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2005年9月

9月総括

▼毎月、思うことではあるが「今月も終わるのが早かった」。実に早かった。出張が多かったせいだとは思うが(注:日記でネタにしている以外でも、何回か出張へ出ている)、地に足をつけて活動するために、地に足がついていない状況といった所かな。来月も、出かけることが多いので体力的にも気をつけたいな。

▼日記ネタとしては、今月は(も)貴重なコメントをいただくことができた。検索の達人徹夜人を目指していたつもりの私ではあるが、読者の方から貴重な情報をいただいたり、何かと人生においてお世話になっているM氏からも有用なコメントを頂戴した。Blogのコメント機能は、未だうまく使い切っていない面もあるので、今後の課題としたい。

 トラックバックは雑音(スパム)が多いので、これまた今後の課題である。コメントスパム対策は施したつもりではあるが、とりあえずは最新版にバージョンアップかな…。

▼その他、いまいち読書ネタが少なかったのと、メールのレスポンスが悪くなってしまったのが反省点。前者については「蓄積」が貯まってきたので、うまく活用したい所。後者については、土日を使って一生懸命メールしています。どうかお許しを。

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読書メモ(ミニ):「脳」整理法、他者の声 実在の声

▼29~30日にかけての出張中、移動時間に、ちょっとした読書。私の個人的な傾向と対策として、具体的な事象に関わらざるを得ない時は、抽象的な本を読みたがる反面(例:哲学・思想関連)、抽象的な事象に関わらざるを得ない時は、極めて具体的な本や雑誌(例:いわゆるコンピュータ雑誌等)を欲する気がする。
▼同じような所をぐるぐる回っている点においては両者とも代わり映えがない気もするが(注:決してネガティブな意味ではない。問題が何なのか、それを明らかにすることが哲学や思想の仕事の一つだと私も思っている)、前者にはやや違和感を感じてしまったかもしれない。それが何なのか表現できないのが悔しいが、茂木氏の、これまでの著作に今一度目を目を通してみたいところである。

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大阪出張

▼大阪出張。阪神優勝®の観察をしに行くため、ではなく単なるお仕事である。私は大阪の地理にかなり疎いのだが(注:東京の地理にも疎いし、そもそも私は方向音痴である)、今回も迷子になってしまった。

 とくに見つけにくかったのはホテル。「8番出口」ってどこだよぉ…と地下鉄の中心で思わず叫びそうになったが、ぐるぐる回って何とか到着。東京(大手町付近)、名古屋(栄付近)に引き続き、地下道はトラウマになりそうだ。

▼都ホテルでディナーをごちそうになった。フォアグラ。ありがたいことである。

▼阪神は無事、勝ったらしいが、夜はテレビを見るまでもなく原稿書き。

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来週の仕込み

▼来週からはかなり忙しくなることが予想されるため、時間的余裕があるうちに、来週以降のお仕事の仕込みを入れる。単純な図式ではあるが、アウトプットすべき事柄が増えると、インプットする量が減ってしまうのが難点である。もちろん、アウトプットに際しても「確認」という作業が欠かせないため、資料は散乱しがちなのだが…。

▼知識をアップデートすべく、
 などにも目を通してみたり。心理学的知見に限らないが、どんな知見であれ「使わないと忘れる」し、これは私に限ったことかもしれないが、適時、参考となる文献類に目を通していないと、自分自身の理解がゆがんでくる気がしてならない(自分に都合の良いような理解に偏ってくる)。これを防ぐためにも、基本書は私にとって欠かせない。

▼Q&A形式の入門書っていうのは、やはり学習しやすいな、と思ってみたり。

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帰り道に一本

▼夕刻(というよりは、夜間治療の時間帯だが)、歯科医に出かける。実を言うと、長いこと放置していた奥歯が、ついにご臨終してしまったのである。確かに、今度、銀歯が抜けたら抜歯しかないとは言われてはいたのだが…、あっけなかったなぁ。

 しかしである。今日の予約では、「歯垢のクリーニング」のだったはずなのだが、いきなり抜歯の打診をされてしまった。うーん。そんな心づもりはなかったのだが…。さっくり拒否すれば良かったものの、小心者の私は、思わず「はい」と了解してしまったのであった(こういう時に、優柔不断さが発揮されないのはなぜだろう)。

▼その後、あわててその他の治療法や、治療によって生じるネガティブな点について聞いたのだが、来週の予定(来週は多忙なのである)を考えると、今日がベストという結論に至った。私は、元々他の歯科で「臨終→抜歯」の宣告をされていたから良いものの、打診の前に、もうちょっと説明してくれても良かったのになぁ。
 治療中のことは思い返すのも嫌なので省略。だんだん医者がこわくなっていったのが印象的だった。助手に「もってこい」はないだろう。そもそも私の虫歯が進行していたのが難点だが。
▼帰宅後は、麻酔が切れた後にビビリながら(だって脅かすんだもん)、珍しくアルコールを控え(当たり前か)、夕食も食べる気もせずに早めに寝た。後悔すべきことはたくさんあるが、夕食を食べてから歯科に行けば良かった。否、5年前、ちゃんと治療をしておけば良かったと思う今日この頃。ま、後悔役に立たずではあるが。

 「もう一度、歯が生え替わる遺伝子」が発見されるまで、まだ、相当な時間がかかるだろうが、画期的治療法に期待したいところである。

追伸
 朝まで血が止まらず。覚悟してタオルを敷いて寝たが、微妙にマットに血痕が…。多い日も安心もっと大きめのタオルを敷けば良かった。

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徳島出張

▼9月23日~25日の記録
 所用で、徳島へ出張。日々、地味に生きることが私の人生のプチ目標でもあるので、今回も地味な出張になるように努めた。最後のご当地ラーメンと言われているらしい徳島ラーメンを食したり、うどんを食べたり、新鮮なお魚をいただいたりと水面下で楽しんだつもりである。関係各位にはお世話になったが、お詫びすることの方が多いかもしれない。懲りずによろしくお付き合いいただけると光栄です。

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読書メモ(ミニ):表現と図解

▼お仕事的関係で、「表現」だとか「図解」関連の本を何冊か物色する。この手の分野はD.A.ノーマンの『誰のためのデザイン?』や『人を賢くする道具』で事足りる気もしないでもないのだが、最近出ている本は具体例が豊富なのが良いかもしれない(具体例くらい自分で考えろ、という気もするけれど)。

 言うまでもないが、「表」の重要性を指摘するにも、実際、「表」を示しながら例示するか否かで、説得力は全く違う。あるいは、文章を書く際にも、図的表現を使うか否かでは、かなり効果は違ってくる。しかし、このような「当たり前のこと」を、自分で実行するのは意外と難しい時もある。特に文章を書く際など、「自分」中心になりがちだしな。

 さらにいえば、「当たり前のこと」をきちんと実行している人(や組織)を、いかに「評価」するかも難しい問題である。通常、例えばコンセプトが分かりにくい商品は、市場で淘汰されるはずだが、必ずしも淘汰されにくい領域があるからなぁ(意図的に難解に示す、ということが効果を持っている場合もあるのは事実だが)。

▼と、前置きが長くなったが、見た限り、藤沢晃治氏の3部作が、内容としても値段としても人に紹介するのには良いかな、という気がする。とくに、「違反例」と「改善例」が具体的に明示されている『「分かりやすい表現」の技術』は、チェックリストも充実しており入門書としても良さそう。

私が、『「分かりやすい表現」の技術』の中で、これは使えそうだな、と思った例は以下の2つである(これら以外にも、独自の例示が多く、参考になる)。

違反例:電話帳機能と親子間通話機能は、すべての機種SX-05、SX-50、SX-550に装備されています。SX-50とSX-550はさらにナンバー・ディスプレイ機能にも対応しています。最高級モデルのSX-550には、盗聴がほぼ不可能といわれているデジタル子機、また電話番号を2つ使えるダイヤルイン機能にも対応しています。
改善例:違いが分かる表示
SX-05 SX-50 SX-550
電話帳機能
親子間通話
ナンバー・ディスプレイ対応 ×
ダイヤルイン対応 × ×
デジタル子機 × ×

 この事例は日常的に目にしているだろうカタログが例になっていて、「表」を用いることの重要性も分かりやすく伝わりそうである。あるいは、「説明」の際の表記の違いが、「理解」とも密接に関係していることを伝えるには以下の例も良さそうだ。

違反例:"neither"で二つの単語を結ぶ場合、接続詞は"or"ではなく"nor"を使う。したがって、"Neither you or I am responsible for it."は誤り。また、動詞は、"nor"で結ばれた二つの主語のうち後者に一致させる。したがって、"Neither you nor he have seen her lately." は誤り。

改善例

誤:Neither you or I am responsible for it.
正:Neither you nor I am responsible for it.
  (Neitherには、接続詞norを使う。)

誤:Neither you nor he have seen her lately.
正:Neither you nor he has seen her lately.
  (動詞は直前の主語に一致させる。)

 一つひとつを見れば当たり前のことだが、表現の重要性を意識していないと「違反例」を量産してしまうことになるんだろうな。
 その他の本で、良さそうなものがあればまた取り上げたいところだ。

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読書メモ(断片):あいまいさに耐える力

▼人に統計を学ぶ重要性を伝える時、私は河合隼雄氏が言うところの「エゴ・ストレングス」(一見、役に立たないように見えるが臨床家としての自我の成長に役立つ)を例に出すことが多い。しかしながら、その前提となる数学の重要性については、「論理的思考力」が身に付くといった文脈でしか語ってこなかった。

 しかしである。最近、たまたま手にした『テレビゲーム時代の子育て』を読んで、「あいまいさに耐える力」というのも確かに、数学を学ぶ一つのメリットなのかな、と思うに至った。印象に残った一文を、引用してみよう。

(略)子どもがわからない文章問題があった場合、その問題を、いくつかに分けたり、レベルダウンしたりして、子どものできる問題にして再提示します。(略)その計算の途中で、子どもが「ここまで合っている?」と聞いてきたとしても「終わりまでやってから見るね」とやんわり断ります。子どもは計算しながら途中で正しいかどうか不安なのです。もし、途中で聞かれたとき「正しいよ」と答えて安心させると『その不安に耐える力』がつきません。

 そのようにして、算数の学習の中でも、解き方が正しいかどうかわからないけれど、先に進めていく力、すなわち『あいまいさに耐える力』をつけていけるのです。このような指導を受けていくと、子どもたちは、いくつかの解き方を試み、しかも、その過程をノートに残しながら試行錯誤するようになっていきます。(略)(pp.54-55)

 なるほど。「あいまいさに耐える力」とは、確かにその通りかもしれない。これも河合隼雄氏の言葉だが、「葛藤保持力」に近い考え方かもしれない。葛藤保持力の場合は、何らかの悩みに対して早急に結論を出さないという点に力点が置かれていたと思うが、数学のような問題解決にも同じようなことが言えるというのは、プチ発見だった。

 常識的なことかもしれないが、私的には、意外と「盲点」だったのかも。
 なお、著者は上記のような指導法を「カウンセリング的学習指導」と呼んでいる。

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ラーメンすみれ

▼三越広島店で、北海道物産展をやっているというのでお出かけ。お目当ては、乾燥ホタテとラーメン「すみれ」。後者は、中四国初上陸?ということと、単純にラーメンが食べたかったという理由で初挑戦してみた。

 多少の混雑は予想はしていたが、待ち行列は30分。愛知万博も真っ青である(注:愛知万博では8時間待ちとかいうパビリオンもあったので比較にならない)。

▼かなりお腹が空いていたので、とりあえずソフトクリームを他のお店で購入し、食べながら待ち時間を楽しんでみた(邪道)。で、肝心のラーメンだが…。ここだけの話(注:「ここだけ」がどの範囲を指すのかが微妙だが)、妻のラーメンと私のラーメンでは出来具合が違い過ぎた(もちろん同じ味噌ラーメンである)。

▼私が食べたものは、一般的に言っても不合格だろう。と言うのも、麺はほぐれていないわ、スープのバランスは悪いわ、珍しく「ハズレ」に当たってしまった模様。まあ、宝くじが当たったようなもの(?)だろうし、妥協できる範囲ではあるとは思うのだが…。妻のは普通に美味しかったのだが、一人で行っていたらちょっと悔やまれたかもしれない。

▼気を取り直して、店を出た後に、ホタテを購入。お兄さんのトークはさすがに上手かった。その後、帰り道のセブンイレブンで、カップラーメン版「すみれ」の味噌ラーメンを購入。おみやげである。

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ホーム・ベーカリー(続き)

9月16日の日記に、ホームベーカリーを購入したと記したが、その後の話題である。早速、妻が作ってくれた。ありがたや。私は見ているだけで、何も作業をしていないのだが、予想以上に「簡単」にできるらしい。発酵に時間がかかる以外は、炊飯器のパン版に等しいと言って良い。
 
 第一作目は、とりあえずはプレーンの食パンである(写真参照)。予想以上に、ふっくらしているし、焼きたてのこうばしい香りが素晴らしい。ちなみに、写真では分かりにくいかもしれないが、記念撮影の前に我慢できずに一部を食してしまった跡がある。

 お味は、とってもシンプルだが、手作りならではといった感じである。素朴なパンを好む人は(添加物入りのパンが好きではない人は)、きっとお気に召すだろう。

 どうやって製造工程で「ひねり」を入れているのか、スケルトンではないので、工程がさっぱり見えないのだが、大阪国際ホテルで修行を積んだ社員の「暗黙知」入りだと思うと、感慨も深い←大げさ。

▼食パンはもちろんのこと、フランスパンやデニッシュパン。さらには、うどんやパスタも作れるらしい。うーむ。実に高機能。さらには、にんじんを入れれば、にんじんパンが。かぼちゃを入れれば、パンプキンパンが、さつまいもを入れれば、さつまいも…など、多様な展開も可能とのことである。もうパン屋は必要ないかなと思ってみたりして。

▼追記 ちなみに私が購入したのは、National の SD-BT113 である。ふと、検索してみたら、松下電器の公式サイト「ものづくりスピリッツ発見マガジン」なるサイトで、ホームベーカリーの歴史が紹介されていた。
 なかなか面白いじゃない。これは、事例としても使えるかも。

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読書メモ(ミニ):テレビゲームと子どもの心

▼昨日は会議がたくさん入っていたり、今日は今日で、仕事の準備に追われたりと、これと言って何もやった感じのしない一日になってしまった。合間に、『テレビゲームと子どもの心』を読んだり、本の整理をしたくらいか。この本、内容は良識派だと思うのだが、いかんせん本の表紙のデザインに難があるかもしれない。
 確かに、平積みにされていると目を惹きそうだが、それ以上に、「怪しい」感じもしてしまうような…。なお、この手の本の中には真っ当そうな見かけで、真っ当そうな出版社から出ているが、しかし、内容は怪しい『ゲーム脳の恐怖』のような本もあるので留意が必要だと思われる。『テレビゲームと子どもの心』でも批判的言及がある。

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ポポー

▼スーパーのJAコーナー(地元農産物?)らしき場所で、「ポポー」なる物体を発見。見た目はどう見たってアケビ。しかしながら、名前は「ポポー」。大変にかわいらしい名称である。しかも、袋には解説が付いてい「プリン味」なのだそうだ。うーむ、ということで、ネタにする試す価値がありそうだったので、購入してみた。お値段150円なり。

▼とりあえず冷蔵庫で冷やしてみる。全体の香りはプリンというよりはマンゴー近く、なかなか良い。しかし、熟しているせいか、若干、ぐにゅっとした手触りがたまらない(バナナだったら完全にアウトである)。食そうと、皮をむいて見ると、それは…(写真)。

▼外見はアケビだが、中身はマンゴにっぽい感じ。しかし、柿の種くらいの大きさの種が、所々に散在しているのが特徴である。探検隊としては、プリン味っぽいアケビ(?)を想定していたが、味は、率直に言うとマンゴーとバナナの出来損ないといった感じだった。不味くはないが、後味がぱっとしないのが難点か。

▼ちなみにマイペディア百科事典によれば、
ポポー:ポーポーとも。北米南東部原産のバンレイシ科の落下中高木。自生地では下線の低湿地などにはえる。日本には明治時代に渡来したが、家庭用果樹にとどまった。(略)果実はアケビに似た形で秋に収穫。果肉は柔らかくて甘く、特有の強いかおりがある。
 とのことである。ふーん。「特有の強いかおり」というのは、確かにその通りなのだが、「特有」過ぎて、他に例えようがないのも難点である。

▼あの食材コーナーには、他にも謎な野菜が時々売られているので、また試してみたい所だ。気になって見ているが、その後、ポポーとはお目にかかっていない。一期一会の出会いだったのか…な。

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ホーム・ベーカリー

▼ついにパン焼き器(ホームベーカーリー)を買ってしまった。松下電器製を買うことは以前から決めていたのだが、新製品が出たのでついに購入である。

▼私は、元来は松下電器の製品はあまり好きではなかった(かつての松下製品は、デザインがいまいちだったからな)。が、ホームベーカリーだけはご指名である。理由は単純。私が、大学院へ進んだ際、進路選択の大きな契機となった本でもある『知識創造企業』で取り上げられていた事例に、感銘を受けたからである。
 一九八〇年代後半に松下電器が家庭用自動パン焼き器を開発したときの大きな問題は、熟練パン職人が持つ本来的に暗黙知であるパン生地を練るプロセスをどう機械に乗せるかであった。熟練職人の練ったパン生地と機械で練ったパン生地をX線にかけて比較したが、有意義なヒントはなに一つ得られなかった。たまたま、ソフトウェア開発主任の田中郁子が、大阪コクサイホテル(原文ママ)のパンは地域でいちばんおいしいことを知っていた。そこで、練りの技能という暗黙知を手に入れるために、彼女と数人のエンジニアが自ら同ホテルのチーフ・ベーカーに弟子入りした。チーフ・ベーカーのと同じくらいおいしいパンを作るのは容易ではなかった。だれもその理由を説明できなかった。しかし、ある日彼女は、チーフ・ベーカーがパン生地をただ引っ張るだけでなく「ひねり」も加えているのに気がついた。それが、おいしいパンの秘訣だったのである。こうして彼女は、チーフ・ベーカーの暗黙知を、観察、模倣、訓練によって共同化した。(p.94)
  • 野中 郁次郎・竹内 弘高(著)梅本 勝博 (翻訳)(1996)
    知識創造企業. 東洋経済新報社
 上の引用には、若干の説明が必要かもしれない。「暗黙知」とは、言葉にしがたい知識、あるいは身体的な知識のことである。私たちは《語ることができるより、より多くのことを知っている》と言われる(マイケル・ポランニーの概念である)。例えば、自転車の乗り方、泳ぎ方、口笛のふき方などが典型だろう。
 「共同化」というのは、「知識創造理論」の重要な概念の一つである。体験や実践、あるいは何らかの営みの中で、「暗黙知」を共有することを指す(はず)。

▼当時、大学生だった私が、なぜ痛く感銘を受けたのかは、今となっては正確には思い出せないし、今となっては、ささやかなエピソードかもしれない(プロジェクトX的な番組も多く目にするようになったしな)。しかし、おいしいパンを作るために「弟子入り」したということや(当時の私にはそんな発想はなかった)、「ひねり」を入れるという単純、しかし深淵な知識を発見したという過程は、いまだに興味深い。
▼といった前置きはさておき、大変おいいパンが焼けたというニュースはまた後日。

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大分出張

▼大分県は某所に、所用で出張(なんだかこう書くとあやしいが、決してやましいことはない。←言い訳がましいところがあやしい)。広島→大分へは新幹線で小倉へ移動した後、小倉から特急に乗って別府やその他へ行くのが主流らしい。大分県南部ならば、宮崎空港から移動するという手もあるが、割高過ぎるので却下。

▼いわゆる営業活動の一環なので、久々に営業トークをした(つもり)。大分県は福沢諭吉の出身地でもあるので、ゆかりのブツをおみやげに購入して終了。

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原稿推敲日

▼本日は、とある原稿の締め切り日だったので、朝からその最後の修正等に追われてしまった。アウトプットを多くしようとすると、なかなか領域外の本が読めなくなってしまうのが難点である(要するに、読書メモのネタが失われる)。無事脱稿。自分にとっても良いまとめになったかな、と思ってみたりもする。

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正当に怖がることはなかなかむずかしい

▼私は、寺田寅彦の良き読み手ではないのだが、彼の言葉と言われている「ものを怖がらな過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなかむずかしい」の出典は、一体何なのだろう。頻繁に引用されているのは、ググっても分かるのだが、出典が出てこない。

 aozoraで検索をかけてみたが、やはり分からず。手持ちの随筆集を調べてみたが、やはり見つけることができなかった。ご存じの方、help me!

▼久々に、「科学者とあたま」を読み直す(以前も引用したことがあったらしい)。
 頭がよくて、そうして、自分を頭がいいと思い利口だと思う人は先生にはなれても科学者にはなれない。人間の頭の力の限界を自覚して大自然の前に愚かな赤裸の自分を投げ出し、そうしてただ大自然の直接の教えにのみ傾聴する覚悟があって、初めて科学者にはなれるのである。しかしそれだけでは科学者にはなれない事ももちろんである。やはり観察と分析と推理の正確周到を必要とするのは言うまでもないことである。

 つまり、頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならないのである。

 この事実に対する認識の不足が、科学の正常なる進歩を阻害する場合がしばしばある。これは科学にたずさわるほどの人々の慎重な省察を要することと思われる。
 頭の悪さに関しては一流なのだが、観察と分析と推理に難があるのが難だ。

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陣中見舞い

▼自○党時代に懐かしさを感じつつも、成犬奪取に忙しいおざわです。わんわん。

▼今回の選挙は大変に難しい選択に迫られています。

 私、大学院時代は、石川県の森せんせー(注:森毅氏のことでも、森進一のことでも、北杜夫のことでもない)の地盤に住んでいました。なので選挙は、勝負が見えていて、いまいち盛り上がりに欠けていました。

 だって、森せんせーがいなかったら、あ…(以下略)。

▼その前は、神奈川県のF市に住んでいたのですが、誰が出ていたのかすら記憶にありません。それだけインパクトがなかったのでしょう。

 今回は…。まあ、アレですな。アレ。

▼なんてくだらないことを考える暇もなく、「陣中見舞い」で某所へ。ねえ、みんな知ってる?「陣中見舞い」って選挙用語なのよ(無知)。公職選挙法を熟読して、手みやげを持って行くが、どう考えても規模からすれば「焼け石に水」もいいところだった。

 生まれて初めて選挙事務所に足を運んで、正直かなり緊張したが(それ以前に、当然のように迷子になった。地元の人が教えてくださったので助かったが…)、大変、発見が多い一日でもあった。しかしながら、何かお手伝いができるわけでもなく、単にご迷惑をおかけしただけのような気もしないでもない。

 超多忙にも関わらず、選挙事務所の方に大変、親切にしていただいたり、政策の話を伺ったり、一票の足しにもならないストレンジャー(×黄レンジャー)を許容していただいたのは、感謝感激である。後々、選挙事務所のエスノグラフィーを書いたら、それはそれで興味深いな、と思ったりもしたのだが、実際は、そんな余裕があるわけではなく、「弱い紐帯の力」を感じながら帰宅。

 何はともあれ、関係各位、応援よろしくの連絡を関係各位に回す。

▼そう。「応援よろしく」という声が自然に出ること自体が、フラジャイルなのである。

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読書メモ(断片):カーニヴァル化する社会

▼先月も出張が多かったのだが、今月も出張がかなり入ってしまっている。

▼私は、出張関係のネタは、「遊んでいる」という妙な誤解を避けるため、あまり本日記には書かないようにしているのだが(注1)、出張が重なると、気分転換になるはずの出張それ自体について「気分転換」したくなる気分に駆られる。
注1:余裕があれば、出張ついでに飲みに行ったり、観光へ行くこともあろうが、「ついで」が多いと、目的が逆転しているようにしか見えないものである。しかし、私が日常会話や日記でネタにしうるのは常に「ついで」方だだ。それ故、「ついで」しか語らない私は、よからぬ誤解を受けることが多いらしい。誤解はコミュニケーションにつきものだが、私は「税金の無駄遣い」に口やかましいので、誤解は可能な限り避けたいのだった。
 言い換えれば、出張へ行ったこと自体を「ネタ」にしたい気分なのである。しかし、だ。すべてを「ネタ」にすれば済むような情勢ではないようだ。私にとっては、何らかの出来事を「ネタ」にすることは(話題を、第三者に語ったり日記にまとめることは)、自分自身を冷静に吟味したり、他者の視点に立って否定と肯定を裏返すための手段なのだが、世の中的には、そうとも言えないような状況になっているらしいからだ。
(略)代わって登場するのは(注:現代な消費に代わって)、「ネタ消費」とでも呼べる事態だろう。誰かが良いと言うからではなく、そうしたコミュニケーションも含めて、自分にとって「ネタ」になるかどうか、再帰的な自己モデルを維持するに足る材料となりうるかどうかが、消費の鍵となる。

 たとえば大学生などに対して携帯電話の利用行動を調査すると、カメラ付きケータイで撮影した画像は、誰かに添付してメッセージを伝えるというよりも、今の自分の状態が「ネタになるから」メールに添付して送るとか、一人の時に眺めながら過去の自分を振り返るために利用されていることが多い。こうした行動が、前章までに説明してきた自己モデル、つまり「反省」ではなく「再帰」的な運動によって駆動されていることは、言うまでもない。そこに存在するのは、データベースからのネタの引き出しによって自足するというコミュニケーションの様式なのである。(p.157)(下線は引用者による)
 「再帰」的というのは、「私は私」であるという主張を、他者をよりどころとすることなく規定しようとする試み、あるいは、私は「他者にとっての私」の集合に過ぎないという考え方のことである。「振り返る」の用法が、私と著者で異なるが、著者の場合、出来事は自分自身を他者に呈示するための(示すための)手段に過ぎないと思われる。

 最近、私はこの手の社会学時事解説を好まないのだが(だって、飛躍しすぎなんだもん。どうせ飛躍するなら、心理学なアプローチの方が読み物として面白い)、たまに読むと、何かを考える際の「ヒント」にはなるような気もする。

▼「再帰性」に反応してみる。おそらく、私が最も危惧しているのは、「反省」だとか「内省」、あるいは「メタ認知」だとか「リフレクション」、「クリティカル・シンキング」の重要性それ自体が、「ネタ」として捉えられてしまっている可能性である。「リフレクション」や「クリティカル・シンキング」という概念を、「リフレクション」なしに、あるいは無批判に用いられている嫌いがある。なんてことを出張先で考えてみたり、考えてみなかったり。

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シミュレーションについて調べる

▼遙か以前に、「たまごっち」をはじめとする携帯ペットやシミュレーションについて、まとまった文章を書いたことがあるのだが、最近、諸事情で調べなおした。「ポケモン」や「ムシキング」「たまごっち」の共通項を見つけたかったのだが…。その過程で見つけたHotwiredの記事の方が、個人的には興味深かったかも。

 最初に読んだ時は、そうは思わなかったのになぁ。  久々にフライトシミュレーターで遊びたくなったが、時間がないらしい。
 仕方がないので、将棋を一局。ボケ防止である(たぶん)。

▼何かいいたいことがあったのだが、改めて書くことにしよう。

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天文学入門

▼最近、「超」現実的なことばかり考えているせいか(もっとも何が「現実」なのかは、よく分かっていないが)、帰宅後(入浴中)は、「超」抽象的なことを考えたくなる。

 私にとって、天文学は「超」抽象的な領域なのか、「超」現実的な問題なのか、そもそもその区別すらつかないのだが、「地に足が着かない」ような、それでいて「地べたを這いまわる」ような、そういう微妙な感覚は、以前から好んでいる。ちなみに、私は、大学の進路選択時に、「宇宙」の道に進もうと迷っていたとか、「哲学」に関心があったと言う話はあまり知られていない。どちらも結果的には選ばれなかったのだが。

▼てなわけで、久々に天文学の入門書でも読もうと思って、岩波書店のジュニア新書をamazon経由で買ってみた。ジュニア新書なら、基本的に「やさしく」書かれているはずだからな。しかし、である。本書は、「天文学」的な話題というよりは、岩波新書の『ハッブル望遠鏡が見た宇宙』とコンセプトが似ているような…。それとも、私もいい加減に「入門書」レベルのことは理解している、と言うことなのかしら。
 もっとも、本書はさすが「岩波書店」らしい素晴らしい出来である(褒め言葉である)。豊富な写真や図(想像図も含む)で読者を惹いて、解説を加えるという展開も、悪くない。ハッブル以外の写真も多いし、基礎的な天文学も十分学べる。

 個人的には、手に入れやすく(なんと2500円!)、しかも光学性能がすぐれた望遠鏡として「オルヴィス社」の「スピカ」という望遠鏡が紹介されていたのが、参考になった。2500円だったら、「おもちゃ」としても十分人に勧められるしな。職場に一台くらい置いておいても、悪くないかもしれない。←何に使うんだ?

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終電帰宅

▼台風来襲。午後には、私が通勤で利用している電車も運休となった。状況をさっぱり分かっていなかったのだが、 運良く「終電」で帰宅できたのが何よりだった。(注:噂には聞いてはいたが、東北出身者仙台近辺出身者&金沢近辺住民だった私は、「台風」というのがいかなるものなのか良く分かっていないのである。しかしながら、さすが広島。早々とお店は閉店し、公共交通機関は運休した)

▼家でも仕事をしようと思ったが、いまいち自宅ではノリが悪いので、意味もなく、久々にキーボードを出す(注:飽きっぽい私だが、たまに音楽に浸りたくなるのである)。さらに意味もなく、平松愛理の「部屋とYシャツと私」を弾き語りいて終了。あまりに久々だったので、感覚を取り戻すので精一杯だったような気がする。

▼掃除したり、洗濯したり、お料理したり。「なんとなく、休日」的な一日だった。風は確かに強いが、これからどうなることやら…。明日は休みにな…(規制)…いいな。

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RJP(Realistic Job Preview)再び

▼RJP(Realistic Job Preview;現実的な仕事情報を事前に提供すること)について、優れた解説記事を見つけたので、取り急ぎメモをしておく。
 そういえば、私も昨年の7月に関連記事を書いていたことがあるらしい。
 以下、2004年7月の記事より再掲。

▼企業も大学も、得てして似たようなところはあるが、「入ってみないと分からない」ことが少なくない世界である。入社後、入学後に「こんなはずじゃなかった!」と、ココロの中心で叫んでいる人は少なくあるまい。

 おおよそ公式パンフレット(Webページも含む)は、自社アピールのために、これでもか!というほどのイメージ戦略(バラ色化)を試みようとするものである。もちろんOGやOB訪問、あるいはキャンパス説明会などで、現役社員や学生から直接、情報を得られることも少なくないが、限界もある。

 ここが就職(入学)の難しいところだが、会社(大学)側にとって「合う」ことが必要条件、その上で、自分自身にとって「合う」か否かを検討しなければならないのが難点だろう(もしくは「合わせられる」「変えていける」かも)。

人材マネジメントの世界では、人材を求めるにあたっての必要な情報開示を、Realistic Job Preview(RJP)あるいはRealistic Organization Preview(ROP)と呼ぶらしい。この分野の入門書である守島先生の『人材マネジメント入門』によれば
 RJPやROPの基本的な考え方は、仕事(JOB)や組織(Organzation)について、「いいことも、悪いことも、丸ごと伝える」ということになります。言い換えれば、情報を白黒あわせてすべて伝える、ということです。(p.47)
 と説明されている。「いいことも、悪いことも」や「白黒あわせて」、という点が重要だろう。これは確かに、見逃されがちな視点である。

 RJPの主な効果として、以下の3点が挙げられている。
(1) 入社後の役割や仕事内容が、明確化され、過剰期待を軽減し、入社後の幻滅を取り除く(ワクチン効果)
(2) より主体的な意思決定を促し、入った組織のコミットメントを高める(コミットメント効果)
(3) 応募にあたって自己選択を行い、自分にフィットした仕事だけに応募する(スクリーニング効果)
 確かに、過剰な幻想を抱かせなければ、「こんなはずじゃなかった!」感も生じないし、幻想を抱く人は他に流れる。しかし、「悪いこと」を、単にネガティブな情報としてではなく、適切に人に伝えるのは容易ではなさそうだ。

 「やってみないとみないと分からない」「入ってみないと分からない」「大人になれば分かる」という用法を、いかに越えるか。結局は、共有経験の組み合わせと、直観に頼るしかないのかな、とは思うが重要な課題かも。

▼金井先生の『働くひとのためのキャリア・デザイン』のpp.168-198.にもRJPについて書かれていて、野村総研の例などは参考になる。↓のような一文を読むと金井先生の授業って、一度受けてみたくなるな。
  神戸大学の社会人大学院の講義で経営管理論や組織論を担当するとき、わたしは、初期のセッションで、自社の会社案内のクリティーク(批判)をおこないつ つ、自己紹介と自社紹介をやってもらうことがある。そのときのチェックポイントは、(1)間違ったこと、嘘は書かれていないか、(2)大事なことで述べら れていないことはないか、(3)もっとリアルに会社の姿を学生に示すには、どのようにパンフレットを作りなおしたいと思うか、の三点である(思わぬ発見が あるから、読者もぜひ、ひとりだけではなく職場の仲間を巻き込んで、チェックしてみてほしい。(p.172)
 Webページなんかも、こういう視点で見直してみるといいのかも。
金井壽宏先 生曰く「偽ったことを語るという文字通りの嘘を「黒い嘘」というのに対して、大切なことを故意に語らないことを「白い嘘」(M・スコット・ペックの造語だ と思われる)」というらしい。パンフレットのようなものには本当の嘘は書かれていなくても、「白い嘘」はあるかもしれない。
 白い嘘をつかないように気をつけなくっちゃね。 

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硬貨の流通が初の減少

▼硬貨の流通が初の減少に転じたらしい。日経の見出しには「電子マネー普及」と書かれていた。実感的には、「やっとこういう時代になったのね」といった感じである。わたしゃ、そもそも小銭が嫌いだし、ポイントをセコセコとためたがる小市民なので、クレジットカードも少額でも利用するタイプだったりする。要するにプラトニックプラスチックマネー好きなのである。元々、福沢諭吉先生を目にする機会など少ないのだが、最近は、ますます先生と疎遠になってしまっているかもしれない。

▼「プラスチックマネーは使いすぎる」という説もあるが、私の場合は逆に、この言説が強く働いているためか、抑止力になっているらしい。唯一の問題は、「お金」の概念が抽象化しすぎる嫌いがあることである。無理に具体化しようと、支払金額を1時間あたりの賃金等で割り算したりすると、今度は、仕事と言うものが抽象化する気がする。

 貨幣というものが一体いかなる意味を持っているのか、今一度、『貨幣論』や『ヴェニスの商人の資本論』を読み直さなくてはならないな、と思う今日この頃。
  • 岩井 克人 (文庫)(1998). 貨幣論. 筑摩書房
 そういえば、ずっと前、何かの授業で、貨幣の匿名性について(&電子マネーのあり方について)レポートしたことがあるな。1995年のことだったから、今から10年前。時代は、ずいぶんと変わったものである。

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神話論

▼時間を見つけて、ジョゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄)()』を読み直す。先日、『ガラスの仮面』を観たから…ではないが、ガラスの仮面のことを「千の顔を持つ仮面」と何度か言い間違えてしまったことからすると、自分の中では、どこか重なっているのかもしれない。『ガラスの仮面 』も、もはや神話の域に達しているしな。

▼話が前後するが、『千の顔を持つ英雄』は、著名な神話論の一つ。スターウォーズのジョージ・ルーカスは、キャンベルから多大なる影響を受けているというのは有名な話。しかし、この本は二分冊だし、読むのがとても大変。

 世界の物語に造詣が深くないと、そもそも理解できないし(シェークスピアを知らずに、イギリス文学を読むようなものだ)、扱われる範囲もとてつもなく広いのである。若かりし頃、「読んだ」つもりはなっていたが、さっぱり覚えていない、という事実にしばし愕然としてしまった。やはり、スターウォーズを観る方が楽だわ(比較にならない)。

▼神話(広義の物語)に、共通のパターン(構造)があるということは、ジョゼフ・キャンベル以前にも指摘されていたことだが、最近では、これが一人歩きしている感がある。たとえば、野口悠紀夫氏の『「超」文章法』の手にかかると、神話論は(神話のパターンは)、文章を書く際の「骨組み」と化してしまうのである。

 以下、紹介。「左側=右側」に分けて記してみたが、左側は野口流の「冒険物語の共通のストーリー」の要約。右側は、論述文の骨組みを書く際の応用である。
  • (1)故郷を離れて旅に出る=日常生活から離れて、論述を「面白く、ためになる」もにするため。
  • (2)仲間が加わる=主張を補強するため。
  • (3)敵が現れる=主張したい概念の性格を明確化するため。
  • (4)敵との間で最終戦争が行われる=主張と反対論のどちらが正しいかを示すため。
  • (5)故郷へ帰還する=一般理論を現実に応用するため。
  • 野口悠紀夫(2002). 「超」文章法. 中央公論新社
    p.82の内容に編集を加えた。
 この転用は、強引な気がしないでもないが、なんとなくそう思えるのも、神話のパターンの奥の深さを物語っているのだろう(「普遍的」とはまたニュアンスが違う)。

 言うまでもないが、この骨組みは、告白はもちろんのこと、恋愛関係の発展においても使える。ちょっと日常生活を離れたデート→お友達に紹介してみたり、足固め→ライバルが登場…後の展開は、記すまでもないだろう。要するに、すべての物語は、神話に通じているわけだ。

▼というわけで、ちょっとこのあたりの調べ物をしてみたり。

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カラオケの向き不向き

▼ちょっと前に書いたメモ。カラオケというのは長らく行かないと、完全にその「ノリ」を失うらしい。気がつけば、歌えそうな曲名もアーティスト名も完全に忘れていた(正確に言えば、ほとんどは「知らない」か)。おそらく、カラオケのような場で「遊ぶ」という構えが私にはそもそもないんだろうな。

▼構え(レディネスとも呼ばれる)があれば、多少は意識的に歌も覚えようとするだろうし、多少は意識的していれば、何かを思い返すのも早い(はず)。というわけで、私はつくづく「カラオケには向いていない」という結論に達したのだった。個人的には、そのノリを楽しむだけで十分なのだが、一人だけ歌わないというのも難らしい。

▼「カラオケの心理学」的な本があるかと思ったら、そんなもんはないらしい。

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自律訓練法

▼自律訓練法について調べ物。実は、私にとって自律訓練法注1)は、大学(学部)時代の「楽勝」体育科目注2)の一つだった。しかしまさか、あの時の経験が今になって役に立つとは思わないよなぁ。ちなみに、今だから言えることだが、数千円で、当該科目のレポートを代筆注3)したことがあったりして。ね、Nくん。
注1)自律訓練法とは、緊張やストレスなどによる身体症状を緩和し、心身共にリラックスを図るための手法のことだ。リラックスした姿勢になってから、「気持ちが落ち着いている」「右腕が重たい…」「右腕が温かい…」「心臓が規則正しく…」「お腹が温かい…」といった基本公式を唱えていく、いわば自己催眠術。間違っても、「心臓がかゆい」とか「お腹がたるんでいる」などといった邪念を浮かべてはいけない。私にとっては、自律訓練法は睡眠訓練の場だったなんてことは口が裂けても言えない。

注2)私が行っていた大学の体育では、毎回の授業内容がすべて選択可能だった。私が良く選択していたのは、「自律訓練法」「卓球」「ゴルフ」「気功」。妙な科目名が多いが、総じてのび太系科目、すなわち運動量が少ないのが特徴だ。これに、「あやとり」があれば完璧だった。

注3)だって、お金が欲しかったんだもん友人から頼まれたから断れない性格だからな。ちなみに成績は良(B)だったらしい。
▼「将来、何が役に立つか分からない」と言う指摘は、将来はもちろん「今、何をやったら良いか分からない」という人に対して、意味のあるメッセージではないかもしれない。しかし、「分からなさ」を力に変えたいところだ

▼当時(10年前)は、自律訓練法に関する本はかなり少なかった気がするが、いまはかなりたくさんある模様。ビデオにもなっていた。

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