▼何かとばたばたしていた関係で、3月はおそらくこの数年間(正確に言えば、この5年間ほど)で、最も読書数が少なかった月ではないかと思う。もっとも3月中は、読書の楽しみ(愉しみ?)や深みとはまったく異なる、代え難い時を過ごしていたのであるが(昨日も似たようなことを書いてる)、ぼちぼち読書も再開したいところである。
というわけで読みたかった2冊を手に取る。
- 山下 清美・川浦 康至・川上 善郎・三浦 麻子 (2005).
ウェブログの心理学.NTT出版
いやー、どちらも面白かった(前者はまだしっかり読んでいないのだが)。
▼とりわけ『』の後半部では、吉見俊哉氏らしからぬ語り口で記されていたのが印象的。「当事者」にしか書けないこととがある反面、「当事者」であるがゆえに言葉にしきれない事があるのだろうな、ということを再認識させられた次第である。
(例:自分が所属している組織のことは、自分が一番良く知っているつもりだが、それゆえに=当事者であるがゆえ=自己言及的になるがゆえの困難さがありそう)。
本書の端的な紹介、表紙の文章が最も分かりやすいだろう。
高度成長を象徴する大阪万博から数え、二〇〇五年の愛知万博は日本で開催される五度目の万国博覧会である。その間、万博は一貫して、豊かさへの大衆的な欲望と国家の開発主義政策との癒着を可能にする仕掛け-万博幻想-として機能してきた。本書は、こうした「幻想」を広く長く作用させてきた「政治」の場としての万博の内実とその行く末を、国家と地方行政、財界、知識人そして大衆の間に繰り広げられるせめぎ合いに焦点を当てることで浮き彫りにする試みである。
「表」と「裏」という単純な二項対立は誤解を招くが、表層からは決して見えてこない万博の裏側、とりわけ「政治」的側面が取り上げられているのが本書の特徴である。
▼しかしながら、この手の裏側を知ってしまうと、正直、正面から「万博」なるものを楽しめなくなってしまいそうなのが難点である。
だってそうでしょう。例えば、ディズニーランドなんかは、表から見えないところ(巧妙に隠されているところ。ゲストが見ないようにしているところ)に、何があるかを知ってしまったら、それを知る前と知った後の感覚は、きっと違うと思われるし。
私について言えば、私は、小学生の頃に行われた筑波の科学万博に対し、大変ピュアに「楽しかった」という記憶しか残っていないのだが(あの万博があったからこそ、私は科学技術全般に強い興味を持つようになったと思っている)、吉見氏に言わせれば、あの万博は「
お子様ランチ」的側面が強かったらしい。
以下、引用。
こうしたどちらかというとネガティブな受けとめ方に対し、技術主義的な未来の映像とコンピュータ、ロボットに夢中になることができたのは、むしろ子どもたちであった。まさに子どもたちこそ、つくば科学博が観客として狙いを定めた最大の標的にほかならなかった。(略)
しかも万博会場には、子どもに人気のロボットやコンピュータ、新しい映像テクノロジーの玩具が並べられていた。結果的に、つくば科学博は、大阪万博や沖縄海洋博以上に子どもたちのための冒険ロマンを主軸に据えた博覧会となっていったのである。(引用者改行)
実際、つくば科学博の会場で入場者たちが接する映像や展示の「中身は『子どもたちのための万博』を意識してか、『お子様ランチ』のようなものが多い」(『朝日新聞』一九八五年三月一〇日)との指摘は数多くなされていた。そしてまさに五〇〇万人にも上ったとされるこの子どもたちの来場が、不入りに悩んだ科学万博への動員数をなんとか表向きに補完する役割を果たしたのである。(p.172)(太字は引用者)
実際、当時の私は「子ども」ではあったが、改めてこのように指摘されると、過去の記憶まで変わってしまいそうなところである。少なくても私にとっては「万博の教育的効果」とはあったような気もするが、どうなんだろうな。
▼確かに、筑波の科学博は、指摘の通り「科学万歳」だったような気もするが(実際、この手の傾向は万博全般に言えることらしい)、同時代史を振り返ってみれば、同年85年の8月には日航機の墜落事故が起きていることも忘れてはならないだろう。
さらに翌年には、スペースシャトルチャレンジャーが墜落。
またその後に、チェルノブイリの原発事故の惨事が起きた。
確かに、テクノロジーのきらびやかな未来が描かれていたような気もするが、その外では科学の限界や課題に直面せざるを得ない状況だったことは間違いない。
科学博で描かれていた世界が、極めて楽観主義的、技術主義的な世界だったことに当時の「わたし」は気付いていたのか。それは今となっては分からないが、夢が大きかった分、現実の困難さを、痛く感じることができたのかもしれない。
なんてことを思ってみたりもする。
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