パスポート
▼そろそろパスポートの更新の季節である。大学生だった頃に更新した10年パスポートだから、私の過去10年分の記録がそこには記されている。改めて見ると、いろいろあったなぁと感じずにはいられない。それが近々「白紙」に戻ると思うと、それはそれで感慨深い気もする。そう、そんな時期なのである。
(それにしても、「いろいろ」という言葉は非常に便利な曖昧語だわな)。
▼「偶然」というのはよくあることだが、同じような時期に同じような空間にいた、という「偶然」も、後になって「偶然」として意味を持つものらしい。
▼既視感と未知感の微妙なバランスにこそ、未来が宿るのかもしれない。
何度となく引用しているが、俵万智の短歌(『サラダ記念日』)
追伸:恋愛のことを書いているようで、実はまったく別なことを言いたいらしい。
(それにしても、「いろいろ」という言葉は非常に便利な曖昧語だわな)。
▼「偶然」というのはよくあることだが、同じような時期に同じような空間にいた、という「偶然」も、後になって「偶然」として意味を持つものらしい。
- 内田 樹 (2005).知に働けば蔵が建つ. 文芸春秋
私はこの人にすでに遠い昔に会ったことがあり、そのときたしかに私はすでにこの人をわがものとしていた…という「記憶のない過去」についての「既視感」、あるいはすでに見たもののように思えるにもかかわらず、それが何であるかを言うことができない苛立ちこそが愛の本質的形態なのである。そして、電撃的に到達したこの既視感が「何」であるかを確かめるためには(楽聖が霊感を記譜したときのように)、それから後にそれなりの時間がかかるのである。いきなり引用をしてしまったが、内田氏流の「恋愛論」が、ふと身にしみてしまった(これまた絶妙なタイミングで出会ったものだ)。「既視感」とはこれまたうまい表現である。「記憶のない過去」について、既視感を覚えられるという事実。それ自体が、過去の意味が変容したということの証でもあるのだろう。
そのような意味で愛は(知覚とは違う意味で)一種の「フライング」だと言える。知覚が「その気になれば知覚できるはずの、いまだ知覚せざるもの」を先取りしてはじめて成立しているように、宿命的な愛は「たしかに出会ったはずなのにそれを思い出すことができない」他者の不意の現前によって始まる(pp.023-924)。
▼既視感と未知感の微妙なバランスにこそ、未来が宿るのかもしれない。
何度となく引用しているが、俵万智の短歌(『サラダ記念日』)
手紙には愛あふれたりその愛は消印の日のそのときの愛を思い返しながら一日を終える。現在を未来につなげたいものだ。
追伸:恋愛のことを書いているようで、実はまったく別なことを言いたいらしい。
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