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2005年10月

読書メモ(断片):心理学と教育実践の間で

▼所用で『心理学と教育実践の間で』を再読。本当は、心の理論(読書メモ参照)と、カミロフ=スミスの関係について調べたかったのだが、改めて読み直してみると大変に興味深い。要するに、人間には自分の考え(「理論」)に固執するような段階(=事実の方を無視する)を経て、自分の考えに修正を図れるようになる、らしい。
 ここできわめて重要なことは、六歳から七歳(第二段階)の子どもが、自分の「理論」が破綻している事実を見せつけられても「理論」の修正をしないで、事実の方を無視する(「なんだかわからないこと」として思考の対象外におく)ということである。このような、自らの「理論」の一貫性に固執することは、言語の発達段階でも見られることで、例えば、著者の子どもも言葉を覚えはじめたころ、「いたくない」「おいしくない」などを一般化し、「好きくない」「きれいくない」という言い方に一時固執していた(米国の例では、wentのかわりに、wentedとかgo-edなどと言ったり、feetのかわりに、feetsとかfootsと言ったりする時期があるという)。このような「理論」への固執はのちにそれをより一般性のある「理論」にしてゆくためにはむしろ重要な意味をもっており、認識の発達の「後退」を意味するわけではない。

 七歳以上(第三段階)の子どもは、「理論」が当てはまらない事態に至ると、あらためて見方を変えて(別の分析単位、別の活動の流れとして)再びかつての「理論以前」の知覚(身体全体を通したアフォーダンスの抽出)に戻ることができる。そこで新たに再・知覚を行い、それに基づいて「理論」の再構築(再表象)を試みることができるのである。(p.190)
  • 佐伯 胖・佐藤 学・宮崎 清孝・石黒 広昭(1998). 心理学と教育実践の間で. 東京大学出版会(佐伯 胖「学習の『転移』から学ぶ」)
 良くも悪くも「大人」になると、自分の「理論」(あるいは持論)の修正を図れないようになってしまうのが、人間の悲しいところである。

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海外出張

10月28日~10月31日
海外出張のため日記更新お休み。移動中、『ダイヤモンド』『東洋経済』『週刊アスキー』など各種雑誌に適当に目を通しつつ、『「考える力」はこうしてつける』を読む。

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福山出張(ふたたび)

▼所用で、福山に再び出張。私はどうも福山への出張が多いような気がする。

▼今回は、いわゆる「ワークショップ」的なお仕事。80分間、「ワークショップのお兄さん」的キャラを演じる。ワークショッパー(こんな用語は存在しない?なんかストリッパーみたいな言い回しだな)の鉄則、「直前まで万全に準備をして、始まったら流れに身をゆだねる」作戦で望んだつもりだが、ややリハーサル不足だったかもしれない。

▼とは言え、なかなか好評だったようである。ワークショップでの「不完全燃焼」が、プラスに働いてくれるとうれしいな、と思ってみたりもする。私は、つくづくWindowsとの相性が良くない、と思わされた一日でもあった。なんちゅーか、マイクロソフト社製品には、「肝心」な時に裏切られているような…。これもマーフィー法則か。

▼結局、今日一日は準備と、その後の雑務で一日が終わってしまったかも。

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体調絶不調3

▼昨日、調子に乗って遊んでいたら仕事にいそしんでいたら、またしても体調を崩す。朝8時に起床し、今日も戯れようと思っていたのだが、あまりの軽さに体調の悪さに三歩あゆめず。仕方がないのでインチキな朝食を食して薬を飲んで睡眠。昼に起きて、昼食を食べて睡眠。夕方起きて…という、寝てばかりの一日だった。

▼夕方、『笑点』を見る(私、こう見えても落語も時々耳にするし、笑点はほぼ欠かさず見ていたりする)。三遊亭円楽師匠が体調不良とのことで、初めて歌丸師匠の司会だった。すげー気合いが入っていてびっくり。さすが落語芸術協会会長だ(って、私が言うようなことではないのだけれど)。笑点終了後、ちびまる子ちゃんを見たり、サザエさんを見たり、平凡な日曜を軽く演出しながら一日を終える。

▼お仕事的関係で、『瀬川センター地理B講義の実況中継』に目を通す。何度か本日記でもネタにしたことがあるが、私はセンター試験地理受験だったりする。ニューヨークは北緯約40度、西経約75度。なんてことを確認してみたり。実況中継シリーズは、意外と便利だな、と思ってみたりもする(謎)。

 ついでなので書店で買うことができなかった『安藤センター地学I講義の実況中継』も購入。これはうまくいけば来年度の仕込みになるかな…(注:間違っても大学を再受験しようと思っている訳ではない)。

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無停電電源装置(UPS)を消すのを忘れる

▼明日、職場が法定点検により停電…と言うことをすっかり失念していたので、サーバと共に設置している無停電電源装置(UPS)の電源を消しに職場へ出かける。ついでにサーバも時限停止&開始設定をした。リモートでできそうな気もするのだが、リモート設定をしていなかったらしい。今度(いつ?)やろうっと。

▼休日業務だが、来週の仕込みをしたり、なんだかんだで一日が終わる。

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読書メモ(断片):偶然と必然

▼久々に激しい(内容の)夢を見た。実在の人物が出てくるのも久々である。なぜこのタイミングで、あんな夢を見たのか。単なる「偶然」に過ぎないとも言えるが、もしかしたらもしかして…、などと思ってしまったりもする。夢の世界は、とらえどころがない一方、そう思い始めると止まらなくなるのが難点だ。

▼偶然、枕元に『「脳」整理法』があった(読みっぱなしにしていたらしい)ので引用。
 日常の生活の中で私たちが出会うさまざまな出来事を偶然と考えるか、それとも必然と考えるかは、私たちの生活の質に重大な影響を及ぼす可能性があります。すべてをランダムだと片づけることは寂しいことです。だからといって、すべてが必然だと考えることは明らかな誤りです。ましてや、その必然を自分でコントロールできると考えることが、思い上がりも甚だしいことはいうまでもありません。

 祈ることで、ものごとがコントロールできるのならば、それほど楽なことはありません。良質の宗教的感覚を持つ人は、祈りが自分の無力感の認識であることを知っています。自分のコントロールの及ばないこと、自分の無力さを思い知らせる対象に対してこそ、人は祈りを捧げるのです。

 偶然と必然の間の微妙な「あわい」の領域、すなわち、偶有性の領域のニュアンスをどれくらい読みとることができるかによって、投げやりでもなく、盲信でもない、バランスのいい生き方ができる可能性があります。コントロールできる/できないの区別についても、その両者の中間にある「あわい」の領域こそが大切なのです。(pp.103-014)
 言われていることは、河合隼雄的というか、小説的というか、偶然と必然の「あわい」の重要性を感じたことがある人にとっては「言うまでもない」ことかもしれない。しかし、「偶然」と「必然」の「あわい」を感じるということ自体、実は極めて偶然的であり、必然的な出来事なのかな、とも思ってみたりもする(同語反復)。

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読書メモ(ミニ):大学の話をしましょうか

▼体調が回復したと言っても、まだ本調子ではないらしい。急遽、打ち合わせ。昼休みに会議が入ったり、なんとなく多忙な状態。

▼空き時間に↓の本を読み進めてみたり。
 前者は、大学での授業評価(授業調査)について、やや詳細な記述があった。

 後者は、「講義の当日(時間内)」に、「受講生に簡単なレポートをまとめてもらう」(p.28)という授業方式のこと。授業の流れを見ると、(1)確認5分。(2)構想20分。(3)情報収集45分。(4)執筆20分とのことなので(p.32)、授業時間のかなりの時間はレポートの執筆等にあてられるらしい。しかも採点対象とのこと。

 ふーん、という感じだったが、本方式と、「感想記入方式(ミニッツ・ペーパー)」、「大福帳」、「質問書方式」、「小テスト方式」、「個別化教授システム(PSI)、「仮説実験授業」、「朝の読書」、「講義の分節化(GLP)」などとの比較もあって、そちらも参考になった。なお、臨床心理で言うところのブリーフカウンセリングが参考になっている模様。

▼ちないに、上記の「質問書方式」は、本になっている。
 もっと身近なところでは、森せんせー(×衆議院議員)の本かな。
 そういえば、最近、こんな本も出してたんだ。買わなくっちゃ。  以上、大学ネタが続いたがおしまい。

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おかげさまで快方

▼ご心配をおかけしましたが、おかげで風邪も快方に向かっております。私がうつしたせいじゃないかと思うほど、周りでも風邪ひきさんが多いのですが(全国的?)、人にうつすと治るというので、これは良しとしましょう(良くないって)。月曜日も、帰ってきてすぐ寝て、火曜日も薬を飲んで寝て…と、寝てばかりいたらしいです。

▼病に伏しながら『<想像>のレッスン』を読み進めてみたり。状況がどこか似ていたせいか、数年前に心理的に絶不調だった時に読んだ同じ鷲田氏の『「聴く」ことの力』のこと(を読んでいた状況)を鮮明に思い出してしまった。「想像力」とか「傾聴」とか、そういうフラジャイルな感覚というのは、いくつになっても大切にしたいものだ。  ついでに久々に、竹内まりやを聞いてみたり。

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体調絶不調2

▼引き続き不調。こんだけ調子が悪くなるのは…、久々かもしれない。土曜日は一日じゅう、お部屋でひきこもり。ご飯を食べて、薬を飲んでは寝るという、パンダのような生活である(コアラのような、の方が適切か?)。本日は、若干のお買い物へ出たが、体が重いし、明日からの仕事に備える必要があるので早めに睡眠。

▼寝ながら、『ダイヤモンド』と『東洋経済』をちらちら読みながら、週末を終える。土日、仕事ができなかった分、来週はまた忙しくなるんだろうな…。何とか病状が快方に向かうことを願いたいところである。

▼コメントありがとうございます。コメントに対するコメントはまた改めて。

追伸
ぜんたいてきに、しごとがおくれています。どうぞおゆるしを。

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体調絶不調

▼咳は止まらないし、鼻水は出っぱなしだし、微熱は続くし、久々の絶不調である。そう言いつつも、脱稿したはずの原稿に重大なミスが発見されて、その修正に追われる。『東洋経済』と『ダイヤモンド』を入手したので、気分転換にちらちら拝読。ふーん。ついでに、『下流社会 新たな階層集団の出現』を読む。予想はしていたが二番煎じ?
 要するに、だからどないせいちゅーねん、という視点に欠いている気がする。まあ、マーケティング的考えれば、「下流社会」なるセグメントを設定して、それに対して「マーケティング」することは、確かに重要だとは思うが…。

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広島帰還

▼お昼に、打ち合わせ。午後には広島に戻る。行きの飛行機では、セントレア(中部国際空港)が上空からはっきり見えたのだが、帰りは名古屋近辺まで天候がいまいちだった。広島近辺の天候はまずまずだったのになぁ…。明日からの仕事の仕込みやら、原稿書きやらで一日を終える。あっと言う間の一日だった。

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有明出張

▼所用で一泊東京出張。大学院時代の友人の結婚式へ出席。台場に行くのは久しぶりだったかも。おめでたい話が重なったのも何よりだった。

▼移動中は原稿書き。パソコンが使えない時間は、鷲田清一氏の『顔の現象学』を再読。近々、鷲田氏の新刊『<想像>のレッスン』が出るらしいのでその予習(?)と言った所か。夜は結局、羽田近辺に泊まることに。

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読書メモ(ミニ):臨床心理学の源流

▼最近、出張続きでお仕事的にも、じっくり取り組む余裕がないらしい。

 一日一回以上は、株式投資による資産倍増計画世界情勢・日本経済について考え、業績倍増計画日本の教育の未来について考えるようにしているのだが、改めて一日を振り返ってみると「今晩何を食べようか(何を料理しようか)」「何を一緒に飲もうか」等を考えている時間の方が相対的には長いような気がしないでもない。

▼しかしながら、今日は余裕もあるし、せっぱ詰まっているので、朝から原稿書き。仕込みのために『臨床心理学の源流―フロイト・スキナー・ロージャズ』を読んだり、『新・心理学の基礎知識』に目を通したり。
 スキナーについて意外と知らなかったので、結構、勉強になったかも。

▼夕刻、東京都のE氏とランデブーを試みたが失敗。次回に期待。

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福山出張

▼先日の尾道出張に引き続き、今日は福山出張。

 朝食に、小倉(福岡県)土産の明太子を食べたせいか、JRのチケットを買う際に、誤って行き先を「福岡」と指定しまいそうになった。おそらく私にとっては福山、福岡、福島、福沢、富山あたりは、同音多義語なのであろう(なわけないか)。

 ちなみに今回出張では、超合理的計算法により移動中の無駄な待ち時間は、ほぼ「ゼロ」だった。最近、時間の「読み」ができるようになってきたらしい。

▼移動中は事務処理的お仕事。『東洋経済』と『日経ビジネス』に目を通す。

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平凡な一日

▼午前中はお仕事。昼は、市内出張。夕刻からは会議。

 と、不毛にも充実した一日だった。午前のお仕事的には、時間配分とトークの軽快さ(のなさ)は反省点である。市内出張は、相変わらず「地図読解力」に欠いていたのが難点である(迷い込んだら犬にほえられてしまった)。会議は…、いわゆる「情報提供型」のものだった。私は当該情報を事前に入手していたので(良くも悪くも物好きだからな)、ちょっと退屈だったかもしれない。

▼「風が吹けば桶屋が儲かる」かどうかは知らぬが、「選択と集中」すべき点を間違えてはならない、気がする。

▼『マッキンゼー流図解の技術』を読む。良くも悪くも期待を裏切られたような…。

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尾道出張

▼所用で、朝から夕方近くまで尾道出張。広島では「おざわのの」は、「尾っぽの尾」ではなく、「尾道の尾」と説明すれば良いので、大変に便利であるということに気づいたのは最近だ。ラーメンやホリエ社長のおかげでその名が全国区になる前は「おどう」とお読みになっていた方も少なくないと思うが(私はその口である)、「おのみち」と読む。
▼出張は、行ったり来たりすれ違いだったが、無事、夕刻前には仕事を終え、念願(?)の尾道ラーメンを食す。事前リサーチの上、「朱華園」というお店へ行くことにした。私は待ち時間ゼロだったけど(平日かつ時間帯が食事とずれていたからな)、休日はかなりの列になるらしい。お味の程は…、なかなか美味。また行きたいな。

▼最近、小倉(トンコツ)、徳島(醤油系)、三越広島店の北海道物産展(味噌)、尾道(醤油系)と、よくラーメンを食べに行っている気がする。私は、「こってり」系を食べると、必ずと言って良い程、お腹を壊す傾向があるので、好みはシンプル系かな。個人的には、函館で食べたラーメンの味が忘れられない、かも(函館は塩が基本)。今回のラーメンも、私的には、なかなかのヒットだった。

▼断っておくが、遊びに行ったのではない。ラーメンは仕事の合間のご褒美。ふふ。

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読書メモ(ミニ):メディアリテラシー

▼久々に戦略的費用投下。テレビやテレビゲーム関連で、何冊か大人買いタイトルとamazonレビューを参照して購入したが、参考になりそうなのは結局、予想通りこの2冊だった。やっぱり本は見て買うべきだな。
 いずれも最近、出版されたものだが、数年、チェックを怠っているうち(?)に、完全に取り残されている気がする。とりあえずは追いつきたい所だ。

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YYZ

▼最近、略語が私的にヒットである。IATA(国際航空運送協会)の空港コード(例:羽田ならばHND、成田はNRT)によるとトロント・ピアソン国際空港の空港コードは、YYZなのだそうだ。何故にトロントがYYZなのだ。

▼関係ないが、YYという文字列を見ると染色体が頭に浮かんでしまう私(これでも一応理系出身なのである。センター試験では生物に逃げようかと思った時期もあったしな。しかし、実際は地学。マニアックさには依然として定評がある。さらにどうでもいいが、センター試験は地理受験である。地理・地学は組み合わせ的には良いらしい)。

▼さらに関係ないが、YYと発現発言(発話か?)すると、「ワイガヤ」を思い出してしまう私(これでも経営系を学んでいた時期があるのである)。ワイガヤと言えばホンダ。 
  • http://www.honda.co.jp/WAIGAYA/index.html
 ワイガヤを知らずして、ホンダを語るべからず、と言っていたのは誰だっけ。

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読書メモ(断片):討議の手びき

▼部屋の掃除をしていたら、学部時代に使っていたIDE(民主教育協会)の、『討議の手びき』が発掘された。この本、とても歴史のあるもので、初版は1961年。改訂が1978年。私が持っているのは18刷。1999年に発行された本である。学部時代、ディスカッション慣れしていなかった私は、この『討議の手引き』を意味もなく熟読し、時にアンダーラインまで引いてたりしていた模様。ちょっと照れくさい。
  • 学生問題研究会編(1978). 討議の手びき. 民主教育協会
▼今思えば、実に「当たり前」というか、極めて「常識的」なことが書かれているのだが、当時の私としてはそれなりに役立っていた模様だ。意味不明なメモ(例:ハラ減った)まで書かれていることからすると、食前にも開いていたことがあったのだろう。

 確かに、高校生までアカデミックなディスカッション」などしたことはなかったし(クラブ活動で、日々、何かしら打ち合わせのようなことはしていた記憶もあるが)、まして「事前準備」が求められるようなことは、やはり大学に入ってからが初めてだったと思う。会場も大学では図書館なり「自分で確保」する必要があったしな。

▼というわけで、訳もなくアンダーラインが引かれていた場所を引用しておこう。
5 討議をはじめるまえに 「準備は成功の鍵である」(pp.16-17)
  • (1) 資料の準備 (略)メンバーはそれぞれに、問題点を指摘したり、意見を発表したりする用意をしておく必要がある。メンバーが分担して資料を研究し、討議のはじめに発表するのもよい方法である。
  • (2) 会場の準備 集団討議に集中できるように、人の出入りの少ない、雑音のない場所をえらぶことが必要である。(略)おたがいに顔が見えるようにすることは、きわめてたいせつである。黒板があれば、共通の理解を助けるために活用することができる。
  • (3) メンバーのしんぼく(略)メンバーが話したいことをたくさんもっているようなばあいには、あらかじめ、しんぼくの機会にそれをはきださせておくと、討議のときには、より本質的な問題だけに集中し、他人の話をよくきくようになるという効果もある。
  • (4) 役わりの決定 司会者・記録係・観察係などの役わりの決定については、二つの考え方がある。(イ) 討議の効率をたかめることに重点をおけば、経験のある適任者をうることがのぞましい(略)。(ロ) しかし、集団討議の体験を身につけ、討議技術を学ぶことに重点をおくならば、メンバーのだれもが、これらの役わりをしてみる必要がある。(略)
  • (5) 時間の使いかた 討議をだらけたふんい気にしないためには、開会の時刻を守ることがたいせつである。また、時間がながすぎると効果があがらない。
 以上を、私流に言い換えるならば、(1) グループワーク(グループ討議、集団討議)をする前には、必ず「準備」をして望む。すなわち、グループ内での配付資料、レジュメなどを用意する。(2) 集中してディスカッションができる場所を確保する。できれば、黒板や白板、コンピュータのモニタやプロジェクタなどが活用できる場所が良い。(3) ディスカッション前後にグループで食事を取る、あるいは議論の最中にお菓子などを用意しておくなどして打ち解けた雰囲気づくりに努める。(4) 役割と時間を意識し、結論が出ても出なくても記録係は必ずディスカッションの記録を取って、可能ならば当時中に記録(ログ)をメール等でメンバーに送付する。もしくは、ペーパーとしてまとめ次回配布。

 といったところであろうか。

 ごくごく当たり前のことを、当たり前のように遂行できるようになる。さらには、その「当たり前」を、後人に適切に伝えることができるようになれば、一人前なのだろう。しかし、この「当たり前」のような文化を、実際に築いていくのは容易ではないらしい。しかも、「与えられた枠を越えるように」促そうとするとなおさらだ。

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CCD

▼訳あって、朝から原稿書き。DHAはドコサヘキサエン酸。ADSLは、非対称デジタル加入者線。PTSDは心的外傷後ストレス障害。RDDは、ランダム・デジット・ダイヤリング。ADHDは注意欠陥・多動障害。CCBは、ココナッツ・ボーイズの改名後。要するに、Romanticが止まらない、といった感じなのである(意味不明)。

▼小さい頃、私はCCBのことをCCDだと思いこんでいた(正確には勝手に替え歌を歌っていた)。CCDは言うまでもなく、電荷結合素子。「CCD 集積回路を止めて♪」などと歌っていたことからも当時のマニアックさが伺える。

▼ちなみに私が生まれて初めて買ったデジカメは35万画素のCCD。キャノンと松下と、コニカが共同開発したらしいブツのコニカ版である。BGMは中島みゆき。「そんな時代もあった…(以下略)」。否、未来に生きよう。

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割り切れNASA

▼皆さん、ご存じ(かどうか知らぬが)。低反発性のマットや枕で有名な「トゥルースリーパー」には、NASAが開発した素材が使われているらしい。

 オメガの時計を筆頭として、NASAが開発したブツというのは広告のうたい文句に良く出てくる気がする。「なんだかよくわかんないけど、すごそう」というイメージがあるのだろう。(注:ここまで書いて誤解に気づいたが、オメガは「NASA公認」だった。類友か)

▼そんなことはどうでも良いのだが、「割り切れなさ」という言葉を入力しようとしたら、私のATOK17は、「割り切れNASA」と変換してくれた。「割り切れ」ない感じと「NASA」が持つイメージが渾然一体となって、大変に愉快であった。『アポロ13』を『トゥルーライズ』で割った感じである(意味不明)。

▼今夜は、「くだらない」ことが分かっていつつ、テレビで『トゥルーライズ』を部分的に観てしまった(高校時代に映画館で観た数少ない映画の一つである。断っておくがデートではない)。テレビショッピングも「くだらない」ことが分かっていつつ、時々欲する番組の一つである。つくづくくだらない、と改めて思う。そういう自分もくだらない、なんてな。

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