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一皮むける

▼大変遅れてしまいましたが7月から、本日記は正式に「プライベート」版と、「パブリック(公式)」版に分かれます(!)。blogもはじめます。

 もっとも、プライベート版もこれまで通りの体制で、それほど位置づけの変更はないとは思います。表面的には、読書メモを移動するぐらい…だと思います し、実際、見た目にも何も変わりません(笑)。でも、移行後、文体やちょっとしたニュアンスがどう変わるか?は自分でも興味深いところです。

一皮むける
 さて、これも一つの区切りなので、最後に(現スタイルでは、という意味です。ちなみにホームページの開設から10年目、現スタイルでの日記は3年と7ヶ月目)、自分のことを書いてみたいと思います。

 いきなり結論、というわけではないのですが、私は、最近、何となく「一皮むけた」のかな、と思うことがあります。「一皮むける」は、とてもうまい表現(絶妙!)ですが、組織論の金井壽宏先生の言葉をお借りしています。
 私なりに要約すれば、何かしら人生の転機、節目、トランジションをくぐり抜けて、変化するといった感じの意です。

 もちろん変化は、自分一人で捉えることはできないもので、厳密に考えればbefore/afterで明確な基準を設定すべきでしょう。さもないと、自分 は「一皮むけた」と思っていても、他人から見た時「何も変わっていないじゃない」と言われてしまう可能性もあります(実際、その可能性は高そうです)。

 ですから、以下の話にはさして根拠はないですし、所詮、一個人のお話に過ぎません。でも、最近、人と話をしていても、自己評価でも(私は臨床心理学では ユング派を好んでいる部分もあり、「夢」の変化も大切だと思っています)、何かが変わっている、という感じがどこかにあったりします。。

 お仕事的には、私は、このような「変化」の過程を捉えることに興味があるのですが、「計画された偶然」的な契機も関係しているんですかね。

何が変わったのか
 さて、何がどう変わったのか?は、一言で言うのはとても難しいのですが、敢えて言えば「等身大」の捉え方でしょうか。私は、常々「等身大にモノを見たい」と願う部分が強いようで、研究でも、あるいはその他の仕事でも、自分と他者(世界)を出来る限り切り離さないように、両者の適切な距離感を保ってたいと思っていたりします。

 しかし、このスタンスは、うまく行っている時は順調だが、うまくいかなくなってくると、楽しいけれど辛いものです。たとえば私の場合、いわゆる「遠隔学習」の研究をしている最中に、「遠距離恋愛」がうまくいかなかったという経験は、正直、とてもしんどかったです。なぜって、研究で悩んでいるのか、プライベートで悩んでいるのか、その区別がしにくい訳ですからね。

 他にも、「気づき(アウエアネス)」の研究をしていたはずなのに、自分自身や学生の変化に「気づけなかった」とか、「コラボレーション(協調学習)」支援の研究を行っていたはずなのに、自分自身のチームのコラボレーションで、多々失敗をしてしまったとか…、いろいろあります。

▼もちろん、遠隔学習と遠距離恋愛なんて、全く違うじゃない!とか、学生のコラボレーションの支援と、研究者間のコラボレーションは違う、と思われるかも しれません。確かにそうだとは思う面もあります。違うと割り切れる人は、何事も、割り切っていければいいと思います。

 でも、私はどちらかいうと割り切れない「素数」的なものに惹かれるわけです(最近、偶然、この手の数学的な喩えを思い返しました)。少なくても、無理に割り切って、高見からモノを見るようになったり、相互性を失うよりは、割り切れない世界の中に自分を投げ入れて、なおも対称性を失わずにいようとする態度が、私にとっては理想です(≒対称性:by 中沢新一)。

 以上を一言でまとめれば「『自分らしさ』や『自分のこと ば』という概念」とらわれない」、という状態にとらわれなくなったのかもしれません。例によって否定の否定ではありますが、現時点で私が言えることです。

何が変わったのか
 もっとも、私はどこかひねくれている部分もあるようで、「あの経験があったから、今の自分が存在しているんだ」とか「あの時の経験が、今の自分の一部を なしている」なんて、キレイなことを言うつもりはありません。

 ただし、その過程を淡々とまとめることができそうな気がするとか、とか、自分から切り離すわけでもなく、かといって囚われるわけでもなく、フラジャイルをフラジャイルなものとして扱えそうだとか、そんな感じは大切にしちあ所です。

▼概念的には「常識」的かもしれませんが、言葉にしえない何かとか(ヴィトゲンシュタインなら沈黙しているかもしれないし、メルロ=ポンティなら身体性に 目を向けるかもしれませんね)、言葉からこぼれ落ちていくものに目を向けるとか、さらに言い換えれば、「分からない」ということの輪郭を、よりハッキリ描 きたい、と思えるようになったと言い換えられるのかもしれません。

 これも、考え方や視点の変化でしょうか。

 もっとも、それが自分自身の具体的なふるまいや表現に落ちていくのは、時間がかかるでしょう。身体的な<何か>ですから、私がそう意識的に は思っていても、第三者的にはそう見えないことも多いと思います。

変化の過程
 日記の話に戻しましょう。おそらく、おざわ日記(読書メモ、恋愛講座=恋愛系読書メモも含めて)には、私の思考のプロセスや変化が、その時の言葉で書かれています。もしかしたら、上記のような変化の萌芽が、どこかにあるかもしれないし、ないかもしれないです。

 ただ、間違いないのは、時は流れているということです。

 私が好きな短歌の一つに

     手紙には愛あふれたりその愛は消印の日のそのときの愛

 という名作がありますが(by俵万智)、ある考えは、「そのとき」で閉じている場合もありそうです。これはWeb日記でも同様でしょう。今後も、日記に ついては過去ログを消すつもりはありませんが、「そのとき」は「そのとき」でしかないということも意識しておく必要はありそうです。

 今後、若干、日記の形態は変わりますが、これからも自分自身を含む「変化」については、描き続けたいところです。

追伸
 以上は、一昨日(26日)、セルフインタビュー形式でまとめたものです。
 (声に出して語って、それを文字起こしして、再編成+加筆。
 一応、断っておきますが、半分はインタビューの練習です)

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