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2005年7月

ジンギスカン

▼市街へ買い物へ。いくつか必要物品を物色。相変わらず悪い癖だとは思うが、街で偵察して、ネットで買うことにしてしまった。地方経済活性化のためには、地元で買わなくちゃいけないな…と思いつつも、値段の誘惑に負けてしまうらしい。

▼薬局散策。数店舗見て回ったが、安い店がだんだん分かってきた。500円前後のものでも場合によっては100円近い価格差があるらしい(もちろん特売ではない。ディスカウントストアの通常価格でも、これだけの差があるのである)。

▼ふとジンギスカンが食べたくなったのだが、管見、広島市街にはジンギスカンを扱っているお店があまりないらしい。仕方がないので、某デパ地下で、ジンギスカン肉(ニュージーランド産)を購入。安いし、味付けも中々。ぐっとかも。

 「ジンギスカン」と聞いて株式会社 光栄のゲームソフトを思い返す人は、私の日記の読者では少数派かと思われるが、かなりマニアックである。

▼東京近辺ではジンギスカン屋が流行っているらしい。軽く調べてみたら、『東京ジンギスカンガイド』なる本も出版されている模様。私的には、今から20年近く前に北海道は大樹町で食べたジンギスカンの味が忘れられないかも。

近所を散歩

▼近所を散歩。実は、比較的近所(当社比)に、24時間営業しているスーパーがあることが発覚。もっとも歩いていくには遠く、かといってそのために車を購入しようと思うほど便利な訳ではないので、私的には、使い勝手が悪いのが難点。

 前々から我が家の近所は理髪店の激戦区だと思っていたが、改めてその激戦さを実感した。だって、近所だけでも1店、2店、3店、4店…、なんでこんなに多いのだ?

▼深夜。久々に、映画『トゥルーマン・ショー』を観る(1998年アメリカ)。

 確か、『情報様式論』に、『トゥルーマン・ショー』の優れた哲学的分析が載っていたような記憶があるのだが、本が出てこない…。
  • マーク ポスター(原著)・室井 尚・吉岡 洋 (翻訳)(文庫)(2002).
    情報様式論. 岩波書店
 段ボールにしまったままの本がまだ相当数ある模様。探さなくては。

▼トゥルーマン・ショーに関連して。amazonのレビューを見ていたら、映画に出てくる「指をクロスさせる」仕草について、解説が書いてあった。

 曰く、keep one’s fingers crossed には、「『これからおこなう計画を頓挫させるような災厄が降りかかったりしませんように』と祈る『魔よけ』の意味があります」とのことである。ジーニアス英和大辞典で調べてみたら、「(人さし指の背中に中指の腹をからめて重ねて)幸運を祈る<<魔よけ・願いごとのしぐさ>>」とのことらしい。

 願い事、というよりは「魔よけ」という点が重要なのだろう。映画では意味が分からなかったのだが、なるほど、とガッテンした次第である。何にせよ、何気ない仕草にも意味が込められている、と言う「事実」を知るためには、まずは、仕草も含めて、その意味を理解しなくてはならないらしい。異文化理解の道は険しい。

読書メモ(断片):教育研究のメソドロジー

▼『教育研究のメソドロジー』を読む。専門書かな、という気もしないでもないが、なかなか意義深い本だったのでメモをしておく。
 引用部分は、志水宏吉氏による「エスノグラフィー」の解説(4章)。「どうすれば、明確な問題意識、適切なリサーチ・クエッションをもつことができるのか。」について、参考になりそうな一文である。「こだわり」と「先行研究」を見よ、と言うサジェスチョンは、言い換えれば「自己」と「他者」の両者に目を向けよ、と言ったような意味なのかもしれない(歴史性とも、継承性とも、コンテキストとも言い換えられそうだ)。
 こうした自らの経験を振り返ったとき、「問い」(=リサーチ・クエスチョン)というものの決定的な重要性に気づかされる。すなわち「何のためにフィールドに入るのか?」、「どういう問いに答えるためにエスノをやるのか?」ということが、はっきりしていなければならないのである。逆に、明確な問題意識があるなら、極端にいえば、そのフィールドワークの成功は、半分は約束されたようなものである。

 では、どうすれば、明確な問題意識、適切なリサーチ・クエッションをもつことができるのか。差しあたり指摘することができるのは、以下の2点である。第一に、自分自身の「こだわり」に気づくこと。第二に、できるかぎり広い範囲の先行研究にあたること。

自分自身の「こだわり」に気づくこと(見出しは引用者)
 自分自身のこだわりに気づくこと。教育研究を志す人の多くは、個人的な教育体験をベースにして自己の問題関心を育んでいる。というか、個人的な経験に根ざさないような問題関心は、果たして長続きするのだろうかという疑問が私にはある。人には「こだわり」があるからこそ、調査研究に着手できるし、長期にわたるフィールドワークを継続することができる。別に何の「こだわり」もないという人は、フィールドワークに入るべきではない。「しんどい」だけだからである(略)。

広い範囲の先行研究にあたること(見出しは引用者)
 先行研究にあたることは、自分の「こだわり」を、学問上の明確な問題意識や適切なリサーチ・クエスチョンに彫琢(注:ちょうたく)していくうえで、大きな役割を果たす。先行研究のレビューは、学問の世界において、何が、どのように問題とされてきたかを、はっきりと解きあかしてくれる。本や論文を読むことで、人は、自分自身の経験や「こだわり」に、コンテクストを付与することができる。「ああ、私の経験は、こういう意味をもっていたのか、こんなふうに解釈することができるのか。」このような思いを抱いたことがある人は多いのではないだろうか。

 いま一度いうなら、「納得できる問い」をもつこと。それができない人は、エスノグラフィーをすべきではない。また、したとしても、決して満足のいく成果を得ることはできないだろう。(pp.145-146) 太字部分は引用者による。
 この解説は、いわゆるエスノグラフィー(エスノとは、著者曰く、「『異文化』を、自らの属する文化を共有する人びと(=読者)に理解可能なかたちで提示しようとする営為」(p.140)のことを指す)のみならず、どんな方法論にも該当すると思いたい。

 こだわりがあっても先行研究の検討に欠いていれば、逆に、先行研究をよくまとめていたとしても、自分自身の思い(あるいは「想い」)に欠いていれば、それは読み手にとって価値あるものになる可能性は低い。このバランスの重要性をいかに第三者に伝えつつ、自分自身、いかにこのありようを保っていくかは、難しい問題だ。

Mac mini 以上、iBook未満

▼訳あって、最近、アドビに買収されたマクロメディアの「Macromedia Captivate」を購入してしまった。いわゆるアカデミック(エデュケーショナル)版でも3万円。ちと高いが、試用版も悪くなかったし、清水の舞台から飛び降りた気持ちで購入。

 そこまで大げさではないような気もしないでもないが、アドビにもマクロメディアにも一度(二度)、裏切られた記憶があるからな…(アドビもマクロメディアもソフトが高いことで有名な会社である)。これで開発がストップしたら泣くわな。

 ちなみに、Macromedia Captivateはマクロメディアファミリーでも、かなりマニアックな部類のアプリケーションだと思われ(デモンストレーション作成ソフトと呼ぶのか)。

▼というわけで、ついでにAdobeファミリーのバージョンアップをしようか迷う日々。全部バージョンアップ(&買い足しすると)、Mac mini 以上、iBook未満になるらしい。

そのままでいいがな

▼レジで、買い物袋を断るとき「そのままでいいです」と言おうとした瞬間、なぜか「そのままでいいがな」(by相田みつを)と言ってしまった。なんちゅーなまり方じゃ。

 思うに、広島に越してきてから変わったことのは、買い物袋をもらわなくなったことだろう(近所のスーパーでは、エコポイントとか言って3円相当になるのである)。そのせいもあって最近、全体的にエコロジーづいている気がする。

▼と言っても、あまりに暑いのでエアコンに若干、頼りすぎの気もしないでもないが…。ちなみに職場でも自宅でも、エアコンの設定温度は27度である。エアコンの性能か28度に設定すると、部屋の温度が実質30度を下回らないのが難点である。

 買い物袋一つで「エコロジーづいている」っていうのは、ちと誇張しすぎだわな。

ひまわり6号と台風7号

▼ひまわり5号から、ひまわり6号(MTSAT-1R)の運用に替わったおかげで、インターネット経由の気象画像の入手ができなくなってしまった。

 これまでは高知大学の「気象情報頁」などで無料で、赤外画像や可視画像を閲覧することができたのに、新型からはアンテナを立てないと見れない模様。これらの画像は気象情報に関心のある人にとっては(注:パソコンの壁紙を日々、変化させておきたい人にとっては?かな)大変ありがたい情報だった。インターネットの恩恵を実感できるサイトの一つでもあったのに、まったく遺憾だ。

▼ちなみに気象庁の周辺には「気象業務支援センター」だとか、「日本気象協会」など、天下り組織関連団体がある。現状、日本気象協会が提供しているサイトで画像を見ることが可能だが、ケータイ向けサービスが有料だったりすることから推察すると、将来的には情報を有料化したいのかな、と邪推してしまったりして。確かに、気象予報士制度以降、民間との競争もあるという背景は分からなくもないのだが…。
  • http://weathernews.jp/ weather news
    民間の気象情報提供サービスの大手。
    朝日新聞など多くのニュースサイトが採用している。
▼台風の行方が気になるところ、と書くつもりが、雑談的な話題になってしまった。

読書メモ:議論のレッスン

▼訳あって、『議論のレッスン』を読み直す。「トゥールミン・モデル」という議論を進めていく上で役に立つモデルが分かりやすく紹介された本である。
 トゥールミン(Toulmin)・モデルでは「主張」(一部の高校生ならば「イイタイコト」という言葉で教わっているかもしれない)に対する「根拠」のみならず、主張と根拠を結ぶ「論拠」(Warrant)と言う概念が提示されているのが特徴である。

 本書で紹介されている例を用いるならば、「彼女はどうしてミーティングに来られなかったのか?」という問いに対して、「風邪」と答えたならば、「風邪」が根拠となりうる(p.69)。しかし、なぜ風邪が根拠になりうるのかは明らかではない.。

 彼女はミーティングに来ることができない(という主張=結論)と、風邪であるという根拠=理由の橋渡しをするのが「論拠」ということになる。例えば、著者が挙げている例としては、(1)人間は健康であるほうがよい。(2)病気は治すべきである。(3)病気は安静にしておいたほうが治りやすい。(4)安静にするとは体を必要以上に動かさないこと、などがある(p.75)。これはすべて暗黙の「仮定」と言える。

 著者の言葉を借りるならば、「主張が成立するにはなんらかの事実が必要であること、しかしその事実を単独で提示しても議論としては不十分である」(p.77)ということになる。日常的場面では「風邪」で、おおよその理由を察することはできるが、理由をさらにさかのぼって説明する「説明」が必要ということなのであろう。

 著者曰く、
「根拠」を出すことは「あなたの主張にはなに(what)か具体的な証拠はありますか?」という質問に対する答えを出すことと同じ(略)

「論拠」を出すことは「あなたが提示した根拠がどうして(how)あなたの主張と関連づけられるのですか?」という質問に対して答えることと同じ
 ということになる。繰り返せば、主張と根拠をつなぐ(橋渡しをする)役割を果たすのが「論拠」である。言われれば「そりゃそうだよな」と思わされるような概念だが、「根拠」のみならず「論拠」にも目を向けられるようになると、より本格的な議論が成立しやすいかもしれない(しかし、主張と根拠、論拠が明確に示されていても、その主張自体に意義がない場合は、救いようがないのであるが)。

▼もう一つ、興味深いのは以下の指摘である。
(1) 議論をする際に論拠についてはそれを支持する裏づけ(Backing)を明記すること。
(2)論拠の確かさの程度を示す限定語(Qualifer)をつけること。
(3)論拠の効力に関する保留条件としての反証(rebutta)を提示すること(p.112)。
 概念だけでは分かりにくいが、本書で図式化示されている説明が役に立つと思われる(引用では図ではなく箇条書きに変形している。トゥールミン・モデルも含めて図式化されたモデルを把握したい場合は、本書を手にとって欲しい)。基本は「ハリーはバミューダで生まれた。だから、多分、彼は英国人であろう」という文章である(p.113)。
  • 主張(Claim) 彼は英国人であろう
  • 根拠(Data) ハリーはバミューダで生まれた
  • 限定語(Qualifier) だから、多分
  • 論拠(Warrant) なぜなら、バミューダで生まれた人は英国人になるから。
  • 裏づけ(Backing) 英国領で生まれた人の国籍に関する法律によってそのように定められているから。
  • 反証(rebuttal) 彼の両親がともに外国人であったり、彼自身がアメリカに帰化したのでない限りは。
 主張、根拠、論拠、限定語、裏づけ、反証などといった概念を、必要に応じて検討することができれば、クリティカルシンキングとしても応用可能であろう。

▼個人的には、本書で用いられている事例(会話や引用文)があまり好みではないのだが、それを差し引いても、本書は議論の作法について述べた本としても、あるいはクリティカルシンキングや、テクニカルライティング(アカデミックライティング)のテキストとして意義がある。分量も多すぎず、少なすぎず適切なのが良い。

読書メモ(断片):狂牛病とテロ

▼ロンドンでテロ。カイロでテロ。時代は、一行に良い方向へ向かっていないようだ。なんだか映像を見る度に、人が「共食い」をさせられているような気持ちになってくる(もちろん「共食い」などしたことはないが、象徴的な意味で、である)。

 なぜ、そんな感覚に陥ったのか。詳しくは以下を参照。 
 肉骨粉の飼料を牛たちに食べさせるのは(注:狂牛病が広まった原因の一つとされる)、一種の「共食い」を彼らに強いていることになりますが、それほど恐ろしい「野蛮」な行為はないと、この人々は(注:神話的思考を生きていた人々は)考えました。そういう「野蛮」があらわれてくるのを食い止めるのが、「文化」の働きだったからです。

 ところが、私たちの世界は、彼らが「野蛮」とみなして行為を、自分たちの生活を支えている一番大切な部分にセットしているのです。(略)私たちの「文化」的な生活は、そういう「野蛮」の行為の基礎の上になりたっています。(略)この社会は「野蛮」を自分の内部に組み込んだ、一種のハイブリッド・システムとして、機能しているために、さまざまなタイプの「野蛮」を除去できないばかりではなく、ひとたび危機的な状況がおこると、その責任を外の世界の、自分たちがよく理解できない相手に投げつけて、その相手のことを「野蛮」呼ばわりすることになります

 その意味では、二00一年九月一一日のニューヨークでおこった出来事と、狂牛病や口蹄疫に罹患した動物たちを襲っている悲劇的な状況とは、深いところでひとつながりなのではないでしょうか。どちらも、「野蛮」を自分の内部に抱え込んでつくられている現代世界の病理を、これ以上ないほどの明瞭さであらわしています。このような状況からの脱出の糸口を探っていくためには、私たちの世界の内部にどのような道筋で「野蛮」がセットされるようになったのかが、深いレベルで理解されなければなりません。神話について考えることは、たんなる学問的な興味や趣味の問題を越えて、じつに今日的な意味をもっていると、私は考えるのです。
  狂牛病が話題になったとき(古くはイギリスで。その後、日本でもアメリカでも)、牛に牛を食べさせていた(肉骨粉)という事実に衝撃を受けていた人は少なくないと思う。では私たちは、一体、象徴的に何を「食べさせられているのか」。考えてみると、ぞっとする。本当ならば、「ぞっとする」と言ってのけられる自分自身に「ぞっと」したくもなるが、前者で止まってしまうのが、悲しい人間の性である。

夏ばて気味

▼日曜日ではあるが、本日も、訳あって出勤。最近、暑くて寝苦しい日々が続いているせいか、意味もなく体力を消耗してしまっている模様。正直、今日は結構、疲れた。とは言え、今日も帰ってきてから週末らしく、ちょっとしたお料理を作って終了。

久々に「普通」の週末

▼週末ではあるが、訳あって出勤。考えてみると、週末に広島に滞在するのは久々だったりする(最近、どこかしら必ず出かけていたしな)。週末の出勤は、日常的には普通ではないのだが、こういう生活を「普通」と感じてしまう自分に驚いてみたり。

▼久々に週末!という実感を愉しみたかったので、珍しくちょっとしたお料理をしてみた。うどんを茹でるとか、おそばを茹でるとか、パスタを適当に作るとか、そういうインチキ料理は、お手の物ではあるのだが、そればかりでは腕が落ちるからな。

▼それはさておき。スーパーに行く度に思うのだが、最近、近郊野菜が極めて安価なので大変ありがたい。元々、宮城県育ちの人間にとっては「広島県産」とか「鳥取産」というだけで、希少価値を観じてしまうのも不思議である。

 宮崎や鹿児島産は全国どこへ行ってもよく見かけていたが、それほど量産していない地域のものは、やはり近辺で消費されるんだろうな、ということを確認する今日この頃。この手のことは、小学校の社会の時間に習ったような記憶も…。ベーコンを裏返しながら、「無知は力なり」と唱えてみたり、みなかったり。

読書メモ:哲学思考トレーニング

▼移動中、『哲学思考トレーニング』を読む。6月1日時点の筑摩書房の「近刊案内」では、「疑う技術・疑わない技術 ―哲学的クリティカルシンキングのすすめ」という仮称が付けられていたが、無難なタイトルに落ち着いてしまった。「哲学思考」よりも、「哲学的クリティカルシンキング」の方が、本書の内容にふさわしいと思うのだが、前者の方がより一般受けするのかしらん。そこらは出版社的事情か。
▼著者の伊勢田氏の本は『疑似科学と科学の哲学』で、実は、読んだことがあった(こちらは専門書。そういえば読書メモで紹介したことがなかったな)。専門書を改めて読み直してみつつ、再度、新書を手に取ってみた思ったのだが、本書は専門書と同等のクオリティを維持した、しかし格段に読みやすい入門書である。最近、薄っぺらい新書が少なくないが、本書は、そういう意味ではかなりお得かも。
 「反証可能性」や「通約不可能性」などという、科学哲学分野ではおなじみの用語もかなり詳しく説明されているし(ああ、こういう説明の方法もあるんだな、と納得させられた)、取り上げられている事例も、「車と航空機はどちらが安全か」や「地球温暖化」の現状をどのように捉えるか、など考えやすい例が多いのも良い。

 クリティカルシンキング本の多くは、心理学的な説明や事例がどうしても多くなってしまうし、ビジネス書では事例にものすごく偏り(や無理)があるので、科学哲学的な観点からクリティカルシンキングそのものを捉え直すのにも良い契機になりそうだ。

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読書メモ(断片):新小論文ノート

▼この時期、毎年買っている本の一つに、代々木ゼミナールが出している『新小論文ノート』という大学受験向け参考書(資料集)がある。

 何度か本日記で触れたことがあったかもしれないが、年度版で、毎年、最新の小論文問題を紹介してくれる、実にありがたい本である。毎年、よくこの値段で出せるよな…と思うくらい分量も充実。解答解説も、詳しい。
▼なぜ、私が大学受験向けの小論文対策本を購入しているかというと…、おそらく以下の3つくらいの理由が挙げられるような気がする。
  • 自分の視野を狭めないため(ビバ!器用貧乏)
  • 優れた読書ガイドとしての利用
  • 作文・小論文の「書き方」(方法)に対する意識
 以下、それぞれについて若干、自己説明を試みよう。

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読書メモ:機長のマネジメント

▼久々にアクセスログを検討。「クルー・リソース・マネジメント」が、相変わらず(情報不足にもかかわらず)頻繁に検索されているようなので、私なりにまとめてみた。クルー・リソース・マネジメント=CRM。カスタマー・リレーションシップ・マーケティングと同じ略称だが、マーケティングと航空機のCRMでは全く意味が異なる概念である。

▼今回、参考書として使ったのは、
 である。まずは定義から。著者ら曰く、クルー・リソース・マネジメントとは、
 (コックピットにおいて)利用可能なすべてのリソースを、最適な方法で最も有効に活用することにより、クルーのトータルパフォーマンスを高め、より安全で効率的な運航を実現することを目的とする考え方(pp.72-73)
 を指すらしい。一読では分かりにくい気もするが、リソースとは「さまざまな情報資源」のことであり、代表的なものとしては「計器類の指示」「各種のマニュアルや資料」「飛行機自体の発する振動、音や加速などの変化」(p.73)などを意味する。

 飛行機の運航に携わる人間にとって、「クルー・リソース・マネジメント」は、なくてはならない総合的な概念であるらしい。

▼では、どうやったらCRMを身につけることができるのか。CRMのトレーニング(訓練)は、具体的には以下のような内容を含むとのことである。
  • CRMは( )のパフォーマンスを向上させるための包括的なシステムである。
  • CRMは( )全員を対象とする
  • CRMは( )訓練のすべての様式に拡張され得るシステムである。
  • CRMは( )のアティチュードと行動及びその安全性に対する影響に焦点を当てる。
  • CRMは個人が各自の行動を振り返る機会であり、チームワークを如何に向上させるかを個人で決定する機会である。(pp.78-79)
 ( )の部分には「乗員」という言葉が入るが(原文まま)、航空機の「乗員」に限らず、かなり多くの職種に当てはまることが分かるだろう。「クルー・リソース・マネジメント」の「クルー」の部分を自分自身に置き換えると、決して他人事ではない。

 逆に、著者らが挙げているCRM訓練ではないものも参考になるだろう。
  • 一夜で達成し得るような「応急処置」ではない。
  • 二~三の特定のケースや、決められたケースのみを管理するための訓練プログラムではない。
  • 他で進められている訓練活動と独立して行われるシステムではない。
  • { }において、他の者のどのように作業を進めていくかという、特定の筋書きを( )に与えるようなシステムではない。
  • 個人中心形式の訓練ではない。
  • 受動的な授業形式のクラスルームコースではない。
  • { }での行動を指示するための管理的な思考をするものではない。(pp.79)
 先の引用に引き続き( )には「乗員」が入る。また、{ } にはコックピットが入る(原文まま)。これまた、クルー・リソース・マネジメントは航空機のみならず、さまざまな概念に適用できそうな概念であることを再確認させられる説明である。何にせよ「リソース」を「マネジメント」するという発想は、適用範囲が広そうだ。

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3低男

▼本日記でも何度か紹介しているが、私が欠かさず読んでいる雑誌の一つに『AERA』がある。朝日新聞社系だけあって、AERAの基本は「現状を肯定しない」「未来を憂う」点にあるのだが、キャッチコピー的なセンスはこの手週刊誌としては抜群だ。

 最新号(7月25日)の「3低男」は、思わず笑ってしまった。曰く、
  • 腰が低く
  • 自立し(低依存)
  • 安定した職業(低リスク)
 が、近年の結婚市場において高評価を得ているようである。確かに、かつてもてはやされた「高」よりも、堅実なのかな、という気はする。「3低男」という言葉から、一瞬『こんな男とつきあってはいけない』を思い返してしまったのだが、全然違うわな。

▼今月は無意味に雑誌を多数購入してしまっている気がする。書籍は、おおよそネットで購入しているので、累積金額が明確なのだが、雑誌は思いついた時に無計画で買ってしまうので、それが災いしているようだ。給料日まで食費を削ろうっと。

すきまのおともだち

▼江國香織さんの『すきまのおともだちたち』を読む。「すきま」という言葉に、ふと、惹かれてしまったので、立ち読み(せこい)ではなく購入してしまった。気分転換には、良い本かもしれない。

▼先日、書棚を整理している時の話。本を置くスペースがひっ迫しているので、江國さんの単行本を、思い切って売却し、文庫を古本屋で購入しようという計画を一瞬思い立った。

 が、しかし捨てられないんだなぁ。これが。私は、小説については将来的に売却することを意識しているので、本に傷を付けないように気をつけているのだが、愛着がわいてくると、なかなかそうもいかないのが難点である。

 ちなみに仕事で使うような本は、ページに折り目を付けるし、すぐに何か書き込むので売却も貸し出しも不能である。本っていうのは、本来そういうものなのかな。

夢をあきらめないで

▼私は、自他共に認める(注:「認められる」というよりは、「あきれられている」と言った方が適切な言い方かもしれないが)、岡村孝子ファンである。

 ここまで来ると慣性なのか、惰性なのか、自分でもよく分かっていないのだが、岡村孝子さんの曲を聴くことは日常の一部として組み込まれている。最近でこそ聴く暇もない事も多々あるのだが、気がつくと勝手に口ずさんでいたり、脳内再生が行わていたりする(注:脳内再生=いつの間にか頭の中で、メロディが流れていること。)。

 好きなものは好き。しかも、パッフェルベルのカノン好きなのだから、もはや構造的に仕方があるまい、と自分を納得させているわけである(彼女の曲の大半は「パッフェルベルのカノン」のコードが使われている)。

 そんな私だが、岡村孝子さんの曲の中で最も知られている「夢をあきらめないで」は特別な曲である。「ここぞ」という時にのみ聴く曲だからだ。大切な試験の時だとか、人生の「節目」と思う時にしか再生しない。私にとっては意味のある歌なのである。

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香港出張

▼18日まで諸事情により香港へ。プチ出張ネタ、ここに書かないことにしていたのだが、電話が通じないとか、メールを書いても返事がないとか(注:現在1週間以上待ち)、後からご指摘をいただくことが少なくないので、一応、アリバイを記しておきます。

 香港で何をやっていたかというと…。
  • お友達との会食@香港の六本木(地名を忘れた)
  • 冬瓜スープ三昧(ちょうど今が旬らしい。冬瓜が夏の食べ物だったとは…)
  • 台風5号でスタンバイ(台湾直撃)
 そのくらいであろう。その他、ハーゲンダッツの会@香港を挙行したとか、親切きわまりない香港人にお世話になったとか、特記事項がいくつかあった。

▼広島から関西空港へ行くのは慣れたのだが、帰りは台湾台風直撃の煽りで名古屋経由になったのが痛かった。名古屋駅新幹線ホームで「きしめん(ホット)」を4分弱で食したり、広島駅新幹線構内でドトールのベーグルサンドを3分弱で完食したり、何かと忙しい出張だった。それにしても「忙しい」という言葉は、極めて多義語だわな。

読書メモ:ファシリテーション入門

▼ファシリテーション本を読む。堀氏の本は2冊目。以下、さくっと要約。
▼ファシリテーションとは
 本書によれば、ファシリテーション(facilitation)とは、「集団による知的相互作用を促進する働き」(p.21)を指す。「集団による問題解決、アイデア創造、合意形成、教育・学習、変革、自己表現・成長など、あらゆる知識創造活動を支援し促進していく働きがファシリテーション」(p.21)とのことである。

▼ファシリテーションの種類
 ファシリテーションの応用分野は、6つに分類できるらしい。中野民夫氏の『ワークショップ』の孫引き的紹介になってしまっているが、具体的には以下の通り(p.40)。
  • 問題解決型
  • 合意形成型
  • 教育研修型
  • 体験学習型
  • 自己表現型
  • 自己変革型
 それぞれの要素は、「創造的(意思決定・合意形成・価値創造)」を目指すのか、学習(啓発・理解・体感)を目指すのか。また、「社会的(組織・集団)を対象としたものなのか、「個人的」な対象なのかによって分類が可能である。図にすると分かりやすいが、本紹介では省略。

 上記分類を見るからに「ファシリテーション」によって扱われる領域はかなり広いようだ(確かに、良くも悪くも「教育」の言い換え表現が「ファシリテーション」だと捉えられている嫌いもある)。

▼ファシリテーターに求められる基本的スキル
 ファシリテーションを行う立場にある人は(従来のイメージならば指導者、リーダー)、ファシリテータと呼ばれる。本書によれば、ファシリテーションには4つの基本スキルがあるとのことである(p.52近辺)。
  • (1)場のデザインのスキル-場をつくり、つなげる
  • (2)対人関係のスキル-受け止め、引き出す
  • (3)構造化のスキル-かみ合わせ、整理する
  • (4)合意形成のスキル-まとめて、分かち合う
 本書では上記4観点から、それぞれのスキルのあり方について描かれているのが特徴である(それぞれの解説の密度は高い)。

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お嬢さまことば速修講座

お嬢さまことば速修講座
 報道(文化庁調査)によれば、最近、やう゛ぁいくらいコトバが乱れているらしいので、私も乱れを正すべく、文化庁長官 河合隼雄氏も推薦している(ウソ)『お嬢さまことば速修講座』を読む。監修は加藤ゑみ子 氏。一時、話題になった本だ。

 何ゆえに「お嬢さまことば」に学ぶのか。理由は簡単である。だって、お嬢さまは「やう゛ぁい」とか「びみょー」とか言わなさそうじゃない。逆にいえば、そのような乱れた言葉を使わないのがお嬢さまが、お嬢さまと呼ばれる所以である。

▼オジョウサマコレクト
 で、さくっと一読。「なるほどねー」という感じである。男性から見ても純粋に愉しい本だ(お嬢さまことばを存じている男性というのは、びみょーというよりは、キモイ気もするが、あくまで教養の一貫である。そこら辺、勘違いしないでいただきたい)。

 以前、ポリティカリーコレクト(Politically Correct=PC)と言う、狭義には「差別語」の言い換え表現が話題になった時期があったが(正確には「政治的に正しい」表現を意味する)、本書はいわば、オジョウサマコレクト(OC)表現集とも言えよう。

▼言い換え表現例
 たとえば、「恐れ入ります」を「どうも」の代わりの口癖にする(p.14)。相づちは「そうですか」の代わりに、「そうですの」を利用する(p.36)。「肯定は、オーバーなくらい丁寧に丁寧に」(p.86)しかし、否定は曖昧に(p.88)するのがポイントらしい。

 お嬢さま言葉の王道。「ごきげんよう」についても言及がある。曰く、気軽に元気よく、「さよなら」「こんにちは」の代わりに「ごきげんよう」(p.75)とのことである。私も一時、「ごきげんよう」を多用していた時期があるのだが(メールの末尾に「ごきげんよう」と記していたのだ)、評判が悪かったのですぐに辞めてしまった。

 もちろん上記は一例。さらに具体的な実践例もある。
 たとえば、「曖昧な否定」では、次のような例が紹介されている(p.89)。
違います さようでございますか。
さあ、むずかしいことで、わかりかねます。
不本意な結果になるかもしれません。
わたしはそうは思いません さようでございましょうか。
ユニークなご意見ですこと。
そういうお考えもございますのね。
 巻末には、「お嬢さまことば小辞典」なる付録も付いている。「耳障りなことばの言い換えリスト」には、以下のような例も紹介されている(p.128)。
頑張ります 全力を尽くします
ベストを尽くさせていただきます
頑張ってね しっかりね
ご成功(ご健闘)をお祈りいたしますわ
面倒くさいので 時間がとれませんので
手がかけられませんので
だめ よろしくない
なさらないほうがよろしいわ
苦手ですの
わたくしにはむずかしいわ
 ふーん、といった感じだが、確かに「使える」表現だわな。

 人に「頑張ります」と言われると、ややもすると安っぽく聞こえるが、「全力を尽くします」と言われると、まだ許せたりするかもしれない。耳にする頻度の問題だとは思うが、ちょっとした工夫で印象が変わる気もする。

 この手の言葉をしっておけば、言葉も返しやすい。「わたくしにはむずかしいわ」に対しては、「ご健闘をお祈りいたしますわ」と返答すれば良いわけだしな。


▼まとめ
 以上、部分的に紹介をしてきたが、本書は、お嬢さまことばに限らず、日常生活で間違いなく活かせそうな内容と言えよう。もっとも、私のように斜に構えた人間にとっては、それは単なる「ネタ」にしか過ぎないのではあるが。何にせよ自身の「言葉」に意識的であるのは悪くない試みだとは思う今日この頃。

千客万来 その4

▼千葉県からTさんが来訪。仕事の関係で、職場まで来ていただく。今回は、なぜか、私がインタビューされる側になることになってしまったらしい。

 インタビューアーとしての仕事は今も時々しているし、ロールプレイが必要な時には、インタビュアー(聞き手)とインタビュイー(話し手)の両者を演じていたつもりだった。しかし、実際、インタビュイーとして質問されると、身構えてしまうらしい。

 自分の仕事の詳細を話し慣れていないせいか、説明が分かりにくくなってしまったのが難点。制度的な面は、未だに自分でもよく分かっていないのかもしれない。短い間で「転機」や「ターニングポイント」を整理するのは、やはり難しいわな。

▼終了後は、街に出て、お好み焼きを食べる。
 バーゲン期間中だったので、ついでにショッピングにも出かける。

 お好み焼きを食べながら(あるいは移動中)は、人生相談。私は、やはり自分の話をするより、人の話を聞く方が性に合っているような気がしないでもない。

 遠方よりお疲れさまでした。

マジ ヤヴァイ

▼先日、顧客の一人に、「おざわの○△は、マジ ヤヴァイ」と言われて、正直、傷ついていたのだが(注:誇張表現)、実は、これは褒め言葉だったらしい。

 文化庁調査のニュース報道を見て初めて知った。愕然驚愕である。

 別な時に、「聞いてないよ~」と言われたので、まじめに応対したら、「別にそういう意味じゃなくって」と軽くかわされてしまったこともあるのだが、これも実は、本当に「聞いていない」という意味ではなくて、単に驚きの表現だったらしい。

 すっかりおじさん化してしまった気分である。

▼コトバは日々変化していくものなので、私も含め、「古典的」なコトバを使う人たちも、ある程度は変化に適応していく必要はあるとは思う。しかし、語彙は豊かであって欲しいとも思う。「びみょー」とか「やう゛ぁい」とか、そればっかりじゃつまらんからな。

 そういえば、以前、恩師に「~とか」という表現は日本語として美しくないと言われた記憶がある。私もまた、表現があまり美しくない人なのかもしれない。

キーピング スタイルケアの効果

アイロンがけをせずに済ませるためには?
 私は、洗濯は大好きなのだが、「干す」という行為があまり好きではない。さらに、「たたむ」という行為は、好き嫌いというよりは「苦手」である。アイロンがけは、まあ嫌いではないのだが、暑い中、アイロンがけをするのは正直しんどい。

 「干す」や「たたむ」については、乾燥機一体型の洗濯機を購入したり、たたまずに済むようにハンガーを充実させたりと、私なりに解決をしてきた。残る課題は「アイロンがけ」である。これが簡素化できると、時間の節約にもなるからな。

新兵器登場…か?
 というわけで、コマーシャルにつられて花王の「キーピング スタイルケア」という新種の柔軟剤を試してみた。広告曰く、「干している間にシワなく形をきれいに」ととのえるらしい。コマーシャル通りだとしたら画期的製品である。

 以下、早速試した結果をまとめてみたい。あくまで私個人の見解ではあるが、通常の洗濯で本製品を用いた所、確かに明らかに差がある。また、少なくても私の洗濯乾燥一体型の洗濯機では、多少の乾燥をしても、それなりの効果が期待できるようだ。

 私の場合、洗濯後には、乾燥機(いわゆる部屋干し乾燥などの、簡易乾燥)を利用するので、乾燥機を利用した場合について詳しく触れておく。付属のアドバイスブック(WebページのQ&Aで閲覧できる)によれば、乾燥機でのご使用は「避けてください」とのことなのだが、少なくても我が家の洗濯乾燥一体型の洗濯機では、簡易乾燥の範囲ならば、効果をある程度、実感できた。

 形状記憶型のシャツでないと、確かに、どうしてもシワは出来てしまうのだが、使った時と使わなかった時では、見た目からして明らかに結果が異なる。結果、アイロンがけをちょっと手抜きしても、まあ、そこそこのレベルになるようだ。本来ならば写真を載せたいところだが、写真では違いが分かりにくいのが難点だわな。

 ちなみに完全に乾燥させると、むしろ逆効果(しわが取れにくい)気がする。完全乾燥については、私自身あまりやったことがないので、検証が必要かも。

ニュービーズとキーピング スタイルケアの相性
 洗濯洗剤については1年にわたる研究の結果、花王のニュービーズの液体版が私の洗濯機と最も相性が良いことが分かったのだが(弊社比)、これと、花王の新型柔軟剤の「スタイルケア」の組み合わせが最も効果を発揮する気がする。

 花王の回し者、というわけではないが、今のところはこの組み合わせがベストという結論に達している(ちなみに私はシャープの洗濯乾燥一体型を使っている)。

 新製品が出たら、また試してみたいところである。

温泉旅行

▼訳あって温泉へ出かける。本当は、そんな暇などあるはずはないのだが、毎日、仕事ばかりしていると、いろいろな意味で墜ちてしまいそうなので、しばし休息。

▼「温泉へ行く」というキーワードで、私がまっさきに思い返すのは言うまでもなく『東京ラブストーリー』である(年齢がばれるな)。あの頃が、リカ(鈴木保奈美)とカンチ(織田裕二)にとって、最大の至福の時間だったんだよなぁ…とか。思い返すだけで、涙ちょちょぎれものだよなぁ。良くも悪くも、私にとっては思い出に残る作品らしい。

 テレビドラマ版の『東京ラブストーリー』はバブル時代を知る意味でも、意義深い作品なので、まだご覧になったことがない方は、レンタルするなり、思い切って購入するなり、ぜひご賞味あれ。私の恋愛(論)の原形になっている作品の一つである。

ホームプラネタリウム

▼昨日、発売予定(だと思いこんでいた)家庭用プラネタリウム「ホームスター」の到着を心待ちにしていたのだが、確認してみたら、発売日が延びて「8月上旬」になっていたらしい。うーん。自分へのご褒美(死語)として、楽しみにしていたのに残念だなぁ。できれば旧暦の七夕(仙台七夕)までに発売してくれるとうれしい。

▼「ホームスター」の販売元は、セガの関連会社らしい。セガには良くも悪くも、昔から「裏切られて」いたような気がしないでもないが、今回は、良い意味で「裏切って」欲しいなぁ。(私は何を隠そう、「メガドライブ」のユーザだったりする。今や家庭用ゲーム機といえばソニー、任天堂、マイクロソフトの3社を指すが昔は、「セガ」もゲーム機を作っていた。あ、バンダイも携帯用ゲーム機を出していた時期があったか)。

▼少なくても初期不良品に当たらなければいいな…と思う今日この頃(人生を愉しく生きるコツは、他者に対する要求水準を「下げる」ことである。たぶん)。

七夕

▼1年に1回の七夕なのに(関係ないが)、ロンドンでテロのニュース。いつも都内の地下鉄に乗る度に思うことだが、日本の地下鉄の今後は心配になってくる。世界は決して全体として良い方向へ向かっていない、ということを改めて思い知らされる。

未来から今日を「振り返る」

▼ちょっとした理由があって、未来から今日を「振り返って」みた。これはなかなか難しい試みで、ややもすると未来にしばられたり、未来を恐れる結果にもなりうる。

 鷲田清一氏(哲学者)が言うように、倹約や貯蓄も、あるいは投機や前のめりの消費も、「幸福計算」をしているという点においては、実は、同じことの裏返しに過ぎない気もする(「未来のために現在を犠牲にするか、現在のために未来を抵当に入れるか」)。しかし、私としては前者の方が、より合理的な気がする。

 一体、なぜそう思うのか、考えているうちに分からなくなってしまった。
 未来を視野に入れて現在の行動を決定する態度というのは、近代的な社会のありかたと深く結びついている。(略)そもそも近代社会は、一人ひとりの個人が「だれ」であるかということを、過去の方向に、つまりその「起源」に求めるのではなく、むしろかれがこれから何をなすかという「約束」(プロミス)のかたちで、未来の方向にそれを求めた。「約束」を実現するために、いまプログラムを立て、プロジェクトを組むという、いわばプロスペテクティブ(前望的)な姿勢、「前のめり」の意識のうちに、だ。「企業」というのは未来に向けて投資し、投機する行為であり、つねに未来を視野に入れた先取りの心性(進歩・前進・成長への信仰)によって支えられていると言っていい。そしてこの「前のめり」のベクトルが反転したとき、それは、他人に遅れてはならないという、息せききった意識となる。

 そういう視点から「バブル時代」のあの投機と消費への熱狂を振り返ると、それらは倹約や貯蓄というその反対物と同じで、ローンを組んでなされるという意味でやはり未来をあてにしていたといえる。倹約や貯蓄が、いま消費しうるものより多くの所有を未来に期待するのに対して、投機や消費や、いま所有しているものより多くをあらかじめ消費してしまう未来のために現在を犠牲にするか、現在のために未来を抵当に入れるか、たしかにベクトルは逆だけれど、ともに不在の未来との関係で「幸福計算」をしている点では同じだ

 「時間」というのは考えれば考えるほど、訳が分からなくなるものだ。

現場主義の人材育成法

▼以前、ちょっとだけ取り上げたが『現場主義の人材育成法』の読書メモ。
 「人材育成法」に関して本書では十分に言及されているとは正直、言い難い。しかし、「現場」から学ぼうとする姿勢(の重要性)は、確かに、伝わってくる。学生に「現場」を経験させることは、何にも代え難いことだと思うし。

 けれど、どこか引っかかるんだよなぁ。単にないものねだりかもしれないが、私ならばもうちょっと近くの「現場」に目を向けたい。中国や地方都市といった「遠く」は確かにインパクトはあるが、それが逆に「近く」から目をそらさせるような結果になってしまっては「もったいない」だろう。業種によるとは思うが、どこにでも「現場」はある、と言うようなニュアンスがどこかにあれば良かったのかな…。

▼本書で「なるほど」と思ったのは以下の一文。
(略) 指導の方法としては、細かな知識の伝達は必要ない。塾生を常に「先端と思える『現場』に連れ込むこと」だ。それが彼らの関心を惹きつける。「先端」を意識して高ぶらせない人はいない。
(引用者改行)
それには「現実の『現場』」が一番なのだが、講義などのバーチャルな世界でも『先端』を意識させるようでなくてはならない。そのためには、指導する側が、常に「先端の『現場』」に身を置き続けていく必要がある。そうでないと、彼らは一気に関心を失うであろう。
(引用者改行)
それは、指導する側にとっても、たいへんな作業なのである。OBがしょっちゅう出入りしてくれることは、まだ「ここに『先端がある』ということかもしれない。OBの参加する姿を見て、現役の塾生は何か感じるものがあるようである(略)(pp.142-143)。
 「先端」+「現場」というのは、確かに重要なキーワードかも。
 もう一つ、そうだよなぁと思ったのは、以下の一文。
(略)夏前になると、ゼミ生が「テクノセンターに行きたい」と言ってくる。私は「ぜひ、行きなさい。ただし、私は何も手伝ってあげない。自分で調べて、自分で交渉して、自分で行きなさい」「ホームページを自分で探し、自分で対応しなさい」と答えている。
(引用者改行)
見知らぬ相手と直接交渉し、一人で向かうことが一番大切であると考えている。あまり面倒をみてはいけないのである。人材育成は「キッカケを与えることは重要だが、面倒をみないこと」だと思う。(p.13)

太字はいずれも引用者による。
 要するに、先端の「現場」においては、懇切丁寧な「面倒」など誰も見てくれない、ということなのだろう。あるいは逆に、面倒を見てもらいたいような人は、「現場」では歓迎されない、という意味なのかもしれない。どちらにせよ、自力で道を切り開こうとしない限り、何も得られないというのが「現場」=「社会的実践」なのだろう。

▼私も、「先端」と「現場」に身を置かねばならぬなぁ、とか、「現場」について改めて考えさせられた次第である。本書は、あくまで「読み物」「事例」かな。

小論文を学ぶ

▼試験「対策」で、小論文・面接関係の本をいくつか購入。「ふーん。こういうので、今時の学生は勉強してるのね」的な、斜め読みである。しかし、達観できる立場でもないので三色ボールペンで、赤、青、緑!と線を引きながら読んでみた(ウソ)。

 しかし実際、この三色は「参考書の三原色」でもあるような気がする。大学受験向け参考書には既に赤色とゴシック体での強調がなされていることが多く、場合によっては青や緑も使われているのである。そういえば、昔の有名な参考書には「赤チャート」とか「青チャート」とかあったよなぁ(違うか)。

 詳しくは機密情報なのだが(と、機密情報であることを公にしている時点で、私の場合、単なる「ネタ」であることがばれてしまうが)、これからしばし調べたい。

▼大学生が読んでも読み応えがありそうな参考書も少なくないようだ。  何故に山川出版社が小論文の本を!?と思ったのだが、本の形態は、山川らしかった。要するに、ページには字がいっぱい。並の受験生なら本を開いた時点で挫折しそうな本である。でも、純粋に「教養講座」として面白い。

楽勝授業

▼私の雑談ネタ定番、「わたしゃ、学生時代、ちーっとも大学の講義に出ていなかった」という話で盛り上がる。何せ私が、本気で大学の「講義」を受けようと思ったのは大学の3年になってから。大学3年までは授業のグループワーク等で一生懸命になることはあっても、講義なんぞ自分にとって意味があるとは思えなかったからな。

 それよりも、グループワーク(グループ学習)で、人とディスカッションをしたり、本を読んだりする方が少なくても、当時の私にとっては楽しかった。そもそも、本気でやろうとすれば、少なくても当時の私は、一つ、二つの授業が限界だったと思う。

▼最近、楽勝科目をなくそうという動きがあるらしいが(朝日新聞記事)、いわゆる楽勝科目がなければ、いわゆる「演習」や「実習」科目、あるいはグループ活動を伴うような授業は、なかなか成立しないような気がする。

 ただでさえ出席管理が厳しく(講義に出なければならない)上に、すべての授業で演習や実習、またグループ活動が行われたら体が持たないではないか。

▼私の授業は、人によっては「鬼」らしいのだが、これがある程度成立するのも、他の授業の負荷が相対的に小さいからである(それでも負荷が大きい方だと思うが)。もしもっと他の授業で課題が出されていなければ、私は、もっと負荷を課すだろう。

 授業で課されたグループワークで朝まで話し込むとか、無意味に徹夜するとか、そういう経験が大学生活に絶対的に不可欠だとは確かに言いにくい。しかし、一部の業界(私が知る限りではコンサルティングや、放送業界や出版業界、あるいは一部のエンジニアなど)で求められるよな「えぐい」が、しかし「やりがいのある」経験を積む必要はあるはずだ。

 もちろん、一つもそういう場(授業)がなければ、それはそれで問題だが、やろうと思えば、いくらでも奥深く学べるのが「大学」という場である。○×(教員名)のせいで「ほとんど寝てない!」という言葉を、ぜひ自慢げに人に言えるようになって欲しい(いずれ恥ずかしくて、そんなことを人前で言えなくなってくると思うが)。

 授業の手を抜いてアルバイトに精を出すのも良い。しかし、その場合は、そこから何を「学んでいるのか」を、人に説明できるようになって欲しい。

▼私自身は「未来を創る」ことができているのかよく分からないが、少なくてもそういう人を育てたい、と思っている今日この頃。

 というわけで、私の日記をご覧になっている顧客の皆さま。
 日記を読むのは、あくまでも「気分転換」で、やるべきことをやってくださいませ。

口内炎 合体す

▼私の特技の一つに、「口内炎を量産する」がある。別に好んで量産しているつもりはないが、ちょっと無理したりすると、すぐに発症してしまうらしい。

 口内炎ができるとしばらくは食欲減退→体重減→治った前後に、リバウンドが生じるというのも、もはや私にとっては、年中行事の一つである。

 だから最近の日記のネタになっていなかったのだが…、今回は新発見である。

▼どうやら私の口内炎は、「合体」という技を持っているらしいのである。
(注:調べてみたら、実は珍しい現象ではないらしい。皆、苦労されているのね)

 「合体」というキーワードから、何を想像するかによってその人の趣味が分かるという説もあるが(個人的には超合金的「ガッタイ」が想起される)、今の私にとっては、合体という言葉から想起されるのは「口内炎」である。何せ5ミリくらい離れて発症していたはずの口内炎が、気づいたら、合体&巨大化していたのである。

 個人的には、東京三菱とUFJが合併したくらいのビックニュースであった。

▼というわけで、正直、話をするのもしんどいのだが、ぐっと我慢。
 好物の酢の物が楽しめない(だって、しみるんだもん)が唯一の難点である。

なぜ疑問文のタイトルの本が流行っているのか

▼話題になっていた本と、最近、出たばかりの本を購入。どちらも本のタイトルが疑問文。しかも、光文社新書。確かにキャッチーな題名だが、内容もそれなり。  前者は、ありがちなコミュニケーション論ではあるが、具体例が面白い。この手の本の中には、「話が通じない」理由を、過度に他者に帰属したり(「自己」についての考察に欠いている)、自己に帰属する(「他者」についての理解に欠いている)ケースが多いが、本書は俗っぽすぎず、かつ、「新書レベル」の入門書としてまとまっている。

 さおだけ屋は…、私、この本を読んで気づいたのですが、実は会計的知識にまったく欠いていたようです。そういえば、一時、プチMBAブームが私を襲った時にも(注:私にもそんな時期があったのです)、会計関連はとばし読みしていた記憶が…。

▼人に、Excelは「会計処理に役立ちます」と言っておきながら、実際、会計のことをよく分かっていなかったらしい、ということが分かった今日この頃。

教材作成中

▼とある企業からのオッファーをいただき、教材作成中。

 なぜか私が、英語の教材。しかも…以下、守秘義務により略。一応、肩書きとしてはインストラクショナルデザインの研究やってます、とホラを吹いているので、ハラを括って仕事を引き受けさせていただいたのだが、やってみると意外と面白い。

 お仕事としては自分の名前が残る訳ではないが、逆に、純粋贈与的な愉しみがあるかもしれない。自分が作った教材を、全国の知らない「誰か」がやってくれていると想像するだけでも実に愉快だ(分かりにくいなぁ、とかツッコまれていたりして)。

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