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読書メモ(断片):「学び」の構造

▼名著再読。佐伯胖先生の『「学び」の構造』を読み直す。初版は昭和50年。1975年である。私が生まれる「前」の著作ではあるが、未だに「新しい」得る所が多い本だ。

 私が本書と出会ったのは、私が学部時代に受講していた某授業で引用されていたことがきっかけである。授業で取り上げられたのは「学べない人間」の3類型だった。10年近く前のノートにも記していたことだがが、改めてここで記しておく。
学べない人間 A. 無気力型
B. ガリ勉型
C. ハウ・ツウ型
 著者によれば、学べない人間は上記の3つに分類できると言う。
 それぞれさらに簡単に引用してみよう。
無気力型人間
(略)俗に言う「やる気のない」人間、「根性のない」人間で、勉強しろといわれれば、単に「やった」というしるしだけを、最低の要求水準スレスレで満足させるだけで、他に何事にも興味をもたず、熱中することもなく、毎日毎日をただ何となく生きている人間のことである。(p.20)

ガリ勉型人間
 ガリ勉型人間というのは、実をいうと、さきの無気力型と本質的には(その人の知識というものに対するイメージに関しては)全く同じなのである。唯一のちがいは、勉強という「無意味作業」に課す要求水準の高さにあるのみで、勉強があくまで「やる」べき作業であり、やっているという動作が勉強のすべてであると考えている点で何のちがいもない。(p.20)

ハウ・ツウ型人間
(略)前の二者と似たところがあるが、若干異なるのは彼の知識像である。彼は知識が「役に立つもの」ということ、少なくとも自分にとって大いに利用価値の高いモノ、という考えはもっている。ただ、あらゆる知識の問題を、彼はすべて「やり方」の問題、うまくやる方法や手段の問題として考えるのである(略)。
彼に根本的に欠けているのは、「何故?」とか「何?」という真理への問いかけである。世の中のできごとが「何故」おこり、一体世界はであるかなど全く関心がなく、要はうまくやること、とりわけ自分だけがうまくいき、「成功」することが大切だとする。(pp.22-23)
 これ以外にも、「学べない人間」はいくつもパターンがありそうだが、上記の「無気力」「ガリ勉」「ハウ・ツウ型」は、最も基本的な類型と言えるかもしれない。

 最近は、「ガリ勉」という言葉自体「死語」になりつつあるが、「ガリ勉型人間」は私流に言い換えれば「お勉強」型と呼ぶことができるかもしれない。「お受験」が典型であるように(注:もちろん例外はあるだろうが)、学び手である当事者そのものよりも、第三者である親の意向が強く働いている場合、それは「受験」ではなく「お受験」である。

 高校受験であれ、大学受験であれ、資格認定試験であれ、本来的には「受験」は、社会的な評価を意識しつつ(注:出来るだけ社会的に評価されるように人は行動することが多い)、自分自身が自発的に「受験」することで成立する。「勉強」も本来的には、そのような意味を持っているはずであり、「お勉強」とは異なるはずだ。

▼「学べない人間」の中でも、「無気力」は最も対峙が困難な部類である。しかし、「ガリ勉型人間」=「お勉強型人間」や、「ハウ・ツウ型人間」が、真に「学べる」人間へと転換するのも、容易なことではない。

 まずは自分自身の「勉強」のスタイルを見直すこと。つまり、「お勉強」になっていないか、「ハウ・ツウ型」に陥って「何故?」「何?」を問うのを忘れていないか。これらを一つひとつ自分自身で見直し、「学ぶとはいかなることなか」を問い続けるようにしたいものである。「学ぶ」とはいかなることが分からないからこそ、人は「学ぼう」とするものだと私は素朴に信じている(もちろん、人によって抽象度に違いはあるとは思うが)。

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