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読書メモ:悪の読書術

▼オリジナルは2003年11月に書かれたものです。

▼福田和也氏の、「悪の○×術」の第三弾が新書化されていた。本当は、茂木健一郎氏の『意識とはなにか―〈私〉を生成する脳』を見てから買うつもりだったのだが、近所の書店に売っていなかったので、なんとなく購入(古本屋=ブックオフに並びそうな本だけどね)。
 読書術というだけあって、村上春樹や江國香織はもちろん、林真理子とか宮部みゆきとか、京極夏彦とか藤沢周平、大沢在昌やら、直木賞芥川賞ネタや、上野千鶴子と小倉千加子、齋藤美奈子やら、ノンフィクション、翻訳書、マンガ、サブカル、絵本や、いわゆる「読書」論まで内容は幅広い。

 福田和也氏の他のブックレビューとも重なる部分も多いような気もするが、軽い批評なので、自分の読書マップを振り返るのに役立つかも。

▼本書では「社交としての読書」が強調されているのだが、とくに印象に残ったのは、読書を通して「自分がどう見られるか」を意識せよ、という話。
(略)前述したように、どんな本を読むのか、どんな本を自らの愛読書として人に示すのかということは、自分がどんな人間になりたいのか、どんな人間だと、人から見られたいのかという問いに直結しています。
 本を読む、本を選ぶというのは、自らの内面の表面であると同時に、どのように自分自身を、その精神面で作っていくのか、という選択と戦略にも関わっているのです。(p228)
 要するに、「自分という人間が、こういう本を読むということが、どういう文脈で解釈され、受け取られていくのか」(p229)に意識せよ、とか、「自分はこの本が好きだから読む、ではなく、自分を自分として作り、向上させるために何を読むのかを、客観的に考えるべき」(p231)という話。

 これだけ読むと福田和也氏の発言にしちゃ妙に教養主義的だな、と思われるかもしれないが、「社交的な意味」、つまりは「スノッブ」な意味での話である。最初にハイソな代表例として、白洲正子氏の名が挙げられていたりして、これもなるほどな、と思わされた。
(この辺りは、あまり紹介し過ぎると、本書を読む楽しみを失わせてしまいそうなので、詳しくは本書を手にとってご覧くださいませ)

 私なんかは、まだお子ちゃまなので、「福田和也氏の本を読みました」(たとえば『悪の恋愛術』とかね)と表明することは、その聞き手や読み手(私の場合は日記を読んでくださっている方)に、どのような印象を与えるのだろう?と思ってしまうのだが、実際のところどうなんだろう。
 こんな疑問を持ってしまうこと自体、アレなんでしょうけど。

▼著者曰く、江國香織という人は、「男性にはよくわからない」もので、「わかるというか、感じる人間は、かなり異様というか、男性としてはやや過激で、むしろ女性の側から見ると、警戒すべき存在であるかもしれません」(p57)なのだそうだ。うーむ。やはり、そうなんだろうか。
 
 もっとも女性でも男性でも、川上弘美が世界で一番好き、と言われたら、それはそれで私も先入観を持ってしまいそうだ(私も好きだけど)。

▼他者の眼を内在させる、ということも善し悪しなんだろうな。

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