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次の30年へ

▼良いか悪いか知らぬが、たぶん、私は理想が高い人間である(何せ、小さい頃の夢は「世界征服」だからな。しかしながら、「征服」という行為が、あるいは「世界」というものが、一体何を意味するのかはよく分かっていないのが難点である)。

 目先の問題も大切だとは思うが、私としては、しばらくは「遠い未来の世代」に対して何をできるかを考えたい、と思ってみたりする(一応、「未来からの留学生」として育ってきた自負もあるしな。いつも思うが、これは実に深淵な言葉である)。
 ほとんどすべての学校改革論や教育論は、長期的にみてわれわれが直面している、最も深刻で重大なこの問題から目を背けている。それは想像力を欠如させているとみえないところにいる二種類の「異質な他者」~開発途上国の人々と遠い未来の世代~を、日本の教育学の中にどう組み込むかという問題でもある。心情的な連帯、などという感傷主義はやめよう。むしろ、教育システムが持つ、財や機会を配分する機能が重要である。開発途上国の人々を含めた人々との財やチャンスの再配分をどうするかという問題や、未来世代との再配分の問題に対して、教育学が何をできるのかを考えてみる必要がある。
(引用者改行)
長期的な教育のあるべき方向を考える際には、彼らとの間で整合性を持った社会を作り出すことに向けて、教育が貢献できるのか、という問いである。彼らの存在を無視して議論を組み立てるかぎり、どんな教育論も、豊かな先進国の、短期的な欲求やニーズの充足をめざす議論に終始してしまうことになる。自己中心的で快楽追求的な若者を批判する論理は、学校をめぐるあまたの議論にそのままあてはまってしまう。「自分たちの、今しか考えていない」、と(pp.81-82)(太字は引用者)。
 「教育学」に何ができるかというよりは、「教育」に何ができるかという問いの方が、より普遍的だと思うが、私にとっての「古くて新しい」問題というのは、結局、ここに至るのだろう。あるいは、「教育」に何ができないのか、といったところか。
 『教育 思考のフロンティア』でも繰り返し描かれているが、世界における「多様性」というものの意味を今一度、考えていきたいところである。そういえば、「征服」のもう一つの用法に、「難病を征服する」があった。「征服」すべきは難題ってことか。

 何はともあれ、理想は現実の困難さ故に、存在しうる「何か」であり、それは自分自身の「無力さ」と隣り合わせではないか、と思ってみたりする。

▼ちなみに、『教育 思考のフロンティア』は、昨今の教育をめぐる論説が、大変バランス良く整理されており、教育に関心がある人にとっては大いに参考になる本である。基本的に本書は、具体的なデータを持たない論説が中心ではあるが、観念的・一方的ではない。議論の礎としては、近年まれに見る良書かも。

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