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すべての定義は否定である

▼私にとっての究極的な「問い」の一つとして「現実とは何か」があげられるが、もう一つ、頭から離れない問いに「人間とは何か」がある。

 なにやら難しそうなことを考えているように見えるが(見せているが)、サルと人間は果たして何が同じで、何が異なるのか。「人間」を「人間」たらしめているものは一体何なのか?は、誰しも一度や二度は考えたことがある問いではないかと思う。

 そのように決めつけている時点で、お前は「人間」がなんたるものか分かっていない、というツッコミをいただきそうだが、そのツッコミも含めて謎が多い領域である。

▼「人間とは何か」を追求していく上で有効なのは、「人間とは何か」を直接問うのではなく、「人間とは何でないのか」を考えるという手法である。否定形から考えることで、「人間とは何か」を、逆に明らかにできるからである(「逆照射」とも言われる)。

 否定というのはネガティブな意味ではなく、「人間とは何でないのか」という問いのように、一端、否定形で考えることで、物事を追求していくという姿勢のことを指す。

▼黒崎政男氏は、『となりのアンドロイド』の中で次のように述べている。
(アンドロイドというのは、SFに出てくる人間型ロボットのことである)
 (略)人間がアンドロイドを想定することは、すなわち、<人間とは何か>という哲学的な問いの、一つの正当な視点なのです。

 というのも、私たちが<人間とは何か>という問いを発するとき、すぐには<~である>というふうに答えられないからです。では、どうしているかと言うと、同質でありながら差異を生じさせるものを想定しながら、たとえば、AはBではないというふうに、AとBの間に境界線を引くことでAを確定しています。スピノザが「すべての定義は否定である」と語ったように、<人間とは何か>という問いに答えるためには、人間とは何でないかという視点からその問いを追求していくほかにはありません
(略)
 ほぼ一世紀前、ダーウィンの登場で、それまで「人間は動物ではない」と規定してきた人間観が崩れたことがありました。もしかしたら、人間もまた動物の一種であるかもしれないというカルチャーショック、思考の組み替えが行われたことがあります。「人間は犬や猫じゃないんだから」という考え方と、「いや、人間だって動物だ」という考え方、つまり動物との連続と不連続において<人間とは何か>を学ぶ機会がありました

(引用者改行)
さらに以前、中世では、人間は自らを神との同一性と差異性において捉えようとしてきました。無限の神の前では有限な存在である人間。一方、動物との差異を見て、人間は理性を持つ存在であるとわかっても、神を想定しなければ、人間が有限であるという視点は持ち得ません。動物との対比がなければ、人間は理性的であるという特質は浮かんでこないのです。
(下線は引用者による)(pp.55-56)
▼よく言われることではあるが、光が強ければ強いほど、それだけ闇も深いものになる、という当たり前のことを、どう理解するか(伝えるか)。相変わらず難問である。

 なーんてことを考えながら、今日も一日が過ぎてゆく。

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