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読書メモ:生き方の人類学

▼オリジナルは2003年4月に書かれたものです。

コミュニティ・オブ・プラクティス
 最近、いろんなところでコミュニティ・オブ・プラクティス、実践共同体、実践コミュニティという言葉を耳にするようになった。流行語的使われ方をしているせいもあって、その文脈によって用法は異なるようだが、

 私が見聞きする範囲では、
  • (1)職場、学校、地域等において、人と人とのつながりを重視する
  • (2)人と人とのつながりの中に参加することで、参加者やコミュニティに何かしら意味がもたらされる。
  • (3)コミュニティの中では、何かしらの知識が創造されたり、ノウハウが共有されたり、その人のアイデンティティが構築されている。
 といったようなイメージで捉えられることが多いようだ。(注:(2)と(3)は、同じことを言っているような気もするが、便宜上分けてみました)。

 もともとは人類学的な知見であるらしい。これまで、何冊かコミュニティ・オブ・プラクティス系の本を読んでみて、言われていること確かに分かるのだが、私がよく分からないのは、プラクティス(実践)の概念である。

 てなわけで、新書で出たので早速、読んでみました。
 「実践とは何か?」と問われたら、やはり気になるわな。。 実践とは何か
 著者は人類学者。本書に出てくる事例も、文化人類学的フィールドワークが土台になっている。本書では、人類学的立場から「社会的に構成され、慣習的に行われている行為や活動」(p11)のことを「実践」と呼んでいる。

 ちなみに、ウェンガー(「コミュニティ・オブ・プラクティス」の概念を広めた一人である)は、実践のことを次のようにまとめている。
(注:「実践」という言葉には)ある特定の領域で物事を行うための、社会的に定義された一連の方法、という意味がある。つまり、行動やコミュニケーション、問題解決、作業、説明責任などの基盤となる、共通の手法や基準である(p77)
 著者とウェンガーの大きな違いは、実践の「慣習性」の捉え方であろう。ウェンガーでは、「慣習性」は、あまり強調されていないような気がする。慣習性について、著者はヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」を援用しながら、次のような説明を行っている。
「言語ゲームの場所では、とにかく実践が行われるという事実が存在する。その結果、行われている実践は規則に従っているかのように見えるに過ぎないのである。
 つまり、実践というのはある規則で記述できる概念ではなく、あくまで慣習的な過程である、ということを言いたいらしい。
(注)いきなり「言語ゲーム」と言われてもぴんと来ないかもしれないが、要するに規則っていうのは、規則が正しいから守られているのではなく、規則が現実に守られているから、正しくみえるってこである。規則っていうのは実践的なものらしい。
 では、実践の慣習性をどう捉えれば良いのか。著者はブルデューのハビトゥスを援用するのだが、ここから私には正直、難しくてよく分からない。

 私なりにまとめると、ハビトゥスっていうのは、「個人が持っている身体化された<傾向性>の集合(性向、性癖、嗜好、くせ)」のこ
とである。しかし、ハビトゥスの概念では、実践の慣習性を明らかにできないらしい。著者によれば、「慣習化された行為としての実践は、実践している人の実際的で即興的な実践状態からしか明らかにすることができない」(p18)とのこと。

参加や協働 + 権力関係や差異化としての「実践」
 ここで登場するのがレイヴとウェンガーの「実践コミュニティ」の概念である。レイヴにとっての、実践とは「行為者の参加、協働、交渉、さらに<構成員のアイデンティティ化のことである。

 結局は、レイヴやウェンガーの焼き直しか…と一瞬、思わされたのだが、著者によればこれらの観点でも、まだ不十分らしい。実践コミュニティを捉えるためには、人々の参加や協働、交渉、あるいはアイデンティティ(化)のみならず、人々の権力関係や差異性に着目しなければならないらしい。
 慣習やハビトゥスが同一の実践を生み出すと主張するならば、それは権力支配の言説にほかならない。したがって、生き方の人類学は人びとの間のミクロの権力関係が凝集するコミュニティのなかの人びとの参加、協働、あるいは対立、交渉を記述するとともに、彼らの実践の差異化の過程、すなわち彼らの<自由>を描かなければならないだろう(p250)。

 コミュニティのなかで他者との実践に従事しながらも他者との差異化を自覚し、自分の生き方を実践していくことによってアイデンティティ化は多様に展開する可能性がある。実践コミュニティにおける権力関係とは、実はアイデンティティ化をもたらす肥沃な土壌なのである(p236)。
 その他、ウェンガーのモデルの問題点として、言語的コミュニケーションに重きが置かれていることや(確かに、その嫌いはあるかもしれない)、差異化(脱中心化?)の要素が抜けているという問題を指摘している。
 ウェンガーが求めるのはあくまでコミュニティ内部へ向かう帰属意識であって、そこから差異化するベクトルは考慮されていないのである。したがって、そこでは実践のなかで行為者が他者と向き合い、交渉をとおして自分を差異化していく過程はまったく無視されることになるのである。(p230)

 この見方はアイデンティティが意味と価値の交渉、つまり言葉によるコミュニケーション行為によって形成されることをあまりに理想化しすぎていないだろうか?」(p227)

 確かに、実践を捉えるためには、コミュニティにおける権力関係や、言語的コミュニケーション外の事柄、実践の中で行われている差異と反復(これって、ドゥルーズの概念じゃないかしら)を捉えることは必要そうだ。

▼で、結局
 結局、「実践」っていうのは何なのか、本書を通してますます分からなくなったような気がしないでもない(いい意味での分からなさだろう)。

 実践コミュニティに限らず、個人=集団=組織=文化の関係を考えていく上で、本書には重要なヒントが重要なヒントが含まれていそ
うなのだが、まだまだ消化不足である。改めて読む必要がありそうだが、上記は、とりあえず読後の整理を兼ねたメモである。ついでに、

 これも発注してみた。これを読めば少し理解が深まるかしら。

追記
2003年6月若干修正しました。

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