読書メモ(断片):狂牛病とテロ
▼ロンドンでテロ。カイロでテロ。時代は、一行に良い方向へ向かっていないようだ。なんだか映像を見る度に、人が「共食い」をさせられているような気持ちになってくる(もちろん「共食い」などしたことはないが、象徴的な意味で、である)。
なぜ、そんな感覚に陥ったのか。詳しくは以下を参照。
なぜ、そんな感覚に陥ったのか。詳しくは以下を参照。
肉骨粉の飼料を牛たちに食べさせるのは(注:狂牛病が広まった原因の一つとされる)、一種の「共食い」を彼らに強いていることになりますが、それほど恐ろしい「野蛮」な行為はないと、この人々は(注:神話的思考を生きていた人々は)考えました。そういう「野蛮」があらわれてくるのを食い止めるのが、「文化」の働きだったからです。狂牛病が話題になったとき(古くはイギリスで。その後、日本でもアメリカでも)、牛に牛を食べさせていた(肉骨粉)という事実に衝撃を受けていた人は少なくないと思う。では私たちは、一体、象徴的に何を「食べさせられているのか」。考えてみると、ぞっとする。本当ならば、「ぞっとする」と言ってのけられる自分自身に「ぞっと」したくもなるが、前者で止まってしまうのが、悲しい人間の性である。
ところが、私たちの世界は、彼らが「野蛮」とみなして行為を、自分たちの生活を支えている一番大切な部分にセットしているのです。(略)私たちの「文化」的な生活は、そういう「野蛮」の行為の基礎の上になりたっています。(略)この社会は「野蛮」を自分の内部に組み込んだ、一種のハイブリッド・システムとして、機能しているために、さまざまなタイプの「野蛮」を除去できないばかりではなく、ひとたび危機的な状況がおこると、その責任を外の世界の、自分たちがよく理解できない相手に投げつけて、その相手のことを「野蛮」呼ばわりすることになります。
その意味では、二00一年九月一一日のニューヨークでおこった出来事と、狂牛病や口蹄疫に罹患した動物たちを襲っている悲劇的な状況とは、深いところでひとつながりなのではないでしょうか。どちらも、「野蛮」を自分の内部に抱え込んでつくられている現代世界の病理を、これ以上ないほどの明瞭さであらわしています。このような状況からの脱出の糸口を探っていくためには、私たちの世界の内部にどのような道筋で「野蛮」がセットされるようになったのかが、深いレベルで理解されなければなりません。神話について考えることは、たんなる学問的な興味や趣味の問題を越えて、じつに今日的な意味をもっていると、私は考えるのです。
- 中沢新一(2002). 熊から王へ. 講談社 (pp.16-17)
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