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読書メモ(断片):思春期をめぐる冒険

▼移動中の電車の中で、ようやく『思春期をめぐる冒険―心理療法と村上春樹の世界』を読み終える。私は村上春樹のあまり良い読み手ではないのだが(読んだことのない作品も多い)、結果として、本書は、私にとっては村上春樹作品のレビューにもなったし、臨床心理的な考え方を深めるために役だった気がする。

 本書によれば、心理療法と村上春樹を結びつける接点は「異界」の扱いにある。異界というのは、「こちら」と「あちら」の二分法で言えば、「あちら」側。目に見えない現実だとか、目に見える現実とは異なった位相の世界(p.201)のことを指す。

 例えば、こんな感じ。
(略)自分の心に納めきれない出来事が起こったとき、その出来事を何とか心に納めていくプロセスには、どうしてもこの世とは違う異界の視点が必要となってくる。

 たとえば、若くして亡くなった人の家族に対して「代々の因縁を背負うために生まれて、その因縁を背負って若くして逝った」というような、あの世とのつながりを説明するような物語が宗教関係者などから語られることがあり、それが残された家族にとって大事な拠り所になることもある。

しかしいくらこの世の常識とは違う視点が持ち込まれていても、単に異界に原因を求めるだけの安直な物語になっているものが巷には溢れている。この「代々の因縁を…」という物語にしても、原因を異界に求めている単純な因果関係であると言ってしまうこともできる。

このような物語を素朴に信じること自体、かなり難しいと言えるが、少しでも気持ちが楽になるのなら、とそのような物語にすがりたくなることもある。たとえ単純な因果関係ではあっても「代々の因縁を背負うために生まれ、若くして逝った」という子どもの人生の物語を痛みとともに抱え、その意味をどこまでも深めて自分の核とつながりをもたせながら日常を送っていくことができたら、それは物語を心に納めて生き抜くことになる。

ところが悲哀の苦痛を少しでも鎮めようとするプロセスの中では、話を発展させて子どもを神格化したり、英雄として扱うようになるなどということも起こりうる。これでは物語を深めるという方向とは逆に、物語が外に溢れ出ることになってしまう。

日常生活の中で、異界にまつわる物語が不用意に他人に語られ、その物語自体が独り歩きするようになると、「あの人は少しおかしくなっている」と言われかねない危うさを含んでくる。

悲しみや苦しみに直面できない弱さから、あの世の物語の世界に入り込んでしまっては、どこかで歪みが生じて新たな苦しみを生み出すことになってしまうのだ。(pp.11-12)

(太線部分は引用者。引用者が、改行位置を変更しています)
 まだ十分に咀嚼できていないのだが、「わたし」と、ある「出来事」を媒体する役割を「異界」は担うことになるらしい。この手の三角形モデル(例:「わたし」と「あなた」は直接的に結びつくのではなく、何かを媒介とする)に、私は常々興味を持っているのだが、何にせよ「媒体」を固定的に考えてしまうのは危険ってことになるんだろうな。

 何回か部分的に引用してきたので、全体をレビューしたいですね。

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