読書メモ:仏教が好き
▼オリジナルは2003年8月に書かれたものです。
▼先日、学部3年(今から6年前?)に書いた論文集をたまたま、読み返す機会があったのだが、後書きを見て驚いてしまった。
私は、どうもあの頃から「夢」と「現実」(夢ではないもの、現実ではないもの)に悩まされていたらしい(一体、いつから意識的に気になり始めたのか、逆に気懸かりである)。
そういえばいつだったか、ある哲学系の研究者(のタマゴ)が、「現実」とか「現実ではないもの」についてついて考えたがる人は循環的な思考をすることが多いということを仰せだったことを思い出した。
彼曰く、「現実」についてこだわりを持つ人は(「私は」の方が、その際の会話の文脈的に近いかも)、一見、同じところをぐるぐる、ぐるぐる(お腹がへった時の音ではない)しているように見えるので、周囲の人間からは、「あいつは理解力がない」とか「分かっていない」と思わせることが多いそうだ。
実際、あの時の会話は、私の理解力のなさのせいで、話は核心に近づいているようで、先に進まなかった記憶もある。いったい何に根拠があるのか分からないが、なかなか興味深い話ではある。
▼他人から私がどう見えているかはよく分からないが、少なくても私自身が好むのは、「これが答えだ!」と、モノの本質をズバリ言う人よりも、答えのまわりをぐるぐる回るタイプであることは確かだ。
今もなお、答えの鮮やかさよりも、問いの立て方が豊かな人を、尊敬してしまう気がする(答えが鮮やかな人を尊敬しないわけではないけど)。
このような思考法を「ぐるぐる」思考と呼ぶと、田口ランディっぽくなってしまうので、何か良い命名がないかと思っていたら、ユングが(「科学」の人間にとってはあやしげな名前だと言われそうだが)、circum ambulationという言葉を残しているらしい。日本語で言うと「巡回」。以前、関連書を読んだ時は読み流していたが、今回は、すっと入ってきた気がする。
以下、河合隼雄と中沢新一氏の対談『仏教が好き』から引用。
▼この手の思考をしやすい人間にとっては、「否定」(ではないもの)と、「仮定」(そうかもしれないもの)は、非常にやっかいな問題である。「中心」は中に入ることができない仮定的なものだからだとは思うのだが、否定とか仮定の問題は、もっとちゃんと考えなくっちゃいけないな。
対談の中で、中沢新一氏は「結局、心のケアというのは『否定』の技術の問題に尽きる気もしますね」と述べている。これを受けて河合氏は「そうなんだけど、それを忘れる人が多いんだと思いますね。どうしても「肯定」の技術のほうをみんなやりますから」と言っている(p149)。
これは我が意を得たりである。確かに、世の中に必要なのは「肯定」の技術というよりも、「否定」の技術であろう。うん。問題は、たいてい夢と現実(あるいは、夢ではないもの、現実ではないもの)の間からやってくるということは分かるのだが、その先になかなか進めないのが難点である。
真ん中を目指すのではなく別な道を探るべきなんだろうな。
▼先日、学部3年(今から6年前?)に書いた論文集をたまたま、読み返す機会があったのだが、後書きを見て驚いてしまった。
私は、どうもあの頃から「夢」と「現実」(夢ではないもの、現実ではないもの)に悩まされていたらしい(一体、いつから意識的に気になり始めたのか、逆に気懸かりである)。
そういえばいつだったか、ある哲学系の研究者(のタマゴ)が、「現実」とか「現実ではないもの」についてついて考えたがる人は循環的な思考をすることが多いということを仰せだったことを思い出した。
彼曰く、「現実」についてこだわりを持つ人は(「私は」の方が、その際の会話の文脈的に近いかも)、一見、同じところをぐるぐる、ぐるぐる(お腹がへった時の音ではない)しているように見えるので、周囲の人間からは、「あいつは理解力がない」とか「分かっていない」と思わせることが多いそうだ。
実際、あの時の会話は、私の理解力のなさのせいで、話は核心に近づいているようで、先に進まなかった記憶もある。いったい何に根拠があるのか分からないが、なかなか興味深い話ではある。
▼他人から私がどう見えているかはよく分からないが、少なくても私自身が好むのは、「これが答えだ!」と、モノの本質をズバリ言う人よりも、答えのまわりをぐるぐる回るタイプであることは確かだ。
今もなお、答えの鮮やかさよりも、問いの立て方が豊かな人を、尊敬してしまう気がする(答えが鮮やかな人を尊敬しないわけではないけど)。
このような思考法を「ぐるぐる」思考と呼ぶと、田口ランディっぽくなってしまうので、何か良い命名がないかと思っていたら、ユングが(「科学」の人間にとってはあやしげな名前だと言われそうだが)、circum ambulationという言葉を残しているらしい。日本語で言うと「巡回」。以前、関連書を読んだ時は読み流していたが、今回は、すっと入ってきた気がする。
以下、河合隼雄と中沢新一氏の対談『仏教が好き』から引用。
ユングがよく使う言葉がありまして、英語でcircum ambulation、「巡回」という意味です。僕の好きな言葉なんですが、結局、中心には入れないということなんですよ。われわれはまわりをめぐるだけ。まわりを何度も何度もめぐることによって、いわば中心に思いをいたすなり、中心を感じ取るなりということはできるけれども、中心に入ることはできない。(略)私は、気が付くと真ん中が存在しないモデルを立てたがるので、やはり「circum ambulation」型の発想をしやすいのかもしれない。
ユング自身、自分の書いている本も「サーカムアンビュレーション」が多いと言っている。たしかにぐるぐる回っているものが多いんですよ。だからぱーんと直接的にものを言うことが好きな人にとって、ユングの言い方は持って回っているというとか、うねうねやっているように見えてしまう。けれども僕がユングの考え方で好きなのは、やはり真ん中に行けないと思っているからなんですね。(p162)
▼この手の思考をしやすい人間にとっては、「否定」(ではないもの)と、「仮定」(そうかもしれないもの)は、非常にやっかいな問題である。「中心」は中に入ることができない仮定的なものだからだとは思うのだが、否定とか仮定の問題は、もっとちゃんと考えなくっちゃいけないな。
対談の中で、中沢新一氏は「結局、心のケアというのは『否定』の技術の問題に尽きる気もしますね」と述べている。これを受けて河合氏は「そうなんだけど、それを忘れる人が多いんだと思いますね。どうしても「肯定」の技術のほうをみんなやりますから」と言っている(p149)。
これは我が意を得たりである。確かに、世の中に必要なのは「肯定」の技術というよりも、「否定」の技術であろう。うん。問題は、たいてい夢と現実(あるいは、夢ではないもの、現実ではないもの)の間からやってくるということは分かるのだが、その先になかなか進めないのが難点である。
真ん中を目指すのではなく別な道を探るべきなんだろうな。
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