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読書メモ:食について考える

▼オリジナルは2003年10月に書かれたものです。

▼忙しくなったり、生活にメリハリがなくなると、つい手を抜いてしまう代表的な生活習慣は「食」である。何も食べずに栄養不足に陥るか、逆に、安直に食べれるカロリーの高いモノを食べ過ぎてしまったりする。

 私も一時、食べ過ぎたり、食べなさすぎたりして体重が大幅に増加したり、減少した経験があるのだが(T先生曰く、「こぶた一匹分」に相当する)、「食」は分かっていても、なかなか自分でうまく扱えないものだ。

 なんてことが少し気になって、食関連の本を続けて読む。
 フロイトに言われるまでもなく、食と性、あるいは愛が密接に関係していることは、うすうす皆、気づいているはずだが、身近な故に、見えないことも多いようだ(逆に言えば、「食」を通してすべて見えてしまうことも少なくない)。

 大平先生の本には、常々影響を受けてきたが、『食の精神病理』は、一見、軽そうに見えて内容的には実に重かった。
 
 『変わる家族 変わる食卓』は某メーリングリストでも話題になっていたり、新聞記事でも見かけていたので、だいぶ前に手に入れていたのだが、実態として、こんなにも変容しているかと思うと驚かされる。

 そして、トドメは『「食」は病んでいるか』である。食のあり方が変わっているというよりは、「生存の条件」が揺らいでいると言った方が良いのかもしれない(そういう意味では、「病理」的であるとも言えるだろう)。

 以下、『食の精神病理』について3点ばかり興味深かった点まとめてみた。『変わる家族 変わる食卓』と『「食」は病んでいるか』はまた改めて。

その1 絵本と「食」の関係について
 一つは、絵本は「食」の物語であるという指摘。著者は『赤ずきん』の物語や『おおかみと七ひきのこやぎ』、また『三びきのこぶた』『わたしのおふねマギーB』や『三びきのやぎのがらがらどん』などの作品を用いて、「食」と「物語」との関係を示しているのだが、久々に目から鱗だった。

 松岡正剛が遊びの本質の一つに「ごっこ遊び」を挙げていて、以前、なるほどと思わされていたが、「ママゴト」も実は奥が深い遊びらしい。
ママゴトというマネゴトは、そもそも、いつも大人たちに世話をされ、食べさせてもらうばっかりのこどもたちが、現実をひっくり変えそうとしてする遊びなのかもしれません(p37)。
 絵本や物語や日常的なメタファーに見られる「食」については、今後も、少しずつ目を向けていくのがよさそうだ(村上春樹、よしもとばなななんかは、食の描き方そのものが、彼(彼女)らの作品の特色だけど)。

その2 「食べる」というコトバの原点
 もう一つは、「食べる」の原点は神様のお下がり、という点。柳田國男によれば、「食べる」というコトバは、タバル、タブの受身の形らしい。つまり、「タバハル」=「たまわる」=「いただく」=神様からいただくというわけ。

 さらに「食う」は攻撃、食べるは「交流」という、多田道太郎の説。「人を食った態度」「人に食ってかかる」「大物を食う」という表現に見られるように、「食う」には攻撃的なニュアンスがあるらしい。
 大平氏は、食べるの「交流性」に加えて「一体化」をあげている。今では死語になりかけているが、確かに「同じ釜の飯」とか「一宿一飯の恩義」なんてコトバも確かにあったのは事実である。

 暗黙知って、実際はこういう場でやり取りされているはずだが、「食」が媒介する影響っていうのは、あまり考察されていないようだ。

 著者は冒頭で、
読者の特権は、著者が行き着いたところから出発できることにあります。(p22)
 と書いているのだが、著者が長年かかって出会った考えを、こうやってまとまった形で得られるのは、大変ありがたいことである。

その3 本当の自分と身体の自分
 三点目は、大平先生がかねてから指摘している「本当の自分」と「身体の自分」について。「本当の自分」っていうのは、身体的な制約を受けない自己像のことだが、これが過食とか拒食とも関係しているらしい。

 しかし最近は、どうも「本当の自分」と「身体の自分」の、分離化が進んでいるそうである。以下の指摘は、確かに身に覚えがあるかもしれない。
 以前の緊張にみち、とかくギクシャクしていた関係は、ひとまず共存といいますか、ある種の役割分担というかたちに収まってゆきました。
 「食」も使い分けられるようになります。ふだん「身体の自分」が口に入れている食物と、イベントのときに「本当の自分」が(アタマで)味わう食物とは、別々でかまわない、違っていてトーゼンということになりました。毎日の食事はコンビニ弁当とサプリでイイのです。しかし、ちょっとした集まりでも、ワインや料理、料理人がウンチクの材料となるような店じゃなきゃ行く気がしない!そういう時代になったのです(p142)。
 このあたりは『変わる家族 変わる食卓』を合わせて読むと、事態はさらに深刻化(バラバラ化?)していることが察せられる。
 憂うばかりじゃなくて、何か考えないといけないな…。

 以上のような問題意識を受けた、大平先生の処方箋は、(1)「身体の自分」を回復させる。(2)食の交流性を取り戻す、というきわめてシンプルなもの。具体的には「早起き」が勧められていたりする。
 確かに、それ以上の処方箋はないような気もする。

 食の問題は、環境問題の一つとして考えても良さそうだ。

おまけ1
 私は、最近になって(正確に言えば、3年~4年前くらいに体重が増え過ぎた頃から)、自分の「食」を見直すようになったのだが、それは結果的に、自分の身体はもとより、人間関係や自分自身を吟味する過程でもあった。

 表面的には、コンビニ弁当を食べなくなったとか、最低限の外食しかしなくなったとか、自炊が好きになったとか、とかその程度なものだが、それによって得たものは大きい気がする(ついでに体重も喪失したが)。

 しかし、こういうことは常に問題が生じた「後」にしか、実感できない面があるのが難点だ。今になって振り返ってみると、いろいろ徴候はあったし、指摘してくれる人もたくさんいたのだが、実際、体調を崩してみたり、何かに支障をきたしてみないと、なかなか実感的に分からない。

 問題が起きないと分からない、という構造自体問題だよなぁ。

おまけ2
 私自身の問題意識に引きつけるようで恐縮だが、私は、いわゆる「インタビュー法」を学ぶにあたって、もっとも基礎的な質問(人にちょっと突っ込んだことを尋ねる練習問題と考えても良い)は、「昨日、何を食べた?」ではないかと思っている。もちろんこの問いから、何を深めるかが問題なのだが…。

 ただ、上記のような本で指摘されていることをふまえると、この質問は使い方によっては相当、危うかったのかもしれない。また社会調査系の授業を持つ機会があれば、少し感触を見てから例題にしようっと。

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