読書メモ:儀式は何の役に立つか
▼オリジナルは2003年11月に書かれたものです。
▼他者が他者について考えていること
選挙である。私なんかはあっさりと誰に入れるかを決めるのが、純粋に立候補者を選ぶというのは実を言うと難しい。なぜなら「他の人が誰に投票するか」も少なからず気になるからだ。
例えば、入れようと思っているその人が「有利」なんてことを聞くと、「勝ちすぎておごられても困る」から敢えて別な人を選択するということもあるだろう。このように他者の動向が「私」に影響を与えるわけだが、同じように他者も他の人の動向を気にしているとすると、事態は複雑になる。
まず他者が何を考えているかを考え、その上で他者が他者について何を考えているかを考え、そのまた他者が他者について考えて…考えるほどややこしくなってくる。しかし、人はこのような知識の知識を持っているから、お互いにコミュニケーションがうまくいっているのも事実だ。
最近、この手の考え方は「ゲーム理論」の分野で、魅力的な仮説がいくつも出されているが、最近、たまたま読んだ『儀式は何の役に立つか』(原題は『合理的儀式』)は、この辺の事情を「共通知識(Common Knowledge)」という観点から、非常に鮮やかにまとめている。
▼共有知識とは何か
著者の定義によれば、「集団の中で、ある事象あるいは事実について、皆がそれを知っており、皆がそれについて知っていることを皆が知っており、皆がそれについて知っていることを皆が知っていることを皆が知っている…」ような知識のことである(p10)。
え、何のこっちゃ分からないって?
おそらく身近な例で分かりやすいのは、自動車の左側通行ルールである。左通行ルールが成立するためには、まず私がそれを知っていることが必要であり、同時に、私は他の人が左側通行ルールを知っているということを知らなければならない。しかし、それだけでは成立しない。私がこのルールを知っているということを他の人が知らなければならないからだ。ちなみに、この手の問題は「協調問題」と言われるらしい。
あるいは、電子メールのCc(カーボンコピー:同報)とBcc(ブラインドカーボンコピー)の違いも身近な例だろう(p17)。Ccの場合、受信者はそのメールが誰に送付されているのかを知ることができるが、Bccの場合、それは分からない。Ccが利用されている場合は宛先に含まれている者同士は、お互いがそのメールの存在を前提に話をすることが可能だ。
私はBccを滅多に使わないが、同報メールは単に情報を伝えたいというだけでなく、ある特定集団内で共有知識をつくりだす効果は高い。
これと同じようなことは、マーケティングでも多用されている。本書で取りあげられているのは、例えば、ゴールデンタイムのテレビ広告(正確にいえばスーパーボウル放映時の広告)、人気映画の動員数No1!的宣伝である。皆が知っているという状況を作り出すことで、その商品を消費者は「安心して」購入できるわけだ。
(「主体=私の欲望は他者の欲望である」はラカンの有名なテーゼだったと思うが「他者の欲望」は皆が知っている知識についての知識ということか)
▼儀式とは何か
著者は、このような観点から「儀式(ritual)」を捉えるのがユニークな点で本書のメインの主張でもある。著者によれば公共的な式典やメディアイベントは「公共的儀式」として、共通知識を生み出すのに役立っているらしい。結果としてそれは、社会的統合や権威体系の維持につながっている。儀式が繰り返されるのも「共通知識」を生み出すためだという。
メディアを介したコミュニケーションを一元的な知識の「伝達」として捉えるのではなく、共通知識という「儀式」の視点から捉える、という提案は、なかなか興味深い。とくに、その「公共性」とか、共有知識がどうやって作られていくか、すなわち、「『人々がその事実を知っている』ということを皆が知る」ようになる過程の検討は、確かに重要な検討課題なように思われる。
フーコーの(ベンサムの)「パノプティコン」の読み替えも、なかなか興味深い。「見られている」ことを知っている、ということを知っているという前提で相手を見るのと、それを前提としない場合では微妙に結果も違いそうだ。
▼追伸
以上、なかなか刺激的な本で、後半うまくまとめることが出来ていないような気がするのですが、とりあえず公開版をupしてみました。
本書を読んで、自分の論文に「たましい」が入っていなかったことに後から気づいたのですが、時既に遅し。もっと早く読んでおけば良かった…。
青木昌彦氏の書評を朝日新聞に発見。内容のほとんどすべてがコンパクトに全部まとまっているなぁ。まだまだ修行が必要だわ>私。
http://book.asahi.com/review/index.php?info=d&no=4531
▼他者が他者について考えていること
選挙である。私なんかはあっさりと誰に入れるかを決めるのが、純粋に立候補者を選ぶというのは実を言うと難しい。なぜなら「他の人が誰に投票するか」も少なからず気になるからだ。
例えば、入れようと思っているその人が「有利」なんてことを聞くと、「勝ちすぎておごられても困る」から敢えて別な人を選択するということもあるだろう。このように他者の動向が「私」に影響を与えるわけだが、同じように他者も他の人の動向を気にしているとすると、事態は複雑になる。
まず他者が何を考えているかを考え、その上で他者が他者について何を考えているかを考え、そのまた他者が他者について考えて…考えるほどややこしくなってくる。しかし、人はこのような知識の知識を持っているから、お互いにコミュニケーションがうまくいっているのも事実だ。
最近、この手の考え方は「ゲーム理論」の分野で、魅力的な仮説がいくつも出されているが、最近、たまたま読んだ『儀式は何の役に立つか』(原題は『合理的儀式』)は、この辺の事情を「共通知識(Common Knowledge)」という観点から、非常に鮮やかにまとめている。
- Michael Suk‐Young Chwe(著) 安田 雪 (翻訳)(2003). 儀式は何の役に立つか―ゲーム理論のレッスン. 新曜社
▼共有知識とは何か
著者の定義によれば、「集団の中で、ある事象あるいは事実について、皆がそれを知っており、皆がそれについて知っていることを皆が知っており、皆がそれについて知っていることを皆が知っていることを皆が知っている…」ような知識のことである(p10)。
え、何のこっちゃ分からないって?
おそらく身近な例で分かりやすいのは、自動車の左側通行ルールである。左通行ルールが成立するためには、まず私がそれを知っていることが必要であり、同時に、私は他の人が左側通行ルールを知っているということを知らなければならない。しかし、それだけでは成立しない。私がこのルールを知っているということを他の人が知らなければならないからだ。ちなみに、この手の問題は「協調問題」と言われるらしい。
あるいは、電子メールのCc(カーボンコピー:同報)とBcc(ブラインドカーボンコピー)の違いも身近な例だろう(p17)。Ccの場合、受信者はそのメールが誰に送付されているのかを知ることができるが、Bccの場合、それは分からない。Ccが利用されている場合は宛先に含まれている者同士は、お互いがそのメールの存在を前提に話をすることが可能だ。
私はBccを滅多に使わないが、同報メールは単に情報を伝えたいというだけでなく、ある特定集団内で共有知識をつくりだす効果は高い。
これと同じようなことは、マーケティングでも多用されている。本書で取りあげられているのは、例えば、ゴールデンタイムのテレビ広告(正確にいえばスーパーボウル放映時の広告)、人気映画の動員数No1!的宣伝である。皆が知っているという状況を作り出すことで、その商品を消費者は「安心して」購入できるわけだ。
(「主体=私の欲望は他者の欲望である」はラカンの有名なテーゼだったと思うが「他者の欲望」は皆が知っている知識についての知識ということか)
▼儀式とは何か
著者は、このような観点から「儀式(ritual)」を捉えるのがユニークな点で本書のメインの主張でもある。著者によれば公共的な式典やメディアイベントは「公共的儀式」として、共通知識を生み出すのに役立っているらしい。結果としてそれは、社会的統合や権威体系の維持につながっている。儀式が繰り返されるのも「共通知識」を生み出すためだという。
メディアを介したコミュニケーションを一元的な知識の「伝達」として捉えるのではなく、共通知識という「儀式」の視点から捉える、という提案は、なかなか興味深い。とくに、その「公共性」とか、共有知識がどうやって作られていくか、すなわち、「『人々がその事実を知っている』ということを皆が知る」ようになる過程の検討は、確かに重要な検討課題なように思われる。
フーコーの(ベンサムの)「パノプティコン」の読み替えも、なかなか興味深い。「見られている」ことを知っている、ということを知っているという前提で相手を見るのと、それを前提としない場合では微妙に結果も違いそうだ。
▼追伸
以上、なかなか刺激的な本で、後半うまくまとめることが出来ていないような気がするのですが、とりあえず公開版をupしてみました。
本書を読んで、自分の論文に「たましい」が入っていなかったことに後から気づいたのですが、時既に遅し。もっと早く読んでおけば良かった…。
青木昌彦氏の書評を朝日新聞に発見。内容のほとんどすべてがコンパクトに全部まとまっているなぁ。まだまだ修行が必要だわ>私。
http://book.asahi.com/review/index.php?info=d&no=4531
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