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読書メモ:ささいなことに動揺する?

▼オリジナルは2002年5月に書かれたものです。

▼私の関心領域はどちらかというと、心理学系である。しかし私は、ある理論や概念を「人」に当てはめて考えるのが苦手である。好き嫌いでいえば「嫌い」と言っても良いかもしれない。

 理論や概念を人に当てはめるとは、例えば、「あなたは○○○なタイプなので、△×な傾向がありますね」的な「診断」のことを指す。もちろん、世の中の心理系研究には、いろんなタイプの考え方があっていいと思うし、診断そのものを否定しているわけではない。しかし、ある理論を通して「診断」を絶対化するようになってくると危険だな、と思ったりする。

 根元的には、抽象=具体の関係について、どこか引っかかるところがあるのだ。心理学的にある「タイプ」(類型)を想定することによって、初めて人間のある側面が把握可能になる一方、例外的現象が見えにくくなる。
  • ある概念の存在よって、はじめてその現象の把握が可能になる
  • ある概念があるために、ある現象が見えなくこと
 ことは表裏一体である。心理学を学ぶ時は、この覚悟が必要だと思うのだが、両者のバランスは容易ではない。

 今回読んでみたこの本では「highly sensitive person (HSP) = とても敏感な人」というタイプが紹介されている。
 端的にいえば、「敏感」「感じやすい」「動揺しやすい」人の総称である。
 私はこの手の本には割と批判的なのだが、この本はちょっと微妙である。そう言われたから「気づいた」のでしかないが、自分自身もある領域(とても限られています)で、過剰に感じることがあるからだ。

 例えば、処理すべき情報が多数、同時に現れると、
  • 何か話す必要があっても、何も言えなくなる
     外的には緊張しているように見えるらしい。確かに実際に緊張しているような気もする。その他、言葉につまる、もしくはまったく関係ない話題を投げてしまう。
  • 閉じこもる(内省的になる
     口数が減り、外から見ると怒っているようにみえる
  • フレーム問題のロボットに陥った感覚になる
     これも「概念」的に考えてしまっているとは思うのですが、もっとたとえて言うならば、小さなダムに水がどどっと入ってきて、あふれてしまい、どうしようもなくなっている感じ。
 のようになるからだ。この現象は、この本が言うように、highly sensitiveな問題なのか、それとも、こんな概念を見いだしたために、自分をそう過剰にそう捉えるようになったのか(これ自体、sensitive?)分からない。自分をsenstiveだと思うようになった瞬間、それはsenstiveとは呼べない気もする。

 敏感は鈍感よりは、なんとなく良さそうなイメージがするから、そう思えるだけなのか、理論や概念と、実感の関係。これまた難しい問題です。で、結局、何が言いたいかって。今日がその典型だったということ。何も言えない。それが分からないから、問いを考える。結局、その循環なのかしら。

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