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読書メモ(断片):ひらがなと漢字の比率

▼私は元来、漢字が苦手なので(何せ小学校5年生の時に「漢字練習」の不毛さにキレて(注:まだ当時はキレるという概念はない)、練習を放棄してるからな。自慢するようだが「放棄」の「棄」なんぞ書けないぞ)、自分が書く文章もできる限り、不用意に漢字を使わないようにしている。妙なカタカナ語もしかり。

 漢字を使わないと文章が稚拙になるじゃない?と思われた方も少なくないかもしれないが、実は、そんなことはないはずなのである。妙な漢字表現を「避ける」ことは、逆に思考のトレーニングになるからだ。

 以下の説は、私が大学受験生だった頃、本人から直接、講義で聞いたことがあったのだが(著者は元代ゼミ講師)、小論文で「漢字が書きたいのに書けない」ことで悩んでいた当時の私にとっては、大変、説得力があった。
(略)キーワードの漢字語を目立たせるためには、逆にその周りの言葉はひらがなのほうがいいのです。

 A 「私は漢字多用の伝達力の低劣さを指摘したい」
 B 「わたしは漢字を用いすぎることがかえって伝達力を低めている点を取り上げたい」

 という二つの文は同じことを言っていますが、どちらのほうがスムーズに頭に入りますか。慣れている人はAと言うかもしれませんが、実感が伝わるのはどちらでしょう。私からすると、Aは誰でも言えるマニュアル的論述であって、とてもその人が真剣に思考した結果だとは思えないのですが。ここで、もしあなたが私の言うことに共感を覚えた場合には、以下のアドバイスに耳を傾けてください。

 今のB文は、漢字の比率を少なくすることで、《漢字・伝達力・低》という三つのキーワードを目立たせようとしたものです。そして、このようにするために、「多用」を「用いすぎる」、「低劣さ」を「低めている」、「指摘」を「取り上げ」と置き換えています。これを語法面で言うと、

 漢字熟語をなるべく使わないで、《和語》で説明するようにすると実感が出る

 ということになります。キーワードが漢字熟語であるならば、なおのことその前後は重い漢字を使わないようにしたほうが、その言葉が印象的に伝わるのです。(pp.174-175)

田村秀行(2005). だから、その日本語では通じない. 青春出版社
 「実感」などというものは、人によって違うのかもしれないが、私にも、漢字の羅列で宙に浮いたような抽象的表現よりも、後者のひらがな混じりの表現の方が、説得力が出るように映る。もちろん、抽象度を上げることで、読者に「考えさせる」ことも戦略的には可能だが、そうするにしても一部にとどめておいた方が良いと思われる。

 もっとも、漢語的表現を「自分のもの」にする過程では、Aのような文章を書く時期があっても良いとは思う(私自身、学部時代の文章はその傾向がある)。しかし、漢字を使うことで「説明の努力」(p.172)をしなくなるリスクも気にかけておきたい。
 「綺麗な花」と書くと、その字だけ置けばすんだ気になってそれ以上の努力をしなくなりますが、「きれいな花」ならばそれがどのように「きれい」なのかを他の要素で補って示さないと実感が伝わらないので、その努力をするようになります。たとえば、
 「見たら目のはなせなくなるようなきれいな花」
 「こんな色が世の中にあったのか思うほどきれいな花」
 などとした場合、もう「きれい」という語を取ってしまってもよいほどになっているでしょう。他の言葉の組み立てで「きれい」であることの内実を説明したわけで、これがひらがなで伝えようとしたときの利点なのです。これを漢字で「綺麗」とやってしまうと、その字に頼ってしまって《説明の努力》をしなくなってしまうわけです。(p.172)
 これは漢字に限らず「マジックワード」と呼ばれる言葉全般に言えることでもある。

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