読書メモ:日本語の21世紀のために
▼オリジナルは2003年3月に書かれたものです。
▼私は、テレビのニュース、とりわけ地方版がどうしても好きになれない。たまたまチャンネルを変えたり、テレビを付けた時に、間違って地方ニュースを見てしまう時があるのだが、むずむずすることが多いのである。
どこかで祭があったとか、何かしら催しがあったとか、地方ならではのほほんとした(ちょっとボケが入った)ニュースを流すのは許せなくもない。しかし、だ。アナウンサーの常套句は脱力系以外のナニモノでもない。
▼いったいこのむずむず感は何に由来するのか、丸谷・山崎氏の『日本語の21世紀のために』を読みながら、ふと考えていたのだが、結局、「読者に内容を伝えなければならないという意識がない」(p90)のだろうな。
▼私は、テレビのニュース、とりわけ地方版がどうしても好きになれない。たまたまチャンネルを変えたり、テレビを付けた時に、間違って地方ニュースを見てしまう時があるのだが、むずむずすることが多いのである。
どこかで祭があったとか、何かしら催しがあったとか、地方ならではのほほんとした(ちょっとボケが入った)ニュースを流すのは許せなくもない。しかし、だ。アナウンサーの常套句は脱力系以外のナニモノでもない。
- 料理が振る舞われるイベントの常套句
「おいしそうにほおばっていました」
- チビっ子が登場する催しの常套句
「元気に駆け回っていました」
▼いったいこのむずむず感は何に由来するのか、丸谷・山崎氏の『日本語の21世紀のために』を読みながら、ふと考えていたのだが、結局、「読者に内容を伝えなければならないという意識がない」(p90)のだろうな。
- 丸谷 才一・山崎 正和 (2002). 日本語の21世紀のために. 文春新書
山崎:たとえば、新聞的クリシュ、陳腐な常套語です。これはあまりにもひどい。たとえば、ある小学校でウサギを飼っていた。そのウサギが殺されてしまった。すると社会部記者は、「心ない振る舞いに、よい子はがっくりと肩を落としていました」と、必ず書くんです。これはほとんど思考停止を意味している(p89)。丸谷氏がこれを受けて、読者に内容を伝える意識がないとか、↓のようなことを述べているが、まったくもってその通りであろう。
丸谷:言語が伝達のためのものだという大前提がわからないで、言語を扱っているわけなんですよ(p90)。同じ「おいしそうにほおばっていました」でも、伝達の意思があれば、もうちょっとニュアンスが違って聞こえるのかもしれない。自戒しようっと。白々しいことばを使っていると、白々しい人間になってしまいそうだ。
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