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読書メモ:心理臨床への手びき

▼オリジナルは2003年9月に書かれたものです。

▼臨床心理の本を何冊か読む。今日読んだ中では、『心理臨床への手びき』で紹介されていた、学生さんが寄せたレポートの内容が泣かせる。  紹介されていた学生さんのレポートによれば、ひとつの研究をスタートさせて一応終わりにするまでには、4つの段階があると言う。
(以下、引用時改行位置を改変。編集を加えさせていただいている)
  • (1)先行研究をレビューしている頃
    「そのことに多くの関心を寄せ、相手(研究対象)へのよりよい関わりとは何かを問うている良心的なおとな」
  • (2)研究計画を具体的にたてているあたり
    「スマートにデータをとりたい職業人(搾取に一番近い態度になる頃になるかもしれない)」
  • (3)現場にはっているとき
    「いくら研究者のつもりでも、相手を前にするとただのひとりのなまの人間(そのことに気づかざるを得ない、こころと身体をつかう時期)
  • (4)ふたたび机に戻って考察・論考化しているとき:
    {相手(子どもなり大人なり)にもらったいっぱいのメッセージを、学術的手段にのせて、どうにか世の中に伝えられないかと苦悩している代弁者」。(p208-209)
 「良心的なおとな」とか、「職業人」とか、「なまの人間」とか、「代弁者」という表現がいい。確かに最後の段階は、「代弁者」みたいなものだし。

 この後、さらに考察が続くのだが、最後の一文がとくに深い
 「現場(保育園や幼稚園、あるいは施設などのフィールド)でデータをとることの意味とは」に対する今のところの答えは、自分が感じている”苦しみ”を自分のこととして感じられなくならないため、そして代弁者として声を発するときの力をもらうため、としておきたいと思います。
(勝手に改行)
 考察や論文化の段階では、出会ったおひとりおひとりの顔を思い浮かべることが、何よりの力になります。相手の自己治癒力を信じて、相手と自分とのなまのやりとりのなかでうまれたもの=相手と自分の間でしかうまれ得なかったものを見つめられる研究者になっていけたら…と思います」。(p209-210)
 実に深い。この文章が掲載されているのは、「私の考える心理臨床」という最終章の最後の節なのだが、学生さんの声がそのまま載っているところが素晴らしい。私も、こういうことが言える人になりたいものだ。

 にしても、素朴なあたたかさ(あるいは、自分が感じている苦しみ)が、いつのまにか失われたり、感じられなくなったりするの何故なんだろう。

安野光雅氏が言っていたことだが、画を描く時に「○×描く」のと「○×描く」のは違うように、対象を描くのと、関係を描くのは違うんだろうな。

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