冥利と無力感
▼冥利とは、「仏・菩薩が人知れず与える利益」(大辞泉)、「神仏が知らず知らずのうちに与える恩恵。冥加の利益」(広辞苑)を意味する言葉らしい。要するに仏教用語である。今日は、「冥利」を感じると共に、自身の「無力感」を感じる一日でもあった。
▼私は常々「自分の欲を捨てる」という、壮大な「欲」を持っているのだが、そうは言っても(だからこそ?)、一人の人間として、自分に関して以外の事象について「ああすれば、もっと○△」なのに、とか「こうすれば、もっと□×なのに」と思うことは少なくない。それが妥当な考えかどうかは即断できないが、少なくても私以外にも、そう思っている人は確実にいるらしい。しかし、誰もがどうすることもできないのが現状。
▼ずいぶん前に引用したものだが、平田オリザ氏の「3分の1法則」を思い返す。
▼私は常々「自分の欲を捨てる」という、壮大な「欲」を持っているのだが、そうは言っても(だからこそ?)、一人の人間として、自分に関して以外の事象について「ああすれば、もっと○△」なのに、とか「こうすれば、もっと□×なのに」と思うことは少なくない。それが妥当な考えかどうかは即断できないが、少なくても私以外にも、そう思っている人は確実にいるらしい。しかし、誰もがどうすることもできないのが現状。
▼ずいぶん前に引用したものだが、平田オリザ氏の「3分の1法則」を思い返す。
演劇の「公共性」を訴える未来に対する投資は不可欠だが、それ以上に(少なくてもそれと同等に)、今、目の前にいる顧客の声に耳をすますことも大切だろう。何が公的で、何が私的で、何が内部で、どこまでが外部なのかの判断は難しいが、自分に何ができるか考えてみたいところだ。 「公共性」とは何かを考えさせられた一日でもあった。
(略)初期の段階の、なぜ演劇に対して助成金が出るかということがまだはっきりしていない時期に、僕たちは非常に意識的に「演劇の公共性」ということを言ってきたんです。
助成金が入ったときに、それをただ単に劇団の中だけで配分するのではなくて、三分の一ぐらいは公的な部分に使う。たとえば演劇教育や資料の作成に使う。 残りの三分の一ぐらいは観客に直接還元する。要するにチケットの値段を下がる。最後の三分の一ぐらいは内部で使う。つまり、劇団員のギャラを上げたり、舞台装置をよくする。
そういうふうに意図的に分けて使って、しかもそれをアカウンタビリティによって、外部に対してきちんと説明してきたことはたしかです。pp.75-76.
- 平田オリザ(2003). 「リアル」だけが生き延びる. ウェイツ
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