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読書メモ(断片):引用について

▼オリジナルは2002年5月に書かれたものです。

 私は人の意見を引用する時、とても迷う。引用を通して先駆者に敬意を示すのはもちろんだが、どこまでを先駆者と見なし、どこから自分の意見と見なすのかは結構、あいまいだからだ。

 おそらく私が今、ここに書いたようなことも、きっと既に誰かが先に言っているに違いない。本来的にはその文献を探して引用せねばならぬのかもしれぬが、自分の専門分野ならともかく、すべて探すのは実質的に不可能だ。

 ではどうすればいいのか?
 池田晶子氏は、引用に関して興味深いことを述べている。
偽物と、本物の知識人との見分け方、簡単な方法をお教えしましょう。とくに、海も山も(ミソもクソも)わからない若い皆さん、これは使えます。それは、「誰それによれば」「誰それが言うには」と出てきたら、まずそれは偽物だと思って間違いない。なぜなら、これまでも繰り返してきたように、「哲学」というのは「考える」こと以外ではあり得ないのだから、誰それが言おうが言うまいが関係ないからである。

なるほど、考えたことが、たまたま誰それの哲学に一致するということはあるけれども、だったらなおのこと、それを引き合いに出す必要はないはずである。誰それの名前、誰それの権威を必要とすることが、自信がない、自分で考えられていないということの、まぎれもない証拠なのである(p89)。
 要は、「誰それによれば」「誰それが言うには」という表現を使うヤツは信用するな!ということである。
 極論なような気もするが、確かに納得する部分はある。確かに「虎の威を借る狐」は見苦しいし、権威づけの引用は私も好きではない。

 しかし、権威づけと先駆者に対する敬意の線引きもまた微妙なところだし、表面的には人の意見をあたかも自分で考えたかのように述べる人と、真に自分で考えを模索した人の区別も難しい。
 (それができるようになりたいけどね。なかなかかなり難問)

 そもそも、どんな時に人は「引用」するのだろう。
 僕の場合Web日記上で、文章を引用するのは、
  • 同じ事を考えている人がいる!という驚きを感じた時
  • この人の、この一文に、多大な影響を受けた!ということの証
    (あるいは先達に敬意を示すという意味もあるだろう)
  • 良い文章は何度も味わいたいから、自分の記録用として
 でしょうか。他にも、いろいろありそうな気もする。

 ふと思ったのですが、巷の「論文の書き方」のたぐいの本は、「引用の仕方」については詳細が書かれていても、引用と自分の意見の関係について詳細に書かれたものはないような気がする。

 え、その手の文献はあるって?でも、もっと探せ、探せ、探せ…シンドローム(強迫観念に近いかも)は、それはそれで危険なかおりがする。

 引用は、批判のためですか、自分の意見を裏付けするためですか、それとも権威付けのためですか、いっぱい勉強したことを示すためですか、それともそれがルールだから?結構、分からないことは多いものらしい。

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