に腹立たしいのかも実のところはよく分かっていない。
内田氏が引用しているオルテガの言葉に救われつつ「今日もさまよう」今日この頃。
じっさいの生は、一瞬ごとにためらい、同じ場所で足踏みし、いくつもの可能性のなかのどれに決定すべきか迷っている。この形而上学的ためらいが、生と関係のあるすべてのものに、不安と戦慄という、まぎれもない特徴を与えるのである。(pp.101-102)(内田氏の本から孫引き)「形而上学的ためらい」とは、これまた絶妙な表現である。
- オルテガ・寺田 和夫 (翻訳). 大衆の反逆. 中央公論新社
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